ちいさなゆうき

サイノメ

ちいさなゆうき

 トンネルを抜けるとそこは小さな商店街だった。

 いつも通る道に、いつも通うお店。

 僕はいつもの様にその場所へ向かう。

 なぜって?

 それが僕の日課だから。

 そこで夕食の食材を買う。

 人参、卵、豚肉、キャベツにじゃがいも。

 今日も夕食は大好きなコロッケに違いない。

 いつもの様にレジでお金を支払い、お店のビニール袋へ買った物をつめてもらう。

 うれしいなと僕はそう思う。

 少しの嬉しい事と平和な毎日。

 それは間違いなく幸せな日々なのだ。


 どこかに何かを忘れてしまった様な気もするけど、多分問題ないだろう。

 だって、それを思い出そうとすると不安になってしまう。

 つまりはことなのだろう。


 僕はこの幸せな日々が続くように毎日少しづつ努力していけばいいんだ。

 それで間違いは無いと僕は生きていた。


 だけどあの日、オレは出会ってしまった。

 自分の運命の分かれ道に。


 いつもの様にトンネルを抜け商店街へ入ろうとした時、不意に見慣れないモノを見かけた。

 背の高さは僕と同じくらい、短パンにパーカーを着込み、目深にキャップをかぶる女の子。

 身につけているものは男物ばかりだけど、体つきから間違いなく女の子だ。

 だけど普段はこんなところに女の子はいない。

 ここにいたのであれば今まで何十何百回と通ったこの道で気が付かない訳がない。

 つまりは事象。

 とっさに逃げようと思ったけど、足が動かなかった。

 いや、僕は彼女から目が離せなくて、逃げることを自ら拒否していたんだ。


「九堂勇気。」

 突然、目の前の女の子が僕の名前を口にした。

 少し低く抑えたようだけど、キレイな声。

 でも僕の名前がなんで出てくるのだろう。

 何百何千回と繰り返してきた中で一度も出会ったことが無い女の子が僕の名前を知っているのだろう。

 僕が反応に困っていると、また彼女は僕の名前を呼ぶ。

 さっきより力強い声はもしかしたら少し怒っていたのかもしれない。

 けど僕は初めてあった人に突然自分の名前を呼ばれた時の対応なんてわからなかった。


「く・ど・う・ゆ・う・き!!」

 3度目は完全に怒っているのだろう。

 大声で1字ごと区切りながら僕の名前を呼ぶ。

 帽子の影からちらりと見えた瞳が怒りに燃えている様に見えた。

 その眼力に気圧された僕は小さい声で「はい」と答える。


「なんだ、聞こえていたのか。」

 返事を聞いた彼女は拍子抜けしたようにそう言った。

「聞こえていないと思っていたの?」

 恐る恐る聞く僕。

「ああっ、いつもはオレの事が見えなてないかのように素通りしていたからな。」

 女の子は意外なことを言う。

 流石に毎日この場にいる人に気が付かない訳がない。

 それを素直に言葉にして彼女に伝える。

 どちらかと言えば引っ込み思案な僕としてはそうやって伝えることは珍しい。

 ましてや初対面で一人称が「オレ」のボーイッシュな姿の見知らぬ女の子を相手にすんなり受け答えできるなんて。

「今の世の中なんて、自分に必要なことしか見えない、聞こえないなんて日常茶飯事だからな。」

 そういいながら女の子が人差し指でクイッと帽子のつばを下から押し上げる。

 大きな瞳に、小ぶりだけど筋の通った鼻。

 女の子の顔立ちは全体的に言えば整っており美人(この場合は美少女かな)と言って良かった。

 こんなキレイな子なら、今まで気が付かないほうが不自然ではないかと思った。

「何度もすれ違っているからオレは君の名前を知っているんだよ。」

 僕の心を見透かしているように彼女が話しかける。

「でもすれ違っているから名前を知っているっていうの、おかしいくない?」

 僕は僕で昔からの知り合いであるかのように会話しいる。

 そこに違和感とかはない。むしろそれが自然な感じだ。


「覚えてないなら仕方ないか。」

