生きる理由と往ける訳
夢月七海
生きる理由と往ける訳
全ての建物が灯りを落とし、シャッターも下ろし、沈黙している道の上で、一軒だけ、光を零している建物があった。私の前を歩いている人たちが、ふらふらと、蛾のようにそこへと入っていく。
近付いてみると、そこは本屋だった。こんな夜中に珍しい。私も、好奇心に誘われて足を踏み入れてみる。
本屋は、一階建ての小さな建物だったので、中も狭い。そこへ、天井に届くだけの本棚が詰め込まれているので、人とすれ違う時には、横歩きしないといけない。
お客さんは意外といる。ざっと数えただけでも、五六人ぐらい。それぞれが、真剣な顔で本棚を眺めている。お金のかかった間違い探しをしているみたいだ。
私も何か手に取ってみようかと思い、すぐ横の本棚を見て、あれと気付く。並んでいるのは、ハードカバーの文芸書なのに、漫画本のようにビニールがかけられていて、読むことが出来ない。
もしかしたら、非常に貴重な本で、指紋も付けられたくないのだろうかと思ったけれど、数年前のベストセラー本や明らかにボロボロの中古本も、ビニールに掛けられている。他の棚も確認してみると、文庫本や雑誌も、同じような形になっていた。
立ち読み対策なんだろうな、と思うと納得できる。ちょっと大袈裟な気もするけれど。このビニール掛けにも、コストがかかるだろうに、どこも大変だなと、本の背表紙をなぞって歩きながら思う。
それにしても、見たことのない本ばかりだ。私が生まれる前の、知らない名前の漫画雑誌も置いてある。品揃えがいいから、人が集まってくるのかもしれない。
本屋の右側の奥の角は、カウンターが置かれていた。エプロンをした男性の店員さんが一人腰掛けて、一冊の本を捲っている。
その真後ろに、姿見があるのが気になった。万引き予防にしては位置が変だなあと思っていると、その店員さんが顔を上げた。
ドキリとしたのは、その人の瞳が、綺麗な青色だったから。にっこりと微笑みかけられて、恐縮しながらお辞儀をして、Uターンする。
しっかり目が合ってしまったから、何か本を買わないといけないかも。我ながら、ケチなことを考えてしまっている。
とりあえず、何かしら一冊選ぼうと決めた私とすれ違いに、一冊の漫画本を持った青年が、カウンターへと向かった。なんとなく気になって、そっと本棚の陰から二人の様子を窺う。
店員さんは本を受け取りながら、青年に何か話し掛けている。二人が言葉を交わしているが、ここまでは聞こえていない。そうしながら、店員さんがペーパーナイフで本を包んでいたビニールを破ると、そのまま青年に渡した。
あれ? お金を払わなかった? 一瞬目を疑っていると、青年はそのままカウンターを離れ、本屋から出て行ってしまった。
信じらない。実は、前払いをしていたのか、ネットの注文を受け取りに来ただけなのだろうか。そんなことを考えている間に、おばあさんのお客さんが来て、彼女もお金を払わずに、ビニールの掛かっていない文庫本を抱えて立ち去った。
そんな風に、この本屋にいた全員が、何も支払わずに本だけを持って外に出ていくのを、私は見送っていた。
訳を訊いてみないと気が済まない。今は私しかお客さんはいないのだから、じっくり問い質そう。そう決意して、カウンターの前に立った。
「ちょっといい?」
「はい。何でしょうか?」
「ここって、本を売っている場所じゃないの?」
「はい。死んだ人のための本屋なので、お金は必要ありません」
満面の笑みで、当たり前のことのように店員さんが言うのだから、飛び上がるほど驚いた。誰もいないのに、思わず後ろを振り返ってしまう。
ちゃんと観察したわけじゃないけれど、全員死んでいるようには見えなかった。足もあったし……いや、思い出してみると自信が無くなってくる。
「でも、どうして死んだ人が本屋に来るの?」
「皆さん、心残りのある本を求めて、ここに来ます。途中まで読んで、続きが気になっている本、好きだったのに名前を忘れてしまった絵本、ずっと気になっている漫画の最終回など、読みたかったけれど読めなかった本を、ここで渡しています」
「……その本を手にしたら、その人はどうなるの?」
「満足して、あの世に旅立ちます」
店員さんから淀みなく、そう説明されても、いまいち納得できなかった。確かに、この本の続きが気になるという気持ちになったことはあるけれど、それを満たしただけで、成仏できるのだろうか?
