◆終



 リルカは今日も、【死と輪廻の神ローディス】の祭壇をせっせと整えていた。

 主神として拝神している者としてはとても切ないところだが、【死と輪廻の神ローディス】は、あまり人気のない神だ。は「死とかついてるし、怖いし、エピソードも暗いし……」という感じで不人気だったし、現在ではもはや「そんな神いたっけ?」レベルの影の薄さになっている。……まあ、三千年前からいる神は皆『古き神』と呼ばれ、拝神の代わりに隆盛した魔術によって影が薄くなっているので、ローディスだけの問題ではないのだが。

 祭壇は、最近とある事情により、だいぶ見られるものになってきている。拭き清め、捧げ物をすれば、あとは神に祈る――魔力を捧げるだけだ。

 祭壇を前に、己の中の力――魔力を意識して、強く、拝神する神を思い描く。実際にまみえた際の記憶を元に、その姿を思い浮かべれば、すぅっと魔力が吸い出されていく感覚がした。


「なんだ、また性懲りもなくローディスに祈っているのか、『リルカ』」


 じゅうぶんに祈る前に、場に突如現れた気配の主が声をかけてくる。――これが『いつものこと』というほどではないけれど、『たまにあること』になったのが、リルカにとっての最近の悩みの種だった。


 目を開けて、その存在を振り仰ぐ。本能的に畏れ敬いたくなる気配……神気をわずかに発しながらリルカを見下ろすのは、【英雄神ヴィシャス】――金の髪に赤い目の、『古き神』の一柱だった。


「ヴィシャス様……また降りて来られたのですね」

「おまえがおれを拝神しないからな」


 リルカはヴィシャスを拝神していない。拝神していないということは、その神と明確なつながりがないということだ。ゆえに、リルカと言葉を交わすために、ヴィシャスは人間界に降りてくるようになってしまった。三千年前と違って、現世では神の降臨はそう気軽にできるものではない――はずだったのだが、一度降りれば二度も三度も同じだとでも言うように、ヴィシャスはちょくちょく降臨している。――まあ、降臨の頻度で言えばもっと上の神もいるのだが、そちらは元々ちょっと例外的な神なので、リルカは気にしないことにしている。

 しかし、ヴィシャスはそうではない。戦乱の時代に人間界に手出しをしすぎたことを省みて、神々が『人間界にあまり干渉しないようにしよう』という方針を決めた後、神の降臨は激減した。それによって、人々にとって、神とは当たり前に『在る』ものではなく『信じる』ものになり、いつしかそれすら薄れて――人々は神に魔力を奉じて扱う『神術』ではなく、己だけで完結して行使できる『魔術』をよりどころとするようになった。

 現世では、神々に拝謁するという事象は、神によっては何百年単位で遡らなければ記録がないような、特別なことなのだ。そのはずなのだけれど。


『ヴィシャス、『リルカ』に迷惑をかけるな』


 そうしてまたひとつ、現世では滅多にないような事象が起こる――神が場に声を降ろすという事象が。

 ふつう、神が人と交信するには頭の中に直接話しかける方法が使われる。神が人間に一方的に話すだけならばそれが複数人であっても問題ないが、今のようにやりとりが発生すること前提で複数人に声を聞かせる場合、場に声を降ろすという方法をとるのだった。

 場に降ろされた――聞こえてきた声に、ヴィシャスがうんざりした顔になる。こうしてローディスがヴィシャスに苦言を呈するのも『たまにあること』においての『いつものこと』だからだ。


「うるさいぞ、ローディス。降りて来ないおまえにどうこう言う権利はないだろう」

『『リルカ』は私の信徒だ。口出しする権利はある』

「口しか出さないなら意味はないな。おれを本当に牽制したいなら降りて来い」

『それだと『リルカ』に迷惑がかかると言っているだろう』

「迷惑迷惑とうるさいぞ。おれたちは神なのだから――」

『――そういうところが『リルカ』に敬遠されるとまだわからないのか?』


 場へと声を降ろしてきていたローディスとヴィシャスとの言い合いは、そのローディスからの一言でヴィシャスがぐっと言葉に詰まったことで途切れた。


「……だからこうして、接触を持つことで互いを知ろうとしているんだろうが」

『それがうまく行っているようには見えないが?』


(ローディス様は、たまにヴィシャス様に辛辣よね……)