 当然のことの様に女の子が答え「でも」と続ける。

 何のことか分からないが僕はその先が気にかかる。

「気になるならオレについて来なよ。」

 そう言うや彼女は駆けだす。

 軽いステップで走っている様だけど、僕は全速力で走ってようやく後を追えるほどのスピード。

 目の前の景色が素早く過ぎていくその光景は普段見慣れたものであるはずが何か異質なものに見えた。

 商店街の脇へとつながる小道へと女の子を追いかけて入った僕は驚く。

 そこは見慣れない景色が広がっていた。

 背の高い雑居ビルに囲まれた敷地にぽつんと1軒、1階建ての古い家がある。

 正面はお店になっているらしく背の低い棚かワゴンが置かれ、その中には古い日に焼けた本が無造作に積まれている。

 見慣れない景色にあっけにとられた僕は、全体を見ようと首をめぐらす。

 そして正面の日よけの上にかけられた看板を見つける。

『古書店 回天堂』

 古い木製の看板にはそう書かれていた。何か懐かしい物を感じる名前だった。

 ふと先ほどの女の子がどこに行ったか気になり、改めて彼女を探す。

「来たね。こっちだよ。」

 それを待っていたかのように店の中から女の子の声が聞こえる。

 その声に誘われるように僕は店の敷居をまたぐ。

 店の中は明かりが無いが真っ暗と言うわけではなかった。

 左右と中央に大きな本棚が並び、その中には雑多な本が無造作に並んでいた。

 巻数が歯抜けになっているコミックや小説。

 店構えには不似合いな最新技術を解説する技術書。

 中にはいつの時代かも分からない和綴じ(だと思う)の本なんかもある。

 ところでこの本屋さんの間口はどのくらいあるのだろう。

 外から見えた大きさよりははるかに長い気がする。

「おーい。どこにいるの?」

 僕は次第に心細くなっていき思わず声が出た。

 その声はまるで周りの本に吸収されるている様に感じる程、静かだった。

「おや。お客さんかね。」

 ふいに聞きなれぬ声をかけられた。

 ぎょっとして前を向くと腰の曲がったおばあさんが立っていた。

 一体いつからそこにいたのだろう。さっきまではいなかったはず。

「あ。お客と言うわけではなく、女の子に誘われてここへ来たというか……。」

 しどろもどろに答える僕。

 女の子と話している時はなぜか問題なかったが、僕は元来人見知りが激しい方だった。

 そんな僕が先ほどまで認識していなかった人に急に尋ねられたんだ。

 逃げ出さずに答えただけでも誉めて欲しいと思う。

「ああ。かね。」

 おばあさんは意味ありげにうなずく。

「ここはね。その人に必要な本が集まる古書店だからね。」

「必要な本って何ですか? 受験対策の参考書とかですか?」

 僕は意味が分からず聞き返す。

「それは、その人次第さね。ある人は参考書。別の人には誰かの日記帳。読めもしない古文書なんて場合もあったかね。」

 顎に手を当て楽しい思い出を思い出すかのような笑みを浮かべて話すおばあさん。

 いまいち要領を得ない僕は少しだけ嫌な気分になった。

 聞き返した手前、そんなことを言えた義理ではないが僕が本当に聞きたいことはそれではない。

「本当に必要な事はオレの事じゃなくて、じゃないの?。」

 また別の方向から声が響く。

 振り返るとあの女の子がまた帽子を目深に被って立っていた。

「えっ、どういうこと?」

 僕は聞き返す。

 僕が自分自身の何について知りたいというのだろうか。

 確かに小さな日常の繰り返しだけど、そこに幸せがあるのに。

「そのが、キミのクサビなのかもよ?」

 女の事が僕の考えを見抜く様に話す。

「そうだねぇ、クドウユウキ君。君は本当に今が幸せなのかな?」

 おばあさんも話しかけてくる。この人もなんで僕の名前を知っているのだろう。

「あのー。お二人ともどこかで会ったことありますか? あるのならいつ会ったのか意地悪をせずに教えて欲しいんですけど。」

