父と息子の内緒の話
呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)
第1話
本は魅力的だと思う。
そのときの気分で読みたい物語を選べるし、ランダムで手に取ってもどこかへと
時空を越えて過去へ連れて行ってくれたり、存在しない世界へ旅立つことだってできる。
だから、ストレス発散がすっかり読書になってしまった。
休日の晴れた日に、リビングでソファーに座り頁をめくる姿は、息子にはさぞ不思議だったのだろう。
「父さんって、いつも本を読んでいるよね」
妻が下の子と一緒に出かけた昼下がり、夏休みの宿題をすると言って家に残った長男が、ため息混ざりに言う。
宿題のお供がなくなったのか、冷蔵庫を開け、麦茶をコップに注いでいる。
「読書感想文って聞くだけでも俺は憂鬱なのにさ、休みの日にわざわざ本を読むなんて……ホント物好きだよね……」
確かに自分も義務教育のころはそうだったかもなと、懐かしい記憶の扉を叩く。
「
笑いながら答えたら、『はぁ?』と驚きの声が聞こえた。
「いやいや、俺も信也くらいのころは同じだったな~と思ってさ」
「嘘だろ?」
「ホントだよ。いつからだったかなぁ……本を読むようになったの……」
「へぇ、信じらんない」
無関心そうに言った信也は麦茶を冷蔵庫に戻し──いつの間にか注いだ俺の分のグラスを目の前に置いた。
「どうしたら『読みたい』って思えんの?」
そう問われ、俺自身、何がキッカケだったかと頭の中の引き出しを開ける。そして──。
「あ」
「ん?」
思い出したものの、口にするのをためらう。
けれど、信也を見上げれば『はやく教えろ』と言わんばかりの表情。
「恋……かな」
「恋?」
『母さんには内緒な』と釘を刺し、昔話を開始する。
高校生時代に一目惚れをした。学校帰りにたまに見かけた同年代の女の子。
制服が近くの私立校で、面識を持つのはなかなか難しいと思いつつ、何とか話したいと接点を探す日々だった。
ある日、彼女は本屋に立ち寄ったんだ。流れるように俺も入って行って、遠目から彼女を眺めた。何とか話せないかなと、タイミングを計ったんだ。
そんな日が何回か続いて、彼女が読んでいる本にも興味を持った。でも、遠くからでは、彼女が何の本を見ていたのか知ることはできない。だから、彼女が本屋を去ったあと、彼女が立っていた場所に行って、どんな本なのかと色々手に取った。
何ヶ月か続いて、店員は俺の不審行動に気づいていたらしく、声をかけてきたんだ。
『これ、あの子が買っていた本ですよ』って。
びっくりしたし、多分、顔も真っ赤になってた。ただ、自分の感情以上に彼女の見ている世界を知りたくて、その本は即買い。
不思議なものでさ、それまで本にまったく興味がなかったのに、すっごくソワソワして本を開て読んだ。
結局、高三になったら彼女の姿はまったく見なくなって、卒業したのだと知った。だけど、彼女の読んでいた本は想像以上に楽しくて、今度は『彼女ならこんな本を読むかな』って、新刊が出る度に選んで読むようになっていたんだ。
「で、それ以来すっかり本が好きになって今に至る……って感じかな」
相槌を適度に打ちながら聞いていた信也は、『へぇ~』と感嘆のため息をもらすと、
「アオハルじゃん」
と、呟く。
信也にからかう意図はなかっただろうが、俺は大変照れた。だから、話すかと迷ったのに。
「ま、まぁ、だからきっと、信也もキッカケさえあれば本の楽しさがわかるようになるよ」
本を置き、テーブルの上のグラスへと手を伸ばす。
「父さんみたいなアオハルはきっと無理だからなぁ……仕方ないから、俺のキッカケは父さんでいいや」
『今度、お勧めの本教えてね』と、まるで妻への口止め代を請求するかのように信也は宿題への協力を要請する。
やきもち妬きの妻への口止め料が本代なら、安いものだ。
「なるべくはやく用意する」
俺の返答に満足気な表情を浮かべた信也は、カラリと涼し気な音を鳴らしながらリビングを後にしていった。
ローテーブルを挟んだ向かいには画面の暗いテレビ。鏡のように、アオハル時代からはくたびれた自身の姿が映る。
いつの間にか高校生から倍の年になったが、しがないおじさんで満足できているのは一重に妻のお陰だ。
「妻と仲良くなったキッカケも、本だったな……」
けれど、それは俺が本の虫になったあとの話だ。
それに、信也は知らない。
妻が俺以上の本好きであること。
今は寝る前に、寝室で本を読むのが楽しみだということ。
一冊を読んだあとに目をキラキラとさせて感想を語る彼女は、一生俺が独り占めするのだ。
父と息子の内緒の話 呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助) @mikiske-n
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