あわいの本屋さん
月猫
あわいの本屋さん
「いたっ。 なんでこんな所に看板があんのよ」
右足を看板に軽くぶつけただけなのに、涙が溢れる。
「大丈夫ですか?」
私を気遣う声はするけれど、姿は見えない。月明かりも星明りもない暗い夜。でも何も見えないなんて、そんなことある訳ない。『気のせいだ』そう自分に言い聞かす。
足をぶつけた看板の文字が、ぼんやりと浮かんで見えた。
『あわいの本屋へようこそ』
「あわいの本屋? 新しくできた本屋さんかしら?」
訝しく看板を見つめていると、カランと扉が開いた。
「星華さまでいらっしゃいますね。あなたの大切な方から、本を預かっております。中へどうぞ」
長い黒髪を一つに束ね、すらりとした若い男性が中から出て来た。緑色のエプロンは、どこかの書店の店員と重なる。さっき声をかけてくれたのは、この人なのだろうか。私は、男性に導かれるまま店の中へ入ってしまった。
「こちらに、おかけ下さい」
またまた、男性に促されるまま緑の布張りの小さな椅子に腰をかける。丸いテーブルに置いてあったのは、手づくりの豆本だった。
「どうぞ、ごゆっくりとお読みください」
店主と思われる男性に言われるまま、タイトルのない豆本を開く。
一頁目。
星華へ
二頁目。
ずっと星華と一緒にいたかった。
三頁目。
ごめんな。
こんな形で別れることになって……
四頁目。
君から笑顔を奪ってしまった僕が言うのも変だけど、笑って。
五頁目。
君の笑顔が好きなんだ。
六頁目。
僕が去ってから、もう一年過ぎたんだよ。
七頁目。
もう、泣かないで。
八頁目。
星華がずっと泣いていると、僕も泣きたくなるから。
九頁目。
君の幸せを祈っている。
十頁目。
拓也より
文字が、涙で掠れる。
この字は、確かに拓也の字だ!
小学生が書いたみたいな下手くそな字。
相変わらず汚くて……
でも、懐かしくて……
「拓也さまよりお預かりした本を、星華さまに無事に渡すことができてホッとしました」
涙と鼻水でぐしょぐしょの私に、白いハンカチを差し出してくれる優しい店主。
「この本は、いつ拓也から?」
「夕べです。ふらりと現れましてね。『明日の夜、看板に足をぶつける女性に渡してくれ。名前は、星華というんだ。僕の大切な恋人だったんだ』そう仰っていました。
「嘘でしょ。だって、拓也は……」
「一年前に事故で亡くなられたんですよね。この本屋は、彼岸と此岸の狭間、あわいに存在し、亡くなられた方の願いを叶える本屋なのです」
店主がそう言い終わると、全てが消えた。
なのに、手には白いハンカチが握られている。
あの日から、私は良く笑うようになった。
もう一度あの本屋に行ってみたいけれど、もう二度と私の前に現れることはないのかもしれない。
あわいの本屋さん 月猫 @tukitohositoneko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
介護俱楽部/月猫
★57 エッセイ・ノンフィクション 連載中 17話
梅ちゃんと私。/月猫
★102 エッセイ・ノンフィクション 連載中 145話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます