第19話 黒煙と火花
夜遅くに店に来た時は暗がりになっていたので気にも止めていなかったのだが、カフェテラスの一角に大きなピアノが置かれているのに気がついた。
噴水とは違うがピアノも音を出すための装置だと記憶している。
もちろん触ったことはないが、試しにあの装置を利用させてもらおう。
私がネリィの腕をやんわりとよけて立ち上がる。
「あっ、ちょっとリオネル、どこへいくの?」
オフェリエが立ち上がって背を向けた私に慌てて声をかけた。
「オフェリエ、ここにいてくれ。
ネリィ、あれは使っても良いのか?」
「あれってピアノのこと?
ええ、でも、あなたピアノを弾けるの?」
「わからない。
だが少し借りたい。
ネリィもオフェリエと一緒にここにいてくれ」
「え?わからない?
どうして……」
「頼む」
「う、うん。
わかったわ。
いてあげる」
私はピアノの椅子に座り、高さなどを調節する。
魔王のターゲットを拐うために、何度も貴族のお屋敷に侵入した。
お屋敷の警備が手薄な時間を調べるために張り込んで偵察もしていた。
ピアノの持ち主が演奏や練習しているところ、講師がきて指導やお手本にと奏でているところも何度も見たし聞いていた。
だから、装置が出す音色はいくらか聞き知るところだ。
鍵盤を少し強弱をつけて叩いてみると、やはり音の強弱や音質が変わるようだ。
叩く鍵盤の位置によって音階が異なり、その音階は一定であるようだ。
おそらく鍵盤を叩く位置や強弱を変えることで音を響かせ、心地の良い音色を生み出していたのだと思う。
それから、足元にある踏み板を踏むことでも音が変わるから、タイミングよく足の方でも音色を変えるのだろう。
記憶を頼りに聞いたことのある音色の再現を試みる。
鍵盤を叩く指の使い方はおそらく
だが、体の内側にある魔力を使って腕や指の動き、力強さを引き上げているから、音色の方は何とか聞けるものになっていると思う。
この音色でオフェリエとネリィの不穏な会話が途切れてくれればそれで十分だ。
演奏を始めると、私の胸中の黒い塊からとうとうと蒸気が湧き上がる。
集中力を使うため、周りを見ている余裕はなかったが、弾いている間に徐々に通行人達が足を止め、私の演奏を聞いていたらしい。
1曲の区切りまで弾き終えた。
私の指が止まると耳に数十人もの拍手が届き、周りに
私はピアノ講師が生徒である貴族のご子息に教えていたことを思い出し、演奏終了の挨拶として片手を胸にあて、もう片方の手は大きく広げて聴衆やオフェリエとネリィへとお辞儀をした。
拍手が1層強まるとともに、胸の中の黒い蒸気も吹き出ていた。
貴族が厳しい教練を受けてまでピアノの習得を目指すのは、きっと誰かに幸福を届けるためなのだろう。
弾き終わって席に戻ると、オフェリエとネリィは私を見つめていた。
席に着いても何も話さない2人には、私のような素人の演奏など聞き苦しいものであったのかもしれない。
「ピアノには初めて触ったがゆえ、間違った音も多く息苦しかったかもしれぬ。
素人の戯れとして聞き流してくれていい」
「あれが、はじめてですって?
うそをおっしゃい。
いったいどなたがあなたのこうしをされていたの?」
「ピアノの実物に触れたのは本当に今のが初めてだ。
講師も特にいないが、ただ、昔ピアノのレッスンを受けているところが見えたり、聞こえたりする職場環境に居たことがあるのだ」
貴族のお屋敷に忍び込んでピアノのレッスンを見聞きしていたとは言えないが、嘘は言っていないと思う。
「素敵だったわ、リオネルの演奏。
本当に初めてとは思えない手つきだったわよ?」
おそらく手つきに関しては、魔力で強化していたから多少常人より早くみえたのだろう。
「じょうきゅうきぞくのおやしきで、はたらいていたことがあるのですね?
それならすこしはなっとくができますわ。
それでも、ふれたこともなかったのに、あんなにりゅうちょうにひいてみせたのですから、あなたにはてんぶのさいがあるのかもしれませんね」
「いや、まあ、屋敷で働いたということではなく、仕事で屋敷に出入りしたことがあるくらいだ。
それに、見よう見まねで弾いてみただけの私に才覚などはないだろう。
しっかりとしたレッスンを受けられるような身分や財力を持っているわけでもないしな。
そのうち弾き方等も忘れてしまうだろう」
「ええ〜?
