彼の人の為の本屋〜春の館の住人〜

halhal-02

第1話 彼の人の為の本屋


 キィ……ギィ……ィィィ……。


 重い荷車の車輪がきしむ音を立てて、それがどこまでも続く桜並木に響いていく。


 延々と続く薄桃色の花霞はその坂道の先も、今来た道もどちらも隠してしまい、方向感覚を怪しくする。


「店長ぉ、まだ、着かないんですかぁ?」


 荷車を引かされている青年は情けない声を出した。


 ふもとまでは普通に平坦な道で、しかも電気石トルマリンを使えるレールを使ってすいすいとやって来たのに、急に坂道を人力で運ぶ事になり青年は驚いた。


 きっとこの為に連れてこられたのだと坂道を登りながら気がついて、心の中で店長を罵った。


 ——くそジジイめ。


仕方しかたなかろう。このおやまは余所者の魔法を嫌う。使いたくても使えぬのだ」


「……それは、そうで、しょうけど……」


 ——くそジジイめ、ほんとに後ろから押してるのか?


 うたぐりながらもこの荷物を山の上のお館に納品せねば、自分の給与も出ないに違いない。臨時賞与ボーナスでも付かないものかと考えながら、彼はひたすら脚を動かすことに専念した。




 坂道を登り切った先には、これまたどこまでも続く桜の園が広がっていた。


 十重二十重とえはたえに薄桃色の花々が咲き誇り、風がそよぐたびに雪のような花びらを降らせている。


 その幻想的な風景を目にして、青年は荷車を引いて来た疲れも忘れてただ見入ってしまった。


 ——春の、館。


「お前はここは初めてだな?」


「そ、それはそうですよ。許された人しか入れないんでしょう?」


 一般人は、お山の麓からその春霞のかかった山頂を眺めるだけだ。ただその館の主を敬愛し大事にすることは島民の間では当たり前のことでもある。


「なんたって春を司る——春夜ハルヤ様のお館は神聖な場所ですもん、足を踏み入れるなんてできないっすよ」


「禁足地、とも呼ばれるな。ま、神の住まうところさ」


 そこへわざわざ呼ばれる商人なのだと、店長は得意げにずれた眼鏡を指先で直した。


 二人が桜の園に見惚れている間に、ひとりの人物がやって来た。ひどい猫背であることが目立ちすぎているが、仕立ての良い服に身を包み、頭にはこれまた上質なフェルトの帽子を乗せている。


 帽子の脇からは猫科の耳がのぞいていた。せっかく着ているものが台無しになるようなボサボサの前髪の奥から、これまた獣の瞳がこちらを見ているのに気がついて、青年はギョッとした。


「お久しぶりです、猫男ねこおとこさん」


「お久しぶりですにゃ、十文字屋じゅうもんじやさん」


 店長は慣れたように獣人と挨拶を交わすと、青年のことを「うちの若いものです」と紹介した。


「こちらは春の館の執事をしていらっしゃる、猫男さんです」


「よ、よろしくお願いします」


 青年が手を差し出すと、猫男もそっと手を出して来た。手は至って普通の人の手である。握手を交わすと、猫男は館に向かって二人を案内し始めた。


 ——結局、荷車を引くのは俺かよ。


 店長は猫男と何か会話をしながら青年の前を歩いて行く。青年は口の中にこもるような舌打ちをして荷車を引きながらついて行った。




 桜の樹々の間から現れたのは巨大な洋館だった。時代がかった煉瓦造りで正面玄関の大きなアーチが美しい。


 猫男はどこからか持って来た簡易スロープをアーチの階段に据えて、そのまま先を促した。


 玄関アーチもその奥の扉も普通よりもずいぶん大きくて、青年の引く荷車も楽々と通れるほどである。さすがにこのスロープを乗り越える為には店長も猫男も手を貸し、重い荷車は洋館の中へと吸い込まれて行った。




 中はすぐに広い広い大広間となっていて、外とは違いひんやりとしていた。石造りのせいもあるだろう。磨き抜かれた黒光する石が並んで作られたホールの床は、人を拒むようだった。


 自然と背筋が伸びる荘厳な雰囲気に、青年は萎縮し、さっきまでの不平不満もどこかへ影を潜めて口を結んだまま正面を見つめている。


 彼の目線の先には、一脚の豪奢な椅子がある。豪奢といっても宝飾品のあるきらびやかなものではない。


 精緻な彫り物と長い年月に剥がれ落ちた金箔の名残とがその椅子のかつての華やかさを示し、幾度か張り替えられたであろう紅い天鵞絨ビロードのなめらかな細かい輝きとが、そこにかける者の特別さを明らかにしているのだった。


 まるで舞台のように少しだけ高い段がしつらえてあり、その椅子はそこに置かれていた。椅子の下に敷かれた織物は大陸の産だろうか。


 そこへ——。


 舞台の脇から役者が出て来るように、不意に春色の光が現れた。


 光は、人の形をしている。


 青年は息を呑んだ。


 初めて見る館の主に目が吸い寄せられ、逸らすことが出来ない。


 白い肌に烏の濡れ羽色の長い髪。少しだけ珊瑚の色を指したような艶めいた唇に黒曜石の瞳。長いドレスの裾は流れるように床を這い、しかし軽やかにその女性の動きについて来る。