「死んだ人の未練って、それだけじゃないでしょ?」
「では、どう言うのがありますか?」
「そりゃあ、大切な人に対する気持ちとか、叶えたかった夢とか……命を奪った、相手への恨みとか」
最後の一言を言って、あっと思う。立ち眩みの時のように、視界が揺らいだ。
そうだ。私の未練は、それだ。
突然、私の人生を終わらせた、あいつへの、強い恨み。同じだけの苦しみを与えるだけじゃあ、済まされないような、はらわたの煮えくり返るような、怒り――
「お姉さんお姉さん」
店員さんにそう呼ばれて、はっと我に返る。
目の前に、姿見があった。そこに写る私は、外の闇よりも真っ黒で、体が炎のように燃え上がっている。
なんだか、こんな姿を見られて、急に恥ずかしくなってきた。それを意識すると、だんだんと自分の姿が、生きていた時と同じに戻る。
「落ち着きましたか?」
「……ごめんなさい。びっくりさせちゃって」
「いいんですよ。よくあることですから」
頭を下げる私に対して、元に椅子に座り直しながら、店員さんは平然と言い返す。線が細い印象だったけれど、実は胆力があるタイプなのかもしれない。
「加害者への罰は、生きている方々に任せましょう。ただ、恨むだけで、自分の見失ってしまうのはもったいないですよ」
「……そうかもね」
「お姉さんは、生きていくことを仰々しくとらえているかもしれません。だけど、自分の生前をよく思い出してみてください」
「そう言われても、ずいぶん昔だった気がするし……」
「お姉さんは、いつもどんなことを考えて生きていましたか? 大切な人のことや自分の夢のことを、四六時中思っていましたか?」
「私は……」
初めて、生きていた頃の、細々としたあれこれを思い出した。
仕事は大変だったけれど、上司やお客さんに褒められたら、とても嬉しかった。もっと工夫して頑張ろうと思った。給料日に、あれを買いたい、あそこに行きたいと、計画するのが好きだった。
昼休み、いつもはお弁当だったけれど、たまに同期の子と近所のお店に行くのが楽しみだった。あそこに新しいお店ができたってよとか言い合って、じゃあ、いつ行こうかと約束して、その日がとても楽しみだった。
たまに、通勤電車を途中下車して、デパートに行った。殆どウィンドショッピングだったけれど、季節の変わり目には、自分へのご褒美の服やアクセサリーを買った。休日には、恋人や友達に、それを見せようと張り切っていた。
本屋にも、よく行った。子供の頃から漫画が好きで、色々集めていた。どんな漫画も好きだったけれど、少年少女の冒険譚に、何歳の頃も夢中になっていた。
そう言えば、あの漫画はどうなったんだろう。私が高校生の頃に始まって、大人になっても続いていたっけ。ラスボスの、強大すぎる力が恐ろしかったけれど、主人公もその仲間たちも、決して諦めずに、立ち向かうと誓い合って……。
誰かが、私を呼んでいる気がした。疑問を感じるよりも早く、後ろを見る。
本棚の一角が、白く美しく輝いている。その前に行ってみると、光っているのは三冊の漫画本だった。一気に引き抜いて確認する。私が今読みたいと思っていた漫画の最終巻までだった。
「これをください」
「はい。承りました」
カウンターに置かれた本のビニールを、店員さんは丁寧に切り取ってくれた。
白い光は手に取った瞬間に消えたけれど、表紙がてかてかと艶めいている。そのつるりとした手触り、手に持った時の重さも、とても懐かしくて、胸がいっぱいになった。
「ありがとう。私も、往ける気がする」
「いえいえ。こちらこそ、ご満足していただけて、ありがとうございました」
安堵した笑顔の店員さんに頭を下げて、私は本を抱えたまま、この本屋を出る。
途端に、私は眩いばかりの光に包まれた――
生きる理由と往ける訳 夢月七海 @yumetuki-773
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