あんなに素敵な演奏ができるのに、すごくもったいないわ」
「ええ、そうですわね……。
もし……、わたくしをおばあさまのところまでおくりとどけてくださるなら、そうおうのほうしゅうをおだしすることはできるとおもいますわ。
やしきをもてるくらいのざいりょくには、なるとおもいます」
「ふむ、お祖母様か。
身内がどこにいるのか、教えてくれないか?
可能な限り手を尽くそう……」
私がそう言い終えたか終えないかの
「なんですの?
あちらからたくさんのかたがたが、はしってきますわ」
「ええ、何かあったのかしら?」
オフェリエとネリィも私の後ろ側を気にしているようだ。
振り返ると、オフェリエの言う通り、多くの人が血相の悪い顔つきで走ってくる様子がみてとれた。
「黒い煙。
火事かしら?」
ネリィにもその黒煙が目に映ったのだろう。
二筋の黒煙が上がっており、そしてまさにもう一筋の黒煙が上がり始めた。
近くのものに次々に引火しているのかもしれない。
黒い煙には有害な成分が含まれている可能性がある。
「オフェリエ、ネリィ。
服や布で顔を
毒性があるかもしれぬ。
煙が目や口に直接入るのは危険だ。
ネリィ、お代はここに置いていく。
君も一先ずここを離れよう」
「あ、リオネル?」
「え?
あ、はい」
2人は私に言われたように顔を布巾やハンカチで覆っている。
オフェリエを肩に乗せ、ネリィの手を引き加減をしながらも急いでその場を後にする。
煙が上がっている方向とは逆方向へと人の流れに沿って歩く。
が、風向きが良くない。
後ろから煙が風に煽られてこちらに流れてきている。
人波があるため、進路を変えることも難しい。
「オフェリエ。
しがみついていてくれるか?」
「わかりましたわ」
頭に抱きつくオフェリエに力が入ったことを感じとり、ネリィを抱き上げた。
「え?
ちょっと、リオネル?
お、おろし、おろしてよ」
「ネリィ、口を閉じろ。
舌を噛んでしまうぞ」
人波の中から近くの建物の2階へと跳躍する。
顔の横と胸の前から悲鳴が上がったが、構わず向かいの建物の屋上へと跳躍する。
黒煙が上がるところから遮るもののない建物の上を、風上側に黒煙を迂回しながら走る。
「2人とも、もう布で覆わなくても大丈夫だ」
「ハンカチなんて、とちゅうでおとしてしまいましたわ」
「私も最初に落としたと思う」
「ならば2人とも全力で深呼吸をしろ。
吸い込んだかもしれない煙をできるだけ体外に出すんだ」
私は黒煙など日常茶飯事で、この程度なら問題ないことを知っているが、この2人にそのような耐性があるとは思えない。
できることをしっかりと、しておかねばならない。
2人が深呼吸をしている間、建物の上から黒煙が上がった場所を見てみる。
どうやら商人の馬車が集まる場所で火事が起きたようだ。
いくつかの馬車からは、いまだに大きな火の手が上がっていて、黒煙を吐き続けている。
何かの燃料か火薬を積んだ馬車だったのかもしれない。
微かに硫黄のにおいがしている。
何かが爆ぜる音も聞こえてくる。
この様子だとまだまだ燃え続けるだろう。
「ん?あれは……花火か?」
黒煙の中心、おそらくは最初の発火現場にあたる位置で、赤や黄色の火花が断続的に散る。
商人の馬車が集まっていたのは、王都方面。
私とオフェリエがこの街に来た時に通った門の近くだ。
何かの式典用の花火が積荷の中にあったようだ。
しかし、花火を運ぶなら、積荷は厳重に包装され火器から遠ざけられているはずだ。
となると、誰かが積荷の荷を解いて引火させたのかもしれない。
式典と言えば、もうすぐ魔王の娘、王女フィリスの生誕祭を予定していたはずだ。
残念ながら魔王は死に、そのすぐ後に当の王女も亡くなったらしい。
フィリスには会ったことはないが、魔王はたまにフィリスの名を口にすることがあった。
特に数年前、フィリスが生まれた頃辺りから、私が娘を拐ってくる仕事の依頼が激減した。
それからだったはずだ。
私が本格的に魔王軍の都市侵攻に参加したのは。
異世界召喚された勇者という嵐が過ぎ去った後に残されたもの アルターステラ @altera-sterra
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。異世界召喚された勇者という嵐が過ぎ去った後に残されたものの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます