マスクで口を隠したうさぎ【春】【旅】【うさぎ】

kanegon

マスクで口を隠したうさぎ

 世界的な感染症の流行により、せっかく大学に入ったのに授業はリモートで、全然友達ができないまま卒業を迎えてしまった。

 社会人になれば忙しくなって旅行の機会も無くなってしまうだろう。自由を謳歌できる学生という身分を最後の最後に活用するべく、僕は卒業旅行に参加した。参加と言っても、友達のいないボッチの僕のこと。参加人数は僕一人で全員である。

 行き先は、一般的には焼物の街として知られている南のK市だ。数年前にアニメの舞台になっていたので、僕にとっては春を先取りするだけではなく、聖地巡礼という意味合いもあった。

 アニメの舞台として描かれていた建物の実物を目にした時には心が高鳴った。

 土産物店では、この地の特産品である焼物を見てみた。焼物について詳しいわけではないので良し悪しは分からなかった。実家へのお土産にしようかと思ったが、日曜的な茶碗や湯飲みは不足していることもないので、買うとしたら美術品的な壷あたりになるだろうか。そんな物は実用的じゃないし、買うような大金も持っていない。濃い緑色の壷が目を引いたが、なんとなく強欲そうな印象を抱いたので敬遠した。

 アニメに登場した人物と同じように街の空気感を味わいたいと思い、市街地を適当に散策する。

 ふと、ひっそりとした本屋を発見した。「竹取書店」という名前らしい。ぼっちの僕は、大学時代の大半を読書に費やしてきたといっても過言ではないくらいに本が好きだ。特に、書店に行った時、偶然出会った本が面白かったことが印象深く、電子書籍が広まった今でも実在の書店で紙の本を探すのが好きだ。

 自然と吸い寄せられるように、僕は店内に入った。

「いらっしゃいませ」

 若い女性店員の声に迎えられた僕だが、店内を見渡して己の目を疑った。もしかして入る店を間違えてしまっただろうか。

 書店らしく、店内には幾つもの本棚が並んでいる。しかし、そこに陳列されているべき本が見当たらない。空っぽの本棚だけが虚しく佇んでいる。

「あの、すいません。ここって本屋ですよね。売っている本ってあるんですか」

 女性店員に対して問いかける。二十歳前後くらいの女子大生アルバイトなのだろうか。白いマスクで鼻から下は隠れているものの、ぱっちりと見開いた瞳の輝きと睫毛の長さは、スマホアプリを使って変に加工した女子力高いアピール写真などよりも遙かに美人であった。動きやすそうなジーンズをはいていて、有名なうさぎのキャラクターが描かれたエプロンを着用している。目が点で何故か口がバツ印のデフォルメされたうさぎのキャラクターだ。

「ありますよ。そこに。一冊だけですが」

 女性店員が指さし示した場所を見ると、一冊だけ文庫本が平置きされていた。『竹取物語』だった。

「この店、三月末で閉店するんですよ。そこに貼り紙がありますよね」

 女性店員が指さし示した場所を見ると、確かに壁に貼り紙があった。「閉店のお知らせ」と題した紙には、閉店の理由として、昨今のインターネット通販と電子書籍の隆盛により紙の本が売れなくなってしまった現状と、長年のご愛顧に対する感謝の言葉が記されていた。

「閉店をご存じなかったということは、地元の方じゃないんですか」

「あ、は、はい……」

 年齢の近い美人につっこんだ内容のことを聞かれて、僕はしどろもどろになってしまった。自分のコミュ障ぶりが恨めしい。

 こういう時に、卒業旅行として東京から来たこととか、アニメの聖地巡礼として建物や景色を見て楽しんだり、作中でキャラクターたちが食べていた物を自分も注文してみて味わっていることなどを、淀みなく話すことができれば良いのに。思うように言葉が出てこない。

「あ、す、すいません。僕、コミュ傷で人と話すのが苦手で、今はマスクをしていますけど、あまりにも口下手なので、うさぎのキャラクターみたいな口がバツ印だって言われるくらいなんですよ」

