ふさわしい棚

高野ザンク

見つけてあげる

 この本屋に「志村恭一」の見出しプレートをつけたのは私だ。


 三好優香子にはそういう自負があった。


 志村はロードワークを主流とした若手論客であり、著作もすでに10冊ぐらい出してはいるものの、サ行で始まる名前の作家の並びにまとめられていた。


 優香子が最初に手に取ったのは、恋愛と一夜の関係の違いを考察しながら、純粋なる“愛”というものを定義してみせた、実験的な論評だった。発売からすでに4年は経っていたが、ティーン向けの新書にしてはやや過激な内容だったこともあり、友人の間で話題になっていたので、彼女も読んでみたくなったのだ。

 過激な部分をぼかしながらも、当時20代前半だったにも関わらず経験した数々の恋愛遍歴を赤裸々に語りつつ、それでもどこか“非モテ”な可愛げと(だからこの書籍の内容には多分に“盛った”部分があると思っている)、シニカルさのある文章は彼女の好きなタイプだった。


 それから彼女はこの本屋で志村の著作を月に1冊のペースで買い求めていった。発売されてからしばらく経っているにも関わらず、著作がコンスタントに売れていくのが書店員の目に止まったのか、先日、サ行作家の群れからめでたく独り立ちし、「志村恭一」のプレートが棚にさされることになったのだ。それは優香子が彼の著作を全て読み終わるまであと2冊というタイミングだった。


 世間でさほど流行っているわけでもない、でも自分の作家のプレートが棚にささっているのを見た時、優香子はなんともいえない達成感を得た。著作の数から言ったらすでに売れている作家の一人なんだろうけれど、「私が育てた」という思いすらあった。少なくともこの書店においては、育ての母と言ってもいいだろう。だって私が買う以外に彼の著作が動いている形跡はないし、新刊だってもう1年以上出ていないのだから。



 違和感を感じたのは、優香子が唯一未読であった彼の最新刊を買おうと、棚に手を伸ばした時だった。既刊本のうち3冊が棚に見当たらなかったのだ。そのうちの1冊はファンである彼女でもつまらないと感じるマイナー映画の評論集で、とても「売れる」本だと思えないものだった。さらに、なにか予感がして、彼女が最初に読んだくだんの新書を手にとってみると、売り切れたら必ず補充をするという意味の必備スリップが挟まっていた。


「志村恭一」がこの本屋の棚に居場所を作ったことは、ファンとしては嬉しく思うべきことなのだろう。ただ、優香子の心の中には嬉しいだけではない感情があった。


 自分は他人より独占欲も執着心も少ないほうだ。だからそんな行動に出るとは思っても見なかった。でも、この見出しプレートは、この棚よりももっとふさわしい場所があるのではないか。その場所に置いてやることこそが、育ての母としての役割なのではないか。そう思うと、彼女は居ても立っても居られなかった。



 この本屋から「志村恭一」の見出しプレートは消えた。優香子が全著作を読み切ってしまった後は、棚にはあまり動きがなかったようで、志村の著作は以前と同じようにサ行の作家の群れに埋もれていた。


 そして、「志村恭一」の見出しプレートは今、優香子の自宅の本棚にささっている。


〈了〉

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