あなたの人生、買います。
神崎閼果利
あなたの人生、買います。
呑んだくれた帰りに見つけたのは、古びた本屋だった。
商店街の片隅、ネオン街の外れ。こんなところに本屋なんてあっただろうか。そこにあった幟には、こんな文章が書かれていた。
――あなたの人生、高値で買います。
自分の財布を見る。ソシャゲに使った数万円、友達と呑んだ数千円。その全てが消えて、財布の中身は空っぽだった。このままではまた家賃を滞納してしまう。今度はガスまで止められるんじゃないだろうか。
そんな男がこの幟を見て考えたのは、ほんの少しだけ見ていこうかな、というものだ。ほんの少しだけ、ほんの少しだけ。そこでいくらで買ってくれるか見るだけでも良いだろう。
扉を開け、中に入ると、古そうな見た目とは裏腹に綺麗な内装をしていた。この辺の商店街とは合わない、少々洋風な内装だ。たくさんの本が並べられていて、それらには値段が書いてある。
俺は本なんて読まないけれど、その値段が書かれた紙に釣られて本を手に取ってしまった。中身は白紙である。それなのに、値段は数百万円。いったい誰が買うって言うんだ? 読書家だったら無を読むとか意味の分からないことを言って買いそうなもんだが……
「あら、お客さん。いらっしゃいませ」
そんなことを考えていると、背後からそう呼ばれた。振り向けば、そこには長い黒髪の女性が立っていた。豊満な体つきに、整っている顔。良いオンナじゃん、と思った一方で、少しの不気味さも感じた。あまりの美人はときに不気味なこともある、といったところか。
「あのー、ここって人生が売れるんだよね?」
「はい、ここではお客さんの人生を売ったり、買ったりしています。もちろん、あなたの人生を売っていただいても構いませんよ」
「えっと、それじゃあ、査定だけでも……」
そう言ってカウンターに向かうと、女店員はにこりと微笑み、一冊の本をカウンターに置いた。それをぺらぺらと捲ると、何度か頷き、分かりました、と言った。不思議なことに、彼女の持つ本には何も書かれていない。何を読んでるっていうんだ?
そんな微々たる不安は、次に女店員が口にした査定額で吹っ飛んだ。俺の給料十年分だった! もちろん、アルバイトの身だから億万長者とは行かなかったけれど、この店に置いてある本には敵うくらいだった。
この白紙の本を渡すだけで、たったそれだけで、ウン百万が手に入る。俺は高揚感に駆られ、二つ返事でその本を差し出した。女店員は嬉しそうに眉を上げ、ありがとうございます、と明るい声で言った。
「ところで、他の方の人生は買っていかれますか?」
次に女店員はそんな素っ頓狂な質問をしてきた。せっかく手に入れる大金で別の無駄な紙束を買えって? 気が狂っているとしか思えない。
俺は女店員を鼻で笑い、騙されないぞ、と得意げに言った。女店員は反論するでもなく、そうですか、とだけ答えた。
「ところで、この金って……」
「この場でお渡しいたしますね」
女店員は一度部屋の奥に引っ込むと、大きなアタッシュケースを持ってきた。その中にはたくさんの札束が入っていて、俺は目を白黒させた。映画でしかこんな姿見たことが無い。彼女が一枚一枚数えていくのを止めるくらい、俺は金に夢中になっていた。
「大丈夫大丈夫、どうせ額の分だけ用意してくれたんだろ? それじゃあ貰うよ」
「えぇ、そうですね。では、くれぐれもお気をつけて」
アタッシュケースを閉じ、女店員はそっとそれを差し出した。受け取ってみれば、どっしりと重い。けれどもその全てが金なのだ! そう思えば、重いものも大したこと無いようにさえ感じる。
女店員に礼をして、アタッシュケースを抱えた。これからまず口座にお金を入れに行くところからだろう。いや、現金のままにしておく分も必要だろう。それから、ソシャゲのためにカードに変える分も必要だ――
そんなことを考えていると、重い物を持っているにもかかわらず気分は軽く、足取りも軽く。酔っているからかもしれないけれど。
とりあえずは、ソシャゲであのSSRを引くところからだ。人権キャラと呼ばれているあのキャラを手にしないと何も楽しくない。いくら叩いても手に入れてみせよう。
家に帰って、グッズだらけの部屋で抱き枕の代わりにアタッシュケースを枕にした。翌朝奪われていたら困る。豪遊する夢でも見られるんじゃないかと思うと心が躍った。結局何の夢も見なかったのだけれど。
◆
翌日、ソシャゲより大切なことがあると気がついて、大家さんの部屋へと降りていった。大家さんは顔を顰め、あからさまに嫌そうな顔をした。
「なに、まだ払えないって言うの?」
「これ、延滞してた金っす」
そう言って札束で渡すと、大家さんは握らされた紙と俺とを何度か見たあと、分かったわよ、と言って扉をバタンと閉めてしまった。人はやはり金を貰うとそれを失いたくないと思うものらしい。
次は危うく止まるところだったクレジットカードを使ってガチャを引くところからだ。ピックアップガチャ、と書かれているくせに、排出率は渋すぎる。今までなら溶けていくお金を想像するだけで顔から血の気が引いていったものだが、今はいくらでも溶かせる。そうしていると、想定より早い段階できらきらした画面演出とともにキャラクターが現れた。
「……つまらんな」
俺は気がつけばそう呟いていた。まだお金ならたくさんあるし、天井までだって余裕がある。
「全部引くか!」
ピックアップ対象と書かれているものは全て引いてしまおう。そう決めれば今度こそお金が溶けていくが、焦燥感は無い。鼻歌でも歌いながら石を買い漁る。
全て出したところで、俺は大の字になって大きく溜め息を吐いた。これだけガチャを回せば強くなれるだろう。これからの人権キャラのためにも、この石は大切に取っておこう。
そうして達成感に浸っていると、友人から連絡が来た。連日の呑み会の誘いだ。まったく、酒豪には困ったものだ。
「構わないぜ、今日は俺の奢りな、と」
その発言にトークルームが賑わう。金無いくせに、とか、酒買える歳じゃないくせに、とか言ってくるが、そんなのはどうでも良い。
金ならあるんだよ。オンナ連れてこいよ。そう書けば、すぐにトークルームは揃って俺への感謝でいっぱいになった。
ガス代も電気代も払って、身支度を整えようとする。思えば、俺はずっと服を買っていなかったっけ。そう思って服屋に行って、有り余るほど服を買い込む。それから梯子するように美容院に行く。最近のトレンドだけは知っているから、きっとこれで良いオンナも捕まえられるだろう。
定刻になり、俺を見て友人たちは目を丸くした。それもそうだろう、まさに今の流行りといった格好をした男が立っているんだから。髪を掻き分け、わざとらしく片方の口角を上げて見せる。
「やべーじゃん、何のバイトやったの?」
「そいつァ……内緒だよ」
同じように金持ちになられたらこの憧れの目線は得られないだろう。女の子たちもこちらを見て目を煌めかせている。ファーストコンタクトは完璧だ。
大人数用の部屋を貸し切って、酒を浴びるように飲む。友人たちは好きなだけ酒を頼み、そのたびに俺に恭しくお辞儀をする。オンナたちは俺にボディタッチをしてアピールをしてくる。
「ねーねー、そんなにカッコよくなるのに大切なことって何?」
一人の女の子がそう言ってくる。俺はそんな彼女の肩を抱き、できる限りのハンサムな笑みを作って見せた。
「人生全部金だよ!」
カッコいい、と声が上がる。視線は全て俺に集まっている!