 たったそれだけを話すだけでも精一杯で、顔が火照るのが感じられる。春の陽気のせいばかりではないだろう。

「あ、このうさぎのキャラクターのことですか。これって、口がバツ印じゃないんですよ」

「えっ」

 女性店員は自分のエプロンに描かれているうさぎの口の辺りを指さした。どう見ても「×」にしか見えない。

「真っ正面からうさぎの顔を写した画像を見れば分かりますけど、このバツ印のようなのは、上下に分けて考えるべきなんです。下の『へ』の字の部分が口なんです。そして上の『へ』の字を逆さにしたような形が鼻なんです。鼻と口がくっついて描かれているので、バツ印のようにみえるんですよ」

 女性店員はどこからかスマホを取り出し、うさぎの画像を僕に見せてくれた。確かに鼻の輪郭と『へ』の字型の口を合体させればバツの形に見える。

「知らなかった。初めて気付きました」

 混ぜればゴミ、分ければ資源、というリサイクルの標語ではないが、物事を分けて考えることによって新しい世界が開けて見えてくる。

 分けて考えることの重要性を認識すると、同時に僕は悟ってしまった。

 感染症のせいで大学がリモート授業になってしまったことは事実だが、それはあくまでも言い訳だ。もし仮に感染症の流行が無く、通常の対面授業が行われていたら友達ができていたのだろうか。答えは否だ。僕に友達ができなかったのはリモート授業のせいではなく、自分自身のコミュ障が原因だ。そこはきちんと分けて考えて、しっかりと現実を受け止めるべきだったのだ。

 僕はマスクの中で小さく笑った。と同時に、うさぎのキャラクターの×口の真実を教えてくれた上に新しい視点を提示してくれた女性店員に対する感謝の気持ちが、欠けていた月が次第に満月になっていくように満ちていった。

「この『竹取物語』の文庫本、買います」

 お礼として、この店の最後の売上げに貢献しよう。帰りの飛行機に乗っている時にでも読むことにしよう。

 ところで、これにて竹取書店には売るべき本が一冊も無くなってしまったのだが、三月末までどうするのだろう。今後、本の入荷の予定があるとでもいうのだろうか。

 疑問の表情が目に出てしまったのだろう。聞かれてもいないのに女性店員が答えてくれた。

「売る物が無くても、三月末までは店を開けますよ。買う本が無くても、この店と最後のお別れをするために来てくれる方々がいらっしゃいますし」

 そう言って女性店員は、貼り紙と反対側の壁に掲示してあるホワイトボードを指さした。

 そこには、カラーペンで書いたメッセージが一杯に書かれていた。それだけではスペースが足りなかったのか、ホワイトボードの周囲の壁にはメッセージが書かれた付箋紙が貼り付けられていた。

「竹取書店には親子二代でお世話になりました。閉店は残念です」

「この本屋で様々な本と出会いました。竹取書店は僕の青春そのものでした」

「独特な手書きポップが大好きでした。今までありがとうございました」

 地元の人々に愛されていた本屋だったのだ。

「じゃあ、四月一日以降はどうするんですか」

「実家に帰ります」

 女性店員は寂しそうな表情で言った。

 アルバイト店員なのか、あるいは彼女こそが竹取書店の店主なのか分からなくなった。だがそんなことはどうでもいい。

 僕はコミュ障を打破すべく、勇気を振り絞った。

「あ、あなたの連絡先を教えてもらっていいですか」

 い、言えた。

 だが、返ってきた答えは予想の範囲外だった。

「私の実家は月です。夜空に浮かぶ月」

「え」

「月にはうさぎが住んでいるという伝説は正しいんですよ」

 いたずらっぽい表情で女性店員は言った。せっかく勇気を出したけど、はぐらかされて連絡先交換は断られてしまったということだろうか。

 少し落胆したが、顔には出さないようにつとめた。勇気を出して一歩を踏み出すことができただけでも僕にとっては大きな成長と進歩といえる。

 しつこく聞いたりせずに諦めて、僕は竹取書店を出た。

 結局、アニメの聖地巡礼の卒業旅行は予定していた箇所は回ることができて、大変満足のいくものだった。だが、予定外で訪れた竹取書店こそが一番印象的だった。

 僕も今となっては社会人がすっかり板に付いた。

 コミュ障が簡単に治るものではないが、それでも人付き合いを頑張っている。

 残業で帰宅が遅くなった時には、空に浮かぶ月を目にすることがある。月を見るたびに、大学の卒業旅行の時に偶然訪れた不思議な竹取書店と素敵な女性店員のことを、今でも懐かしく思い出す。


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