 僕はたまらず二人に叫びかける。

「会ったかもしれないし、ないかもしれない。」

「それを知るためにも君はもう少し自分の立場を知る必要があるよ。」

「ワタシの店はその為にあり。」

「オレはそこへ導くためにここに来た。」

 おばあさんと女の子が交互に話しかけてくる。

 その内容が理解できずに僕はうずくまる。

 いったい何をどうすればいいんだ。

 頭を抱え悩む僕にすっと一冊の本が差し出される。

 思わずその本を受け取り僕は顔を上げる。

 そこには満足そうな笑みを浮かべた女の子がうなずく。

 読めと言うことだろう。それ以外に選択肢がないと感じた僕は意を決して改めて本を見る。

 かなり古い本らしく擦り切れていてタイトルが読み取れない。

 装丁もボロボロで大事に扱わないとバラバラになりそうだった。

「そうそう。大事なモノだから丁寧に扱って。」

「壊れたら2度と手に入らないモノだからね。」

 二人の声が店に響く中、僕は本を開く。

 1ページ、2ページと読み進むうちに僕の中に何かが入り込む。

 イヤ、思い出されていく。

 ここは現実ではないし、オレもこの姿じゃない。

 オレはフルダイブ型RPGをベースにしたVRシティを作る計画のプログラマーだった。

 フルダイブ型RPGのシステムがある程度の成功を収めたことで始まった副次プロジェクトだが、それは年配者に向けたノスタルジックな街並みを体験する物であった。

 オレはそのテストとして商店街で買い物をして、自宅に戻り夕食を食べるという簡単なミッションを組みそれの検証を行ってみた。

 トンネルを抜けるようなイメージを経てVRシティへと入ると、そこはオレの故郷に瓜二つの街並みが広がっていた。

 その郷愁に誘われオレは夢中でミッションをこなしていくうちに、ここから離れがたくなっていった。

 現実世界での様々な軋轢やフラストレーション。それらがこの世界にはない。

 オレはこの世界では子供のままであり、ミッションを繰り返し続ければ少しの努力で延々と小さな幸福を手に入れられる事が出来る。

 いつしか現実の事を忘れて僕はこの世界に入り浸っていた。

「それで君は満足していたかもしれないけど、それを許さない人もいるんだ。」

 女の子が話しかける。

「それで君たちはオレを迎えに来たの?」

 覚悟を決めて確認をする僕におばあさんは意外な事を告げる。

「なに。ワタシたちは通りがかっただけよ。『古書店 回天堂』は必要な本を必要な人に届けるのが使命だからね。」

 意味が理解できない僕は改めておばあさんに意味を聞こうとしたが、女の子が突然、強く僕の背を叩く。

 思わずよろけた僕は女の子の方を見る。

 彼女は力強い瞳をこちらに向けていた。

「ほら。そろそろ時間だよ九堂勇気。名前に負けない様に小さな勇気だしてみなよ。」

 そういうとサムズアップしながら笑顔になる。

 その笑顔に促されるように僕は前を向く。

 その先には今までなかったドアが有った。

 オレはそのドアのノブに手をかける。

 ゆっくりとドアを開くとそこは光に満ち溢れていた。

 光が強く何も見えない。それは光り輝く闇とも言えたがオレは意を決して足を踏み出した。

 過去の景色は甘美な思い出となり、オレは自分の希望の為に名前のとおり勇気を振り絞って歩き続けるだろう。


「行っちゃったね。」

 ドアが消え、元の薄暗い空間となった回天堂にて少女が呟く。

 役目とは言え親しくした人との別れは少し寂しい様だ。

「それがワタシたちの役目だからね。」

 店主の老婆が孫娘の呟きに答える。

 回天堂は必要な書物を必要な人へと届ける。

 それは書物の形をした記憶かもしれないし、他の何かかもしれない。

 しかし、二人は人々と出会いそれを届けていく。

 それが例え荒廃した未来であっても。

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