 どこか人ごとのような気持ちで思うリルカ。

 こうしてヴィシャスがちょくちょくとリルカの元に現れるようになってから、二神のやりとりを聞くのは初めてではない。というか、ヴィシャスがリルカの元に現れると必ず、ローディスはリルカの身を案じて、ヴィシャスにあれこれ言うようになったので、結構聞いているのだった。

 ローディスは先日の一件で降りてきた以外には、今のところ人間界に降りて来ていない。「ローディスは基本、決まり事に添うタイプの神だからね」とは、元々別枠でよく人間界に降りてくる神――【戯神ティル=リル】の言葉だ。

 降りて来ない代わりに声を降ろしてくれるし、ことによっては他者を派遣してくれるので、信徒として守られているという感覚は強い。ヴィシャスに相対してどうすればいいか迷うこともあるので、有り難くも思っている。――この事象に興味津々の人物がいて、その人物が興味のまま突撃してくることを除けば。


「あっ、やっぱりまた【英雄神ヴィシャス】が降りてきてるね~。ということは【死と輪廻の神ローディス】も声を降ろしているところかな? この新しく作った『神気探知魔術』、正常に稼働しているみたいで何よりだ。やはり神気とは魔力と似て非なる、けれど似たところもあるから魔力探知の応用が利くね!」

「――すまない、リルカ殿。今日もセヴェリを止められなかった……」

「セヴェリさん、エセルナートさん……」


 『魔術』の権威として名を轟かせており、神にまつわる事象に興味津々で、神との接触によりインスピレーションを得て日々新たな魔術を作り出しているのがセヴェリ、剣士であり、現世では珍しい『神の〈器〉』――【英雄神ヴィシャス】の〈器〉であり、リルカとセヴェリを知り合わせたことに責任を感じてセヴェリの暴走を止めようと日々奔走してくれているのがエセルナートだ。

 セヴェリの行うあれこれからリルカと神々の関係――リルカが『神子』でもないのに言葉を交わし、その御姿を拝謁することができる立場にあることが他に知られないようにと立ち回ってくれているエセルナート――それからリルカ自身の幼馴染には感謝してもしきれない。セヴェリは、リルカのことを神々が釣れるいい生き餌くらいにしか思っていなさそうなので、感謝などはないが、別の件で直接ではないが恩義があるので無下にもできないのだった。


「ああ、ローディス様がお伝えくださったし、セヴェリさんたちも来たって聞いたからそうだろうと思ったけど、やっぱりみんなここに集まってたんだ。――大丈夫? リルカ」


 現れたのはリルカの幼馴染であるユハだ。彼とエセルナートが、ローディスがことによってはリルカの状況を伝えて派遣してくれる『他者』である。そしてリルカと神々の関係をなんとか隠そうと奔走してくれている一人でもある。


「大丈夫というか……いつも通りよ」

「そうだね。セヴェリさんの『神気探知魔術』の精度が上がって、来る速度が日に日に速まっていることくらいかな、変化は」

「そうね……」


 かつてはリルカがローディスのため祈りを行うこの場に来るのはユハくらいのものだったが、今ではこの有様である。


(賑やかになったなぁ……)


 若干の逃避を含めて、リルカはしみじみと思う。

 と、ユハがセヴェリへと話しかけた。


「ああ、セヴェリさん。今日は『魔術学院』に来ますか?」

「うん? 行っても行かなくてもどっちでもいいけど、何か用事~?」

「『魔力』研究の方でちょっと。『神術』を再現するのに適した魔力とそうでない魔力があるのを気にしていたでしょう。それについて聞いてもらいたい仮説があって――」


 セヴェリに恩義があるというのはこれだ。『魔術』の権威たるセヴェリにユハが直接師事するようになったことで、孤児あがりの優秀者ということで多少はいろいろあったらしいユハへの風当たりが和らいだのだという。幼馴染であり、同じ孤児院出身の者として、恩義を感じてしまったわけだった。

 それを言うと、ユハは「リルカには関係ないんだから恩義を感じる必要はないよ」と言うのだが、同じ孤児院で育った幼馴染だ。関係ないということはないと思う。ちなみにセヴェリは「じゃあ研究させて!」と言ってくるに違いないので、恩義を感じていることは直接伝えていない。



