【KAC本屋】魔導書〈グリモワール〉と桜餅
葦空 翼
魔導書〈グリモワール〉と桜餅
あなたは本屋に行った時、「本に呼ばれる」経験をしたことがあるだろうか。きっかけはなんでもいい。わぁ、あれもこれも面白そう! とうろうろしてるさなかで「目が合った」とか、そしたら「なんとなく気になった」とか、それで「手にとって開いてしまった」とか。
本屋は本好きにとって“ワンダーランド”だ。たくさんの本が自分との出会いを待っている。期待せず買った本が最高に面白い愛読書になるかもしれない。美しい表紙、気になるタイトル。科学の叡智が詰まった紙と印刷、あるいは誰かの手記。それらが自分の知らない世界へ連れて行ってくれる。素晴らしい。後世まで残しておきたい、有形だが無形の文化財だと思う。
それはいい。そこまではいいのだ。しかし、私が本屋に望んだのは「こんなこと」ではない。
「店主! 店主!!?? ど、どうなってるんですかこれ!
「そんなこと言われても! 俺ァその本を開いたことがないんだ、かっ勘弁してくれ……!!」
ま、まさかこの本……今! ここで! 悪魔を召喚しているっていうの?!
嘘でしょう!!!
私と店主が(初対面なのに)思わず手を取り合い、がたがた震えていると、やがて一層本が輝き、すーーっと何者かのシルエットが浮かび上がった。きた! 悪魔きた!!! どうしよう?! 捧げられる供物も命も持ち合わせていないのに!!
「…………どこだここは…………」
「ひいい!!ここは長靴半島ベッロフィウーメ市、しがないノームの地方都市です! 食べないで! 食べないで!!」
「食べないで、って言われても…………」
ゆらり、と立ち上がったその人影は、そりゃあ巨人がいたらこんなものだろうか? と思うほど大きかった。丈の短い黒い衣服。脚の形がよくわかるタイツ、にしてはゆったりしているような。並んだ金のボタン。真っ黒な短髪に吊り上がった真っ黒な目。おおなんと恐ろしい容貌なのか! さすが悪魔!
「ごめん、なんだって? ここは、長靴半島? ニホンじゃないのか? ていうか、あんたらめちゃくちゃちっちゃいな…………ノーム、ってなんだっけ……」
「わぁ! ノームを馬鹿にしましたね?! そりゃあ山耳族といえばエルフですけど、ノームだって立派な山耳の一族ですよ?! 魔法だって、」
「エルフ?! 魔法?!! ここはもしかして、異世界なのか!??」
突然悪魔に言葉を遮られた。悪魔はなぜか、拳を握りしめて、目をキラキラ輝かせている。
「そうかノーム! 長靴半島! てことはここはイタリア的なナーロッパなのかな? じゃあエルフは? いや、ノームでもなんでもいいや、魔法使えるんだろ? 見せてくれよ!!」
「「………………」」
悪魔が、なんか言ってる。私は思わず店主と手を取り合い、腰を抜かして床に座り込んだまま呟いた。
「貴方、悪魔じゃないんですか……? 使いたければ自分で使えばいいじゃないですか。あの、ここを壊されるのは勘弁ですけど」
「シッ! お嬢ちゃん、悪魔に滅多なことを言わないでくれよ! 機嫌を損ねたらどうするんだ?!」
「………………俺が、悪魔?」
「貴方
「俺が悪魔だって??」
悪魔は、いや魔法を珍しがる悪魔がいるわけないので意味がわからないが悪魔らしき男は、目をしぱしぱと瞬かせた。年の頃はわからない。見上げる範囲で判断すると青年に見えるが、所詮悪魔だ。何百歳とか言い出すのかもしれない。
「いや、あの、俺悪魔じゃないよ。だって16歳のコウコウセイだし。学校帰り本屋に行って、なんかやたらかっけ〜〜本があったから、わぁーー異世界ものの新タイトルかな〜〜? って手にとっただけだよ? そしたら気づいたらここに居て……なんか、ノームとかエルフとか言われてるだけで」
「学校? 悪魔にも学校があるんですか? ていうかえ、16歳?! そんな、それじゃ私と同じ年じゃないですか?!!」
「え、これで16歳なの?! 小さすぎる!! 子供じゃんこんなん!!」
なんだろう、致命的に話が噛み合ってない。意味がわからない。…………この男は、悪魔では、ない?
