ある本屋の最期

サドガワイツキ

第1話

 今はもう、本を買うにしても通信販売で送料もかからずに手軽に注文することが出来る。

かくいう俺も本屋というものに通わなくなって久しいが、高校生や大学生の頃はよく本屋に通っていた。


―――幼馴染、朽木言葉の実家でもある朽木書店に。


 散歩を兼ねて久しぶりに歩いた商店街は半ばシャッター街となっていて、冬が近づいた夕暮れ時の寂しさと合わさってより閑散としているように感じる。

 そんな商店街の端まで歩くと朽木書店はあるのだが、いざ来てみれば開店休業という様子で記憶の中よりも随分くたびれて見えた。入り口から奥へと細長い造りの店内は薄暗く、人の気配を感じさせない。

子供のころから入りびたっていた思い出の場所で……俺がここに来ていたころはまだ中高生の賑わいもあったんだけどな。最後に来たのは大学2年生の頃だからもう3,4年ぶりになるだろうか?


 この店がこうなった遠因は俺にもあるのだが、言葉の浮気が原因なのだから俺からしたら因果応報だと嘲笑してもいい所なんだろう。

 いざ成し遂げてみると思ったほど何の気持ち湧かないが。

 そうして少し足をとめていたからだろうか、店の奥から俺と同じ年頃の女が出てきた。


「シュウくん……」


 田所修二という俺の名前を敢えてシュウくんと呼ぶのは、一人だけしかいない。

 長い黒髪を結んだ、地方アイドルと言われれば納得してしまいそうな程には整った見た目の美人、おれの幼馴染で俺を裏切った女、朽木言葉だ。

 少し頬の肉が薄くなり、目の下にもクマがあるのは心労からだろうか?無地のロングTシャツにパンツスタイルに朽木書店と書かれたエプロン姿は、大学生時代の華やかなイメージとは随分乖離している。


「朽木か。久しぶりだな」


 どの口で俺をシュウくん、等というのかと言いたくもくなるが、言葉にとってはそんな事を考える余裕もないのだろう。こうして面と向かって顔を合わせるのは、大学生の事言葉の浮気が発覚して別れて以来だろうか。

 俺も言葉も互いに無言だった。今更言葉と話すつもりもないし、今日の俺はじきになくなるこの本屋の最期をみておこうと足をはこんだだけなのだから。


「ごめんね……あの頃の私バカだったから」


 沈黙に耐えきれなかったのかそう謝りはじめる言葉。

 そうだな、本当に馬鹿な女だ。幼稚園から大学までずっと一緒の幼馴染で恋人だった俺を裏切り、大学に入ってからもう一人の幼馴染だった男に身を委ねた挙句に浮気の責任を俺に転嫁しようとして失敗、結局大学での居場所を無くしたのだから馬鹿としか言いようがない。

 もう一人の幼馴染だった“アイツ”は俺と言葉の関係に横恋慕してたんだよな。俺は言葉の親父さんからと節度ある付き合いをしてくれと頼まれていたからキスまでしかしていなかった。我ながら律儀だったと思う。

 そこから“アイツ”にいいように丸め込まれて俺と付き合う裏で好き放題にしていたんだよな、お前。思い出したくもない記憶が幾つも甦ってくる。


「過ぎた事だろ。悔やんでも仕方がない」


 時間は戻らないのだからという意図で言った言葉に、なぜか安堵する言葉。別にお前を許すと言ったわけじゃないんだけどな。


「うん……そうだね。ねぇ、久しぶりに話をしない?よかったら上がって―――」


「いや、遠慮しておく」


 言いかけた言葉を遮るが、そんな俺の態度に哀しそうな音をする言葉。


「そ、そう。……この店も、もう来月には更地になっちゃうから、好かったらって思ったんだけど……」


「知っているよ。だからここに来たんだ。なくなる前に一目見ておこうと思ってな」


 そんな俺の台詞に、何かを察したのか悲痛な顔をする言葉。

 あぁ、知っているよ。共通の友人からお前の現状は聞かされていたからな。

 言葉を俺から寝取った“アイツ”は大学を卒業した後、お前と結婚する予定だったんだよな。それが業績の悪化と貸し剥がしで経営が立ち行かなくなり、瞬く間に倒産に追い込まれた。

  当然、婚約は破談になり、しかもお前は“アイツ”から一部の借金の連帯保証人になっちまってたからこの店も、家も、土地もすべて巻き上げられるんだよな。

 アイツの親父さんは命を絶ち、アイツの一家は離散したことも。そしてお前を置き去りにして逃げたアイツ自身は落ちるところまで落ちぶれて、警察のお世話になっていることも知っているよ。俺の仕事柄、縁あって調べたからな。

 お前の親父さんが生きていたらさぞ悲しんだろうに……認知症でグループホームに入所お前の御母さんも、元気だったら嘆いただろうに。


「そう、なんだね。……ああっ、私ホントバカだったなぁ」


 そう言ってすすり泣きを始める言葉。

 やめてくれ、耳障りだと思うがわざわざ口に出すのも疲れるので好きにさせておく。

 ……聡い言葉の事だ。この現状を作り出したのに俺が絡んでいると理解したのかもしれない。


「なんで私、あの時、あんなこと……シュウちゃんを裏切っちゃったんだろう」


 そうだな。

 もしお前が俺を裏切らなければ、地銀に就職した俺が“アイツ”の実家の貸しはがしをすることもなかったかもしれない。少なくとも、あの頃のままの俺だったなら、裏切られるまでは親友だと思っていた“アイツ”の実家を助けれるように奔走していただろう。

 爺さんのコネを使って、“アイツ”の会社を立ち直らせるように企業間を結びつけるようにしていたかもしれない。事実、そう言う手も思い付きはしたが労力とリスクを総合的に考慮してそうはしなかった。“アイツ”を親友だと思っていたころの俺ならそれでも断行しただろう。しかし今の俺からしたら“アイツ”は憎い相手でしかなかったし、結局貸し剥がししてしまえば債権は全て回収できる状態だったのだから、無理をする必要もないと容赦なく貸し剥がしをした。


 お前との将来を描き努力していた真っすぐな俺のままだったら、やっぱり今と同じようにこうして地銀に就職していたと思う。爺さんが地銀の役員を歴任していたコネがあるというアドバンテージがあり、あまり知られていなかったが地元の名士たちにも顔が利くからだ。だから、今と同じように出世街道を走っていただろう。

 この本屋も借金のカタに取り上げられることも、更地になる事もなかっただろう。

 お前の親父さん亡き後に心労でお前の御母さんが認知症を発症することもなかったかもしれない。あるいは、もっと先まで発症しなかったかもしれない。

 

 ……子供のころからの夢のままに、俺とお前は結婚して、ごく普通の家庭を築けていたかもしれない。もしかしたら今頃は俺達に子供が出来ていたかもしれない。


―――でもそうはならなかったんだよ。


 たらればの話をしても仕方がない。

 俺の中にあったのは、あの日お前の誕生日を祝おうとお前のマンションを訪れた時にみた、裸で抱き合っている“アイツ”とお前の姿だけ。驚いた後、言い訳を並び立てるお前、俺を嘲笑する“アイツ”、そしてそれに耐えきれずにプレゼントを取り落としてその場を去った後にとめどなく流れた哀しさと悔しさの涙の熱さだけ。

 それから俺がお前に暴力を振るっただとかのあらぬ噂をサークルや仲間内で流されたことと、その出所がお前達だと知ったときの絶望と怒り。

 大学でも悪評を広められ、精神的に追い詰められていった事。そんな俺を嘲り、罵倒する“アイツ”とお前の姿。

 友人たちに助けられ悪評の出どころがお前達であると明るみにならなければ大学を中退するか、人生を考えるかまでを追い詰められた日々。

 寝取られたこと、までは仕方ないで済ませても良かった。しかしその後に徹底的に俺を追い込もうとしてきたことで、俺は“アイツ”とお前が許せなくなったんだ。

 自分の命を終わらせるくらいなら、お前たちを終わらせてやると。

 

 俺はあの日から、お前たちに報復するためだけに必死に勉強し、そして我武者羅に働いた。

 使えるコネは使い、能力以上の仕事をこなし人を蹴落とし出世コースにのってきたのも全部、お前たちへの意趣返しのため。

 昼夜問わず働き続け、同期からは仕事のためだけに生きている男なんて揶揄されながらも働き続けたのは、俺自身の立場を固めるため。

 ただひたすら、“アイツ”とお前にされたことを倍返しにするためだけに。


 全ては、この時のために。


 ただそれもやり遂げてみると、思ったよりもあっけないものだ。こうして泣く言葉を見ても、胸に去来するのは達成感よりも虚無感しかない。

 立ち尽くし、泣く言葉を背に歩きだす。今後、はもう会う事はもうないだろう。これから言葉は自分の母親の施設の入居費用や身の振り方などを考えなければいけなくなるだろうが、それは俺の知った事ではない。


報復というのも虚しいものだな、と思いながら、俺はコートに手を入れ木枯らしがふく道を歩いていくのだった。

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