「【英雄神ヴィシャス】、今日こそ御身をちょっとでもいいから『観測魔術』にかけさせてくださいよ~」

「却下だ。実験動物のようになるつもりはない。『リルカ』が頼むなら別だがな。……そもそも、それだったらもっと適した神がいるだろう――さっきからこっちを悪趣味に眺めてるやつが」

「――やだなー、悪趣味だなんて。ぼくは【戯神】だから、面白いことを眺めるのも首をつっこむのも大好きなだけだよ」


 ヴィシャスの言葉に反応して場にやってきたのは、【戯神ティル=リル】。ある意味ではリルカのこの状況をもっとも楽しんでいるだろう神だった。


「それが悪趣味だと言っている。――おまえ、おれと『リルカ』の間のことを、神々の中で賭けの対象にしたそうだな?」

「神々も退屈してたからねぇ。もう食いつきがいいのなんの。それに久方ぶりの『愛し子』に興味持つ神も多くてさぁ」

「それについてはユースリスティが怒っていたな。『リルカ』の平穏な日常を壊すつもりかと。おまえもさぞ絞られただろう」

『私もその件については許していないぞ、ティル=リル』

「あはは、ローディスもユースリスティも『リルカ』大事だからねぇ。でも、ぼくが面白くなりそうな方に物事を転がすのはいつものことでしょ? 『リルカ』のことだとしてもそれは変わらないだけだよ」

『まったく、これだから性質が悪い……』


 重いため息が聞こえそうな声音でローディスがしみじみと言う。

 ティル=リルは、(リルカやローディスにとっては本当に残念なことに)心底楽しそうに笑んでいる。


「賭けの対象にしたおかげで、ヴィシャスの人間界への降臨の条件が緩和されたんだから、ヴィシャスは感謝してくれてもいいくらいだと思うんだけどな?」

「感謝などするか。聞けば、おまえは『リルカ』がおれに靡く方を大穴扱いしているというではないか」

「いやー、だって普通に考えて口説き落とすの厳しいでしょ。今だってリルカは客神としてすらきみとつながりをもっていないわけだし?」


 ティル=リルが無邪気に口にした言葉に、場の空気が一瞬で冷えた。


「…………おまえだってそうだろう」

「ぼくは客神としてつながりを持たなくても、前世助けた縁で辿れるもん。きみは『アイシア』から拒否されたから無理だけどねぇ」

「…………」


 ヴィシャスが渋面になる。そんなにつつかないでほしい、と思うものの、【戯神】を思い通りにしようなんて土台無理なことなのでそっと諦めるしかない。


「やぁ、リルカ。きみの周りも賑やかになったねぇ」


 心なしか肩を落として見えるヴィシャスを放置して、ティル=リルが笑顔でリルカの元にやってきたと思うと、先ほどリルカが考えたことを口にする。


「以前、ヴィシャスの〈器〉に会ったことを、偶然だと言ったきみに告げたね。偶然は運命。きみの星がその運命を引き寄せた。あるいはその運命に巻き込まれた。どちらにしろ、『偶然の出会い』で終わらせられないだろうって。――そのとおりになっただろう?」

「……ええ、そうかもしれませんね」


 エセルナートと出会ったことで、『リルカ』の運命は転がっていった。神々とも、人間とも、新たな関係を結んだ。

 リルカはただ、前世お世話になった二神……【死と輪廻の神ローディス】と【癒しの神ユースリスティ】に拝神して、日々魔力を捧げて生きていければそれでいい――その気持ちは変わらない。

 前世抱いた、『人として生きて死にたい』――これも変わらないけれど。

 この賑やかな日常もこれはこれでいいものだと、今ではそう思ったりもするのだ。


「『平凡に生きて死ぬ予定』はちょっと変わっちゃったけど――どう? 幸せ?」


 ティル=リルの問いに、リルカは躊躇なく答える。


「はい。私の望みを――誓いを、叶えられていますから」


 前世と同じく人として生きること。そして、お世話になったローディスとユースリスティに拝神して、魔力を捧げて過ごすこと。

 それがリルカの望みで、誓いだ。それを叶えられている今は、ちょっとしたイレギュラーがあろうと、リルカにとっては満たされた日々なのは間違いなかった。


「……本当、きみはぶれないなぁ」


 眩しそうに目を細めたティル=リルがそう言うのに、リルカは微笑んだのだった。



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転生乙女は古き神々に溺愛される ~三千年後に転生しましたが、忘れられていないどころか寵愛が加速しています~ 空月 @soratuki

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