 薄桃色のドレスは外で見た桜の色によく似ていた。


 伏し目がちな、長いまつ毛の奥の黒い瞳はまだ青年を捉えていない。目が合うのが怖いような、早くこちらを見て欲しいような、そんな相反する気持ちを抱えながら彼はひたすらその女性を見つめている。


 しかしこの館の主は、青年に一瞥いちべつもくれず、例の椅子にかけると、青年の隣に立つ老店主に声をかけた。


「お久しぶりです、十文字屋さん」


 雲雀ひばりのような澄んだ声に耳朶を打たれて青年はおののいた。自分の心をとらえるこの声は、きっと人のものではない。


 そんな青年の動揺をよそに、店長はうやうやしく礼をする。


「こちらこそいつも十文字屋をご利用頂きありがとうございます」


「早速ですが、見せて頂いてもよろしいですか?」


「ええ、どうぞ」


 店長はそう答えると、石の大広間に運び込まれた荷車に近づいた。ここまでその荷物を護ってきた幌に手をかけると、一息にそれを取り払った——。




 そこから現れたのは、本屋であった。


 本が山積みされて運ばれてきたわけではなく、本棚が運ばれてきたわけでもなく、そこには小さな本屋があった。


 荷車の荷台は、大小様々な書棚といくつかの机を積んでいる。普通の箱型の荷台の一部を外すと、カウンターが出来上がり、店長はそこにタイプライターに似た金属製のレジを置く。


 てきぱきと机と板製の部品を組み上げると荷台に上がる階段が出来上がり、机や部品があった場所が通路に変わる。


 まさに小さな本屋がそこに現れたのだった。




 館の主は音も無く椅子から立ち上がると、店長の招くままに広間に出て来て組み立てのたばかりの階段に脚をかけた。


 青年が館の主の手を取って手助けしようと近寄ると、店長がそれを制した。それどころか分厚い眼鏡の下からぎろりと睨んで来る。


「馬鹿者、このお方をどなたと心得る?」


 低く囁くような恫喝どうかつに、青年は身を縮めた。今まで一度もこの老店長に恐れを抱いたことなど無かった。心の中で人使いの荒さを恨んだりすることはあっても、恐怖を抱くなど——。


 青年は店長から目を逸らして館の主を目で追う。薄暗い大広間の中にぼんやりと輝くその姿態は、春の陽射しが人型になったようである。


「春の館の主は、いわばこの春の島の支配者じゃ。我々は許されてこの島に生きておる」


 ——それは、知ってはいたけれど。


 青年は館の主を目で追いながら、彼女が選んだ本を自分も買おうかと思い始めていた。




「毎度ありがとうございます。今回もお眼鏡にかなったようで、嬉しいことでございます」


「毎年沢山の本が出るのですね」


「ええ、大陸から仕入れておりますが、お館様の好みに合うたでしょうか?」


 彼女が選んだのは百冊にも及ぶだろうか——辞典、図鑑、図録、絵本から小説、詩集——ありとあらゆる種類の本を数冊ずつ。


 新しい本もあれば古書もある。


 彼女が手ずから選んだ本は光栄な事に春の館の書庫に収められる。


 支払いは猫男が手提金庫を持って来てそこからお金を出した。ジャリジャリと音を立てて金貨が行き来するのを、手伝いの青年はぼうっと見ていた。


「それと——お望みの物を納めさせて頂きます」


 店長は机の下から真新しい本を取り出した。革張りのしっかりした装丁のそれを手にして、館の主は目を見開いた。


 少し遅れて嬉しそうに微笑む。


 その笑顔は春の花が一斉にほころんだようで、その場の誰もが見惚れて心を奪われる。


「——新しく、本を出されていたのですね」


「ええ、この所年に一冊は必ず出されますな。まるで誰かへの手紙のように」


 店長はその本が一番望まれていたのを知っている。書棚には置かず、自ら手渡すことでこの極上の笑顔を見る事は、この本屋の特権である。


 満足そうな笑顔を浮かべて、本屋は館を辞した。




「あのう、店長?」


「なんだ?」


「最後に渡した本はなんだったんですか?」


「ただの小説——と言いたい所だが、あれはかの高名な猫目ねこめイシカの書いた本だ」


「ああ、知ってます。貴重な猫目一族の一人ですよね。もう二百年も生きてるとか」


「そうよ、その猫目よ。幻想的な短編が多いが、彼の目から描かれる人間の描写が芯をくってるとか高い評価を受けとる。何より人気じゃな」


「へえ、それがあの方の一番好きな作家さんなんですね」


「——まあ、そうだな」


 ——正確にはあの方の想い人であるがな。


 言葉を濁して、店長は荷車を引く青年に声をかける。


「お前、わしの跡を継がんか? 毎年ここに来ることが出来るぞ」


 青年は荷車を放り出さんばかりに喜んだ。





『彼の人の為の本屋』完

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