それから、友人たちが酔い潰れ始め、女の子たちが去っていく中、一人の女の子が俺に寄ってきた。
「ねぇ、ホテル行こ?」
「酔っちゃったの? 可愛いね」
会計のトレーに金を叩きつけ、一人のオンナとホテルに向かう。彼女が出来るなんて、人生で初めてだ。
大丈夫、ここで金を叩いたってまだまだ金は腐るほどある。どうやって金を得たかなんてことはどうでも良い。今が幸せなら、それが人生の全てだ。
◆
ホテルで目覚める。気持ち良い朝だ。二日酔い気味ではあるけれど、隣にオンナが寝ているのは良い気分だ。
先に起きていたらしい彼女に話しかけると、彼女は震えていた。どうやらスマートフォンを眺めているらしい。
「ん? どうしたの?」
「こ、これ……! あたしたちじゃない……!?」
そう言って彼女が見せてきたのは、昨日個室で酒を呑み交わしている俺たちが映った動画だった。第三者が映しているのだろう、誰が撮っているかは分からない。
しかし、問題はそこだけではなかった――ハッシュタグに、「未成年飲酒」と書かれているのだ。
慌てて彼女からスマートフォンを奪い取り、コメント欄を眺める。すると、そこには俺たちの個人情報が書き込まれていた。俺が誰で、どこの学校に通っている何年か――そして、俺がまだ十九歳であることも。
すぐに火消しに走った友達がいるらしく、このデータはデマだと言っているが、炎上は止まらない。同じ大学の生徒らしき人たちまで出てきて、自分のことを糾弾している。
「あ、あたしも未成年だから……書かれてる……」
そうだ、隣で寝ている彼女も未成年だと言っていた。コメント欄を辿ってみれば、確かに彼女の情報も書き込まれている。
トークルームを見れば、友達がリンクを貼ってくれていた。そこにはさっそく、大手のニュースが俺たちの動画を取り上げていたのだった。店側が必死に謝罪する投稿を繰り返している。
別のトークルームでは、両親からの連絡が溜まっている。メールでは、学校から呼び出しの連絡が溜まっている。
いったい誰が、こんなことを? 誰が撮った? 誰が投稿した? 賠償責任がかかるのか? そんな疑念がいっぺんに襲ってきて、布団にスマートフォンを落とすほど手が震えていた。
服を着たオンナは泣きながら、あたしどうしよう、と言って俺を抱きしめる。俺も服を着て外に出ると――パシャリ、どこかから写真を撮られた音がした。それは一つではなかった。
多くの気持ち悪い顔をした男たちが、俺のことをこっそり撮っているのだ。それはもちろん、隣のオンナのことも。俺たちは視線から逃げるように走り去った。気がつけば、商店街の閑散としたところに辿り着いていた。
そこには、俺が一昨日訪れた本屋が構えてあった。相変わらず幟には「あなたの人生、高値で買います」と文字が書かれていた。
その文字を読んだ瞬間、嫌な予感がして、背筋を凍らせた。俺の人生は、今私刑によって終わりつつある。それは、俺が酔った勢いで人生を売ったからではないか……?
店の中に飛び込むと、また美人の店員が俺を迎え入れた。気味の悪い左右対称な笑みを浮かべ、いらっしゃいませ、と言う。
「おい、おい、お前! 俺の人生を返せ!」
「申し訳ありません、昨日売れてしまったんです。別の人の人生なら売っているのですが……」
目を剥き、他の本を見る。相変わらずウン百万の文字が書かれている。それを買うお金は、今の俺には……無かった。
「どれが一番安いんだ!」
「一番安くてそちらになっております」
「俺は……俺は……どうしたら良いんだよ!?」
「またいつでも人生をお買い上げくださいね」
優しい声でそう言い、女店主はカウンターから奥へと戻っていく。
待て、待ってくれ。俺の人生を返せ。俺はこれからどうしたらいいんだ。金を稼ぐことだって、身バレすればできない。親は、学校は、俺を見捨てるだろう。
隣のオンナがあまり煩く泣くので殴れば、オンナはキィッと金切り声を上げて去っていった。俺はそのまま血眼でカウンターを叩き、店主を呼び続けた。
「俺に人生を売ってくれ! 頼む、何でも売るから! 頼むよ、なぁ、俺に人生を売ってくれ──!」
虚しい叫び声が、誰もいない店内に響き渡る。反響して、永遠に。永遠に続く。
あなたの人生、買います。 神崎閼果利 @as-conductor
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