「わかりました。とりあえず自己紹介して、状況を整理しましょう」
私の名前はエヴァ。ここ長靴半島で生まれ育った16歳のノーム。他の国に住む
容姿は……特筆すべきことはないと思うが、一応紹介しておこう。薄桃色のウェービーなロングヘアにまんまるの緑の目。スタイルはそこまで自信ない……いや今はそんなの関係ない。服装は……特に変哲もないエプロンドレスだけど、この男には珍しかったりするんだろうか。
そして、悪魔もとい自称「異世界の人間」は「コウタ」と名乗った。
16歳の学生。特に金持ちの家に生まれたわけではないが、ニホンという国ではほとんどの国民が16歳なら学校に通っており、この謎の黒い服を……ガクセイフク、という服を着るらしい。ん? 学生服、なのか? なるほど?
そして、彼からするとここは「異世界」であり、彼の世界にはどこを探してもエルフもノームも魔法もないらしい。あるのは本の中、えーとナロウ系のお話、とかにしかないと。彼的にはエルフの方がレア度が高いらしいが、ここにエルフはいないと説明するととてもがっかりされてしまった。
「なぁんだ……エルフの美少女魔法使いとかに会ってみたかった……」
「すみませんね、ノームのクソチビ女で」
「いやいいんだ……えっと、エヴァ、だっけ……ふふ……!」
「なんですか?! 人の名前で笑うとか失礼なんですけど!!!」
「ごっごめん、エヴァって言ったらアレじゃん、って思っちゃって……」
「はぁ?!」
彼いわく、ニホンには略称「エヴァ」という有名な物語があるそうな。う、それは恥ずかしい……私の名前が堂々といろんな人に語られているとは。
私が頬を赤く染めていると、コウタは私を見て愉快そうに唇の端を上げた。
「ふふふ、ホントにここはニホンじゃないんだな。言われてみればこの店すげーちっちゃいし。あれか、ドラクエテンのプクリポの国だと思えばいいのか」
「なんですかそれ」
「あっごめん、ゲーム……えっと、えー……映像をボタンで動かしながら遊ぶ道具、で見たっていう」
「……なんか箱庭を見つめる神様っぽい遊びですね。やっぱり貴方悪魔なのでは?」
「違う! 違うよ! ニホン人なら大体やってるよ、あっほら!」
そう言って彼が出したのは、薄くてひらべったい板。
「これ、スマホって言うんだ。これを操作すると……」
「ギャーーーー、魔導鏡! やっぱり貴方ド金持ちじゃないですか?!!!」
「えっ、この世界スマホあんの?! 文化設定がばがばかよ!!」
「見せて! 見せて!! 魔導鏡初めて見ました!」
「いやこれスマホ! ニホンの道具!!」
きゃいきゃい騒ぎながら、中がよく見えないので床に座ってもらって、私より何倍も大きな手の中の平たい何か……魔導鏡ではない、スマホ? を覗き込む。
私の知る限り、魔導鏡はとてもとても高価なマジックアイテムだ。遠く離れた相手と連絡を取り合ったり、誰かがまとめてくれた情報を眺めたり、見たものの情報をそのまま残しておけたりする。
「まんまスマホじゃん」
「違います魔導鏡です。じゃあ、スマホは何が出来るんですか?」
「いや、それこそ誰かと連絡取ったり情報を見たり見たものの画像を残したり、だよ。……あっ、じゃあ見て」
そう言うとコウタは、手慣れた仕草でスマホの表面をすいすいと撫でた。そこには、今日と同じく学生服を着たコウタ、知らない誰か……えーと、異世界の人間? が映っている。
「これが友達。これがニホンの風景」
「わぁ、本当だ! みんな同じ服着てます! でも女の子は別の格好ですね?」
「あー、うち男子はガクランで女子はブレザーなんだ。って言っても、ここの人たちはガクランときたらセーラーって感覚もないか」
「何を言ってるかわかりません」
「だよな!」
コウタはふふっと笑って別の記録画像を表示する。
「これがニホンの街。一応首都で、トウキョウっていう」
「これは! すごい! 全部建物ですか?!」
「これはスカイツリーだよ。観光に行って撮ったの。で、こっちがアキバ」
「すごーい、ごちゃごちゃしてますね! 他には他には?!」
「あっごめんちょっと待って……」
コウタはそう言って私の眼前からスマホを取り上げ、何やらすっすっと操作した。何か見られたくないものでも入っていたのだろうか?
