重い本
かさごさか
10時 OPEN、15時 CLOSE
今はシャッター街と化した商店街。2つ目の信号を曲がったところに、こじんまりとしたブックカフェがあった。古本屋を改築したカフェの中は、いつも古い紙の匂いとコーヒーの香りが充満していた。
雇われ店主である照太はドアに掛けてあるプレートをひっくり返し、開店を周囲に告げる。しかし、人気のない路地でOPENと書かれたプレートを見たのは現時点ではカラスだけだった。
それからしばらくして、ぽつりぽつりと客がやって来た。
ノートパソコンを片手に来た客は常連である。コーヒー1杯で4、5時間は居座っている。
新聞だけを持ってきた老人は毎朝決まってモーニングを頼む。新聞を読み終わるとさっさと席を立ち、ポケットから小銭を出して会計をする。
昼になると若い女性が数人ほど訪れる。彼女たちは食事を終えると、きゃらきゃらと会話しながら店を出ていった。あんなに喋り続けながらも皿から食べ物が減っていくのが、照太は毎回不思議に思っている。
閉店時間になり、ドアプレートを再度ひっくり返す。寂れた商店街の片隅にあるカフェは日に2、3人も客が来れば良い方だ。悪天候だと0人の時もある上、そもそも臨時閉店とする時もある。
要は気ままに営業しているカフェである。以前オーナーから店主に任命された時に、
「税金対策でやってる店だから利益はあまり出さなくていいよ」
と言われたのを忠実に守っている訳では無いが結果的にそうなっていた。
店主に任命されたのも、発端はオーナーが数日不在になるため代理を頼まれたところからだった。その間も特に問題が起きることはなく、そのまま成り行きで従業員から店主へと急な昇進をすることになってしまった。
ノリと勢いで進められた話に照太は「はぁ、そうですか」とあまりやる気が感じられない返答をしていた。
諌見照太は流されやすい男である。つり気味の目に今流行りのヘアスタイルをしているため、流行に敏感な今時の若者と見られることが多い。しかし、彼の髪型や個性的な服装は全てルームシェア中の同居人たちによって作り上げられたものである。顔がいくらか整っているため、奇跡的にひとつのスタイルとして収まっていた。
「似合いそう」と言われれば身につけるし、「お願い」されると可能な限り引き受けてしまう。そうして、自分の好みもこだわりもよくわからないまま歳だけを重ねてしまった。
照太自身、ふわふわと生きていることは自覚しているが、それ以外の生き方を知らないので何をどうすれば今の状態を解決できるかがわからない。
店を閉め、精算や諸々の作業を終えた後はいつもぼんやりとそのようなことを考える。考えながら、本棚へと向かい本を一冊取り出した。
ここは元々、古本屋であった。大半は綺麗な状態であるが、中には折れ跡や染みが付いている本もある。今日、手に取った本はそでの下部分に名前が書いてあった。
このブックカフェは閉まるのが早く、夕方にはCLOSEの文字がドアに掛けられていた。
照太は手に取った一冊を持って、本棚の奥へと進んだ。そこはかつて古本屋時代に会計をする場所であった。カウンターの中に置かれた古い椅子に腰掛け、本を開く。ページをめくる音と、カフェスペースから聞こえる時計の音が交互に耳へと運ばれてくる。
この時間がふわふわと生きてきた照太にとって唯一、重石のようなものであった。
古本屋であった名残である本棚にはきっちりと隙間なく本が詰め込まれ、それでも納まりきらなかった本がカウンターの周囲まで積まれていた。古い紙の匂いとカフェスペースから流れ込むコーヒーの香りの中で、照太は文字を指で辿り、本の内容に思考を沈める。
いつもぼんやりと靄がかかったような脳内が、ひとつの内容で染め上げられていくことで明瞭となっていく。
誰かの思考を知る。
誰かの人生を知る。
時に、照太が生きているうちに役に立つことは無いだろうという知識もあるが、構わずに本へと没頭する。
これが照太の日課であった。
物語を、知識を、思考を、読み進めては自身の中に蓄積していく。それが重石となって、いつまでも宙に浮いたままのような感覚が薄れていった。
こうして、毎日閉店後に本を一冊読むことで、照太は地に足がついているという実感を得ることができた。
きっかけはオーナーとの会話からであった。流されるままに軽い気持ちで始めた習慣だったが、意外と長続きしていることに照太自身も驚いている。オーナーにはここ数ヶ月会えていないが、日課となっている話を聞けば同じように驚くだろうか。
本を閉じる。顔を上げれば窓の外は真っ暗であった。カウンター横のライトを消し、スマートフォンのライトを頼りに本を元の位置に戻す。照太の脳内は澄み渡っており、足どりも少しばかりしっかりしているような気がした。あくまでも今朝と比べての話なので、実際のところ変わりないかもしれないが。
照太は一度だけ、ゆっくりと呼吸をした。今日読んだ本の内容を忘れて、また空っぽにならないように。朝が来れば今得た充足感は幾分か減っているだろうけど、少しでも長く重石を抱えていられるように。
本棚の間を通って、床に積まれた古本を蹴り飛ばさないように用心しつつ裏口へと向かった。戸締りをし、帰路へ着く。
寂れた商店街の一角にこじんまりとしたブックカフェがあった。そこの店主は流されやすく、お人好し。最近は少し背筋が伸びて姿勢が良い時が多いらしい。
重い本 かさごさか @kasago210
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