そして宇宙の果てに触れる

春海水亭

いつか同じ宇宙で会いましょう

 ◆


 書店は宇宙だ。僕が初めてそう思ったのは十三歳の頃だった。


 僕が十三歳の誕生日を迎えて一週間ほど経った頃、郊外に二階建ての大型書店が開店し、僕は一人で自転車を漕ぎそこに向かった。本が特別に好きだったわけじゃない。感覚としては冷やかしのそれだ。僕の住む街は決して田舎ではなかったが、かといって都会でもなかった。何もないつまらない場所で、当時の僕はその何もなさを嬉しがれるほど大人でもなかった。だから、新しいものと聞くとすぐに飛びついていった。


 僕たちの身の回りにある書店といえば小学校前の本屋だけだった。

 新刊書店だというのに薄暗く、埃の匂いがする店である。

 漫画の単行本にカバーがかかっていなくて、金のない子どもが立ち読みに挑戦しようとしては年老いた店主にやんわりと注意される、そんなドラえもんから抜け出してきたような店だったが、その店も僕が十歳の頃に店主の死亡で閉店してしまった。


 そんな店しか知らなかったものだから、僕が初めて大型書店に行った時の衝撃の大きさよ。


 まず、その広さに圧倒される。

 学校の教室一つ分の図書室や、それより小さいぐらいのあの本屋の何倍も広く、そして二階にまでずらりと本が並んでいる。


 読みきれない――真っ先に思ったことはそれだった。


 勿論、図書室の本やそれより小さい本屋の本だって、人生の余暇時間の全てをかけても読みきれるか怪しいものだろう。それでも、その狭さは当時の僕に「まあその気になればいけるんじゃないかな」という楽観を抱かせるには十分なものだった。


 不思議と胸が高鳴った。


 空の果て、陸の秘境、海の底。

 世界には様々な未知があり、そして今この瞬間も消え続けている。

 十三歳の自分ですらそのような未知を自分の目で確かめられない――そのような器であることをわかっていた。


 けれど、人の頭の中だって立派な未知だ。

 例え、隣りにいる人間の頭蓋をぱかっと割って脳みそを覗き込んだとしても観測できるものではない。

 出力された形でしか、人間は人間の未知に触れることは出来ない。


 その未知の結晶である本が、僕の目の前に山のように広がっていた。

 そして――膨張し続けている。


 小学校前の小さい書店は入荷予定などどこ吹く風であったし、図書室だって新刊の入荷は一年に一度程度だ。


 けれど、大型書店は毎日のように自分が読み切れぬ程の量を入荷し続けるのだ。

 宇宙が無限に膨張し続けるように。


 そして、図書館とは違って――その本は自分のものに出来る。

 なんだかそのことに嬉しくなってしまって、金もないのに僕は連日大型書店に通った。


 重力を振り切れない僕が宇宙に向かう唯一の方法だった。

 そして、今でも僕は宇宙を彷徨っている。



「でっかい炎に小さい虫が向かっていくみたいだね」

「ヤな言い方するなぁ」

 僕のあの書店に対する思いが、彼女のその一言であっさり切り捨てられてしまったことを今でも覚えている。

 そんなに間違ってはいないだろうという納得もあった。

 とにかく金がなかったのだ。

 宇宙を削り取り、家に成果物を持ち帰ることは当時の僕には困難を極めるミッションで、十三歳の僕は本当に通っていただけなのである。


 大学生になり、鬱憤を晴らすかのように生活費すらも注ぎ込んで本を買い漁った。安い家賃の狭い部屋には本がうずたかく積まれている。


 彼女も出来た。

 といっても世間一般のカップルよりも繋がりは薄い。

 同じ場所と時間を共有しているだけと言っても過言ではないかもしれない。

 同じ場所に集まって本を読むか、書店で本を買ってはお互いに贈り合っているばかりの関係性だ。

 

 今日も二人で書店に来て、店内で別れた。

 お互いに相手を贈るための本を探している。


「書店が宇宙ならさ、お気に入りの本と巡り合うのって宇宙人と会うぐらいの奇跡だよね」


 けれど、彼女が本当に探していたものは別のものだったことが、今ならばはっきりとわかる。


「自分でもさ、書いてるんだ」

 ある日、スマートフォン越しに彼女が言った。


「書いてるって?」

「小説」

「だよね」

 彼女の書いた小説を読んだことはなかったが、書いていてもおかしくはないと思った。


「なんかこう、箸にも棒にもかからないんだけど、それでも書くのをやめられないんだよね」

「そうなんだ」

 彼女の言葉は熱を帯びることもなく、冷えることもなく一定の温度を保っていた。

 自分と無関係のようなフリをしなければ、自分の中身を吐き出せないようなことはある。


「キミさ、書店を宇宙って言ってたじゃん。そうだよね。元々大きいし、日に日に大きくなっていくし、だから見てて悔しくなる。私もその輪に入れてよって思いながら書き続けてる。数千も数万もある中に、私だけが入れないのが、憎らしくてたまらない」

 私一人分のスペースぐらい余ってるんだからさぁ、と彼女は続けた。


「ごめん、愚痴っちゃった。切るね」

 そして、返す言葉も見失ったまま通話は終わった。

 翌日、彼女は何でも無いような顔をして笑っていた。


 別にそれが直接の切っ掛けではないだろうけれど、僕たちの関係は卒業する頃に消滅していた。


 そして、三十になった今でも僕は宇宙を彷徨っている。

 彼女の本を探しているわけではない、やはりこの書店という空間が好きだからだ。

 彼女も僕と別のやり方で今も宇宙を彷徨っているのかもしれない。


 そんなある日、僕は新刊の著名に見覚えのある名前を見つけた。


 本を手に取ると、無限に広がり続ける宇宙の、その果てに触れた気がした。

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そして宇宙の果てに触れる 春海水亭 @teasugar3g

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