第18話 不和
時刻はお昼すぎ。
「リオネル!」
ミケルさんの店に戻るとオフェリエが待ち構えていた。
駆け寄ってきたオフェリエが、私の足にすがりつく。
「オフェリエ、少し戻るのが遅くなってしまった。
すまない」
「ぜんぜんすこしじゃありませんわ。
おそすぎます。
わたくし、あなたがなにかよくないことにまきこまれてしまったのかとおもって、しんぱいしておりましたのに……」
「久々の酒に加減が分からず、酒に呑まれてしまった。
心配をかけてしまい本当にすまない」
「わたくしのむちゃなおねがいのせいで、もうもどらないのかと……」
この子は幼くして自分の責任というものを自覚して、その上で背負ってしまうのか。
オフェリエが私の太もも辺りに顔を
震える声。
青白い顔。
太ももが彼女の涙で濡れる。
私の帰りを待っていてくれた。
昨日一昨日知り合ったばかりの
明らかに私の落ち度が大きい。
私がこの子を泣かせてしまった。
誤ることしかできない私の太ももを、小さな手のひらがペチリペチリと力無くたたく。
酒に弱いこと、自分の限界を把握していない状況で無理をした。
だから呑まれてしまった。
オフェリエに心配をかけさせてしまうのも無理からぬ行動であったのだと、遅まきながらに猛省する。
太ももに縋り付くオフェリエには、気が済むまでそうさせておくしかない。
こういう場合、世の保護者達はどうしているのだろうか。
━━
やっと泣き止んでくれたオフェリエと食事をしに来た。
ミケルさんもイオさんも、私が戻っていないというオフェリエにいろいろと世話を焼いてくれていたようなのだが、食べ物も飲み物も何も喉を通らないオフェリエの様子を心配してくれていたという。
気晴らしの散歩も兼ねて、市場の方まで歩き、昨夜酒を飲んだカフェテラスで昼食のサンドイッチを注文した。
注文を書きとめて笑顔で手を振るネリィに手を振り返していると、オフェリエが私のことを睨んでいる気がした。
気の
「いや、その。
昨夜はここで酒を飲んだのだと、先程も言っただろう?
彼女は昨夜、給仕として私に酒を出してくれていた。
ちょうど今出勤してきたところらしい」
「あのかたから、あなたのこうすいのにおいがしたのはどういうことかしら?」
オフェリエの視線の温度が下がっていっている気もする。
不機嫌なのは腹が減っているからだろうか?
早くサンドイッチが手元に来てくれと願う自分がいる。
「私が酔いつぶれたところ、あそこにいるネリィさんが介抱してくれたのだ。
その時に付いたのだろう」
私は内心焦りを感じていた。
私の方を向いているオフェリエの視線や声音から温かみや柔らかさがすり減っていき、しまいには糾弾されているような気すらしてきている。
幼いオフェリエの前で、ネリィと私が何をしていたのかなどを
かといって、うまく口で誤魔化すことができていれば、こんな視線や声音を向けられることもなかったのかもしれない。
ここへ来たのは間違いだったのか?
美味しい料理が食べられて、なおかつ優しそうな人に助けてもらったのだと知らせ、その人を実際に見せることでオフェリエを安心させようと思ったのだ。
言葉で説明するのは得意ではないから、見せるのが手っ取り早いと思っていたのだが……。
「お待ちどうさま、リオネル。
当店の昼の看板メニューの1つ、BLTサンドイッチよ」
卓に運ばれてきた皿の上から早速サンドイッチを一掴みする。
「ふむ。
やはり昨日も料理が
早速いただこう」
少し焼き目がついたベーコンとシャキシャキのレタスにみずみずしいトマト。
1口噛み付くと、トーストされて温かいパンの香ばしいにおいとともに、口の中で食材どうしが混ざり合い、非常に
「そうでしょ?
