本の香り

オカメ颯記

本の香り

この季節になると、いつもここに立ち寄りたくなる。

古い建物が取り壊され、新しい店ができ、表通りはかつてないほどにぎわうようになったけれど。ここは変わらない。

薄暗い路地裏を抜けると、先ほどまでの喧騒がどこへ行ったのか、明るく静かな空間が広がっている。

そして、今年もまだその店は立っている。

以前と同じように、平積みにされた本や雑誌。ほとんどただ同然の値札が付いた本が箱詰めされている。

そして、店の奥にはひんやりとした暗がりがいつものように僕を待ち受けていた。

色あせた背表紙を眺める。

同じように見えて毎年少しずつ書名が変わっている。

でも。

ああ、まだここにある。

僕は一冊の本を手に取る。

大判の図録。柔和にほほ笑む仏像が僕を見つめ返す。

いつもひっくり返して探すが、値段は相変わらずついていない。


……あ……すみません。


本を手に取ると、初めて触れたときの記憶がよみがえる。


ありがとうございます。


その時、少女は頬を染めてはにかんだ笑いを浮かべた。


ちょっと手が届かなくて。ありがとう。


大きな本を重そうに開いて、彼女は仏の写真を見つめた。

制服の白い襟が鮮やかにはえている。どこか夢見がちな黒い瞳と柔らかな笑みは本の中の仏像とそっくりで。


じっと見ているのは失礼だと、無理やり目をそらした僕は関係のない棚の本をとって中身を見るふりをした。彼女は熱心にその本を眺めていた。僕はそっと店を出た。


あれから、何度かこの店を訪れたが、彼女の姿を見ることはなかった。

こっそりと彼女の手にした本を見ては、あの時の少女の笑みを仏の写真の中に見る。


あの子はどうしているだろう?


僕の記憶の中で彼女はいつまでも制服を着た少女で、僕だけが年齢を重ねていく。

あの子も同じように年を取っているはずなのに、僕の記憶の中では彼女はいつまでも年を取らない。

まるで春の精のように。

今年もまた、春が来て、梅の香りが漂う季節になった。







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本の香り オカメ颯記 @okamekana001

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