「あっこれ! 見て、サクラ! これ一番ニホンっぽくていいんじゃない?! 去年とった奴!」
そう言うと、また私の目の前にスマホを出してくれた。その中には──
「わぁ、アーモンドの花ですね!」
「えっ、アーモンド? これ、ほとんどニホンにしか咲いてないサクラって花なんだよ」
コウタが見せてくれたスマホの中には、淡桃の花をこぼれんばかりにつけた立派な木が映っていた。その横でコウタが二本指を出し、笑顔で立っている。
しかし私はこの木と花を知っている。
「アーモンドは3月上旬、春の始まりの頃咲くお花で……いえ、どうせなら外に出ましょう。そこで説明します」
「えっ?」
「行きましょう、コウタ。この世界のサクラを見せてあげます!」
窮屈そうに身を屈めるコウタの手を引き、本屋の中を移動して出口の扉をくぐる。差し込む暖かな陽光、ふわりと香る春の風。そしてそこには、
「うわぁ…………!!」
「奇遇ですね、今丁度アーモンドの見頃なんですよ!」
開けた私達の視界の先。そこには先程スマホの中で見たサクラによく似た、アーモンドの花々が咲き誇っていた。他の国の人間が来てもいいよういくらか大きく作ってあるが、コウタからすれば子供の遊具同然の街並み。三角屋根の家々が並び、カマドから出た煙が人々の営みを感じさせる。
周囲の人間が恐ろしいものを見るようにコウタを見上げるが、私はもう彼が怖くない。戸惑う彼を連れて、アーモンドの木に向かって歩きだした。
「ほら見て下さい、ピンクで5枚の花びら、可憐なその佇まい! そっくりでしょう?」
「すっご……ホントにサクラだ、これ! きれ、い……」
「ふふーん、なんだか誇らしいですね! 私の国と貴方の国は同じ、あるいはそっくりなお花で繋がってるんですねぇ」
そう言って振り返ると、
「あれ……?」
コウタの身体が、また光りだした。えっ何事?
「も〜〜コウタ、いくら異界のヒトだからってピカピカ光りすぎじゃありません? 驚かさないで」
「違う、俺、帰るんだこれ。なんか手が、透けてる」
「なんですって?!」
よく見ると、確かに彼の身体が光の中に透けていっている。え、なんで?さっきの本を触ってるわけでもなんでもないのに……!
戸惑う私の耳に、
カラーーン。カラーーーーン。
教会の時刻を告げる鐘の音が聞こえてきた。今は恐らく昼。そ、そうかもしかして……
「さっきの
「えっ、せっかく仲良くなれたのにもう帰らなきゃいけないの?!
エヴァ!」
初めてはっきり名前を呼ばれて、ぶわ、と身体中の産毛が逆立ったように感じた。きゅぅ〜〜〜〜っと熱が心臓から顔に向かって上がっていく。
「こ、コウタ! 忘れないで! 覚えていて、せっかく会えたんだから!」
思わずその大きな大きな手に私の手を伸ばす。無遠慮に先を歩いていたので、いや私の腕が短いのか、届きそうで届かない。
「ニホンのサクラを見たら私を思い出して!
長靴半島と、ノームのことを!」
吊り上がった、と思っていたコウタの切れ長な目が大きく見開かれ、一際強くその身体が光ったと思ったら、
ぱしゅん。
本当に消えた。さっきまで確かにそこに居て、私とスマホを覗き込んでいた男の子が、まるまる手品のように消えてしまった。ざわざわ。風が吹き、アーモンドの花弁が一面に舞い散る。淡桃の花びらが私の視界を何度も掠め、力なく地面に吸い込まれた。
「……ありゃ、さっきの異世界人いなくなったのか」
「本屋の店主」
「お嬢ちゃん、見てくれよさっきの本。突然真っ白になっちまったから、なんかヤバいのかと思って慌てて追いかけてきたんだ」
「……そうですか」
声をかけられ振り返ると、やや息をきらせた店主がさっきの分厚い本を掲げ、ぐったりと項垂れていた。さっきなんとなく手にとったあの本は、表紙も中身も真っ白しろになっていた。役目を終えたということだろうか。
「コウタ、多分異世界とやらに帰ったんですね。……そうだといいな」
「そうだなぁ。さて、この本……買うかい?」
「あっ」
そうか、この本、売り物だったんだ。てことは、
「買います。言い値で」
「ほーーん、強気じゃないか? いいだろう、その本銅貨一枚で譲るよ。役目を果たした真っ白な本だしな、俺にとっちゃガラクタだ」
「ありがとうございます!」
この本をずっと手元に置いて、どんな仕掛けか調べまくることが出来るってことだ。
ニホン。トウキョウ。コウコウセイのコウタ。
「……ふふっ、コウコウ、コウだって」
聞き慣れない単語ながら、同じ音が続く面白さに笑みが漏れた。店の外まで来てくれた店主に銅貨を一枚渡し、分厚い本を抱きしめる。なんでもないと思っていた春の始まりに、しかし素敵な出会いがあった。
「またいつか、会えるといいね。コウタ」
ひらりと舞い落ちるアーモンドの花弁に語りかけ、読書にとってかわりそうな当面の趣味を得た私は、跳ねるように家路を急いだ。
【KAC本屋】魔導書〈グリモワール〉と桜餅 葦空 翼 @isora1021
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