鮮度の高い野菜を使ったサンドイッチには、色んな種類の野菜を混ぜた特性ドレッシングがかかっているから、他の店では味わえない逸品よ。
ねえ、リオネル。
ところで……。
そこの可愛らしい女の子はどちら様かしら?」
オフェリエを見れば、運ばれてきたサンドイッチにはまだ手をつけていない。
「ああ。
この子は、なんというか……。
今は私が」
「わたくしはオフェリエともうします。
ネリさんとおっしゃるのですわね。
さくやはわたくしのつきびとであるリオネルがたいへんおせわになったときいているわ。
つつしんでおわびもうしあげます」
沈黙を続けていたオフェリエが、私の言葉を遮って少し早口な自己紹介をした。
どうやら私はオフェリエからすると、付き人ということになるらしい。
オフェリエの視線や仕草、早口なことにも違和感を覚えつつ、私は口の中のサンドイッチを飲み込んでから口を開く。
「オフェリエ、こちらはネリさんではなくて、ネリィさんだ」
「あらリオネル、そうですのね。
わたくしとしたことが、しつれいいたしましたわ」
オフェリエに名前の言い間違いを指摘すると、目を伏せて謝罪の言葉を口にした。
私は苦笑いを浮かべつつ、ネリィの方を向く。
「あらリオネル。
口の端にサンドイッチがついているわ」
ネリィの顔がすぐそこにあり、私の両耳の下に彼女の手がある。
そして私の口のすぐ横に柔らかい唇が触れる。
ネリィの顔が離れていき、悪戯っぽくその舌をチロリと出す。
突然のできごとに私が何も言えずにいると。
「まあ、ネリィさん。
このおみせでは、おきゃくさんへそのようなサービスをていきょうしているのですわね」
極寒の冷気がかすめたかと思うほど、その言葉の響きには冷たさと乾きが同居していた。
とても幼い少女のものとは思えない声音に、そちらを向くのが怖いとすら感じてしまう。
「この店にそんなサービスはないわ。
これはリオネルだけに特別よ」
すぐ横からネリィの声と、彼女の柔らかい二の腕が私の顔を包み込む。
顔の横から抱きしめられた格好だ。
視線の先にはオフェリエの冷たい視線。
耳と後頭部に触れる柔らかい感触。
先程からずっと、私の頭は混乱しっぱなしだ。
私を置いてきぼりにした2人の会話は不穏な雰囲気で続く。
「ネリィさん。
リオネルはおしょくじちゅうよ。
とてもたべにくそうですから、かいほうしてさしあげて?」
「あら、そんなことはないわよね、リオネル?
いっそ口移しで食べさせてあげてもいいんだから」
「どうしてくちうつしするひつようがあるのですか?」
「そうよね。
子供にはわからないわよね。
リオネル。
はい、口を開けて」
私は口を開けるべきなのだろうか?
そもそもものすごく居心地が悪いと感じてしまっている。
どうしたものか……。
こんな時、いつもたくさんの娘たちに囲まれていた魔王はどうしていたのだろうか?
━━
大きなソファに座り娘たちをいつものように侍らせる魔王の姿。
あの隠し部屋には、いつも甘く濃厚な空気が漂っていた。
真横からフルーツを魔王の口元に寄せる娘が1人。
背後から魔王の肩にしなだれかかっている娘が1人。
正面には魔王に話しかける娘が2人。
魔王の膝に頭をのせて寝そべる娘が1人。
「おお、戻ったか、バルムンドよ」
「はい。
次の偵察より帰還しました。
くつろぎの所すみませんが少しお話しても?」
「ああいいとも。
みな、少しだけあちらにいてくれるだろうか?」
娘たちは渋々といった表情で魔王の部屋の一角にある噴水の方へと引き下がっていた。
━━
あの時の魔王は、私との話を優先してくれて、娘たち全員を水音で声を聞かれにくい噴水の近くへと待機させていた。
あの噴水のおかげで私と魔王は、同じ部屋にいるのに悠々と次の娘を連れてくるための話し合いをすることができていた。
噴水は音を遮るための装置。
オフェリエとネリィさん、どうにか2人の会話を遮ることができないだろうか?
もちろん近くに噴水などはない。
視界に1つ気になるものがあった。
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