かなえた夢のその先に
翌日、花菜が紹介してくれた人と僕は、顔を見た瞬間、二人して固まってしまった。
花菜の言った素敵な人は、男性ではなく、小さく愛らしい女性だった。長い黒髪が、さらりと揺れる。
「ひ、久しぶり」
思わずどもってしまう僕と、口元を抑えたまま何も言わない彼女。言わない、でなく言えない、か。目尻に涙が浮かんでいる。
「こんなところで会えるなんて、思ってもなかった……」
これは……。彼女も会いたいと思ってくれていたってことなんだろうか。
何から話そうか、と言い淀んでいると。
「え? なに? 彰にいと佳苗さん、知り合いなの?」
二人の顔を見比べながら、花菜が口を挟む。
「あの、……昨日話してた人なの」
彼女が小声で花菜に言う。
昨日話してた……。僕の話を?
「え? ええ!? えええ〜〜〜!? どういうこと? 同じ夢を見てたっていう人ですよね? はつ……」
「ちょっと待って!」
彼女に遮られ、一旦口を閉じたものの、花菜は首を捻って何か言いたげにぶつぶつ言っている。
「やっぱりおかしい! 二人とも夢をかなえたならどうして?」
「何が? お前はさっきから何を言ってるんだ?」
「あなたも夢をかなえたんですか? 今日は他の店の偵察に来たってことですか? どちらに店を?」
遠巻きに見ていた哲希がやんわりと口を挟むと、今度は彼女が首を捻った。
「店?」
「本屋、なんでしょう?」
「本屋?」
彼女が不審気に僕に視線を投げてくる。
「何言ってるのよ。佳苗さんは、翻訳家よ! 同じように翻訳家を目指してる高校の時の同級生がいたって 、昨日聞いたよ。夢を諦めなかったらいつか会えるかもって、頑張れたんだって」
その言葉を聞いた僕は、あの橋の上での会話を思い返した。彼女もそうだろう。視線が記憶を辿るように浮遊する。
あの時。
「あのね、本屋……」
彼女が言いかけたとき、川下からびゅうっと吹き抜けた風で、彼女の長い髪が巻き上がり、きちんと聞きとれてなかった?
「……になるのが夢なの」
その続きはしっかり聞こえていたのに。本好きで図書委員の彼女。彼女には言ってなかったけど、本屋の孫の僕。
「風できちんと聞きとれてなかった僕が、勘違いしちゃったのか……」
同じ夢、と言ったのは僕だ。彼女は、「ほんやくか、になるのが夢」だと言ったんだ。
「本屋と翻訳家。つまり、彰にいには、ほんや、までしか聞こえてなかったのね」
花菜が吹き出した。
「同じ職業の人を探してたなら、それは見つからないわぁ」
「そうだ、ね」
僕はぽりぽり頭をかいた。こんな情けない恥ずかしい話はない。
「でも、運命だよね? そ〜んな勘違いをして、お互い違うところを探してたのに、こうやって出会えたなんて」
僕はちらりと彼女を見た。彼女の視線とぶつかる。あの時と同じ、真っ直ぐな瞳。
思いを告げないまま終わってしまった初恋の、続きを始めてもいいんだろうか。
「君が思ってた翻訳家にはなってない僕だけど、あの時伝えられなかった気持ちを伝えてもいいかな?」
「あなたの夢は、かなえたのよね?」
「うん。まさかの君とは違う夢だったけど」
「よかった。私も伝えたいことがあるわ」
彼女が柔らかく微笑んだ。
「おじゃまみたいだから、私たちは退散するね〜。店の案内も含めて、たくさん話してね」
花菜が哲希の袖を引っ張って出ていき、 誰もいない静かな店内に二人きりになった。
「図書室を思い出すね」
彼女は並ぶ本の背表紙を撫でながら、書棚の間をゆっくりと歩いていく。懐かしさの上に降り積もる愛おしさ。ずっと忘れられなかった面影。彼女にかける言葉は決まっている。
「君と新しく始めていきたい。あの頃からずっと、君のことが好きだったんだ」
彼女は花が綻ぶような笑顔で振り返り、「私も」と小さく応えた。
淡い初恋のその続きを、本に囲まれたこの空間から始めていこう。
僕はそっと彼女を抱き寄せた。
君と同じ夢をかなえたい 楠秋生 @yunikon
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