第17話 呪いの所為

魔王が目の前でどうなったかを目にした後でも、私の中には魔王が言っていたことや、魔王がしようとしていたことの記憶がある。

しかもそれは、決して否定的なものばかりではない。

私自身の人生の3分の1を捧げた人物に対して、私は畏敬の念を抱いてすらいた。

少なくとも、私の中では父や母に比べても何億倍も尊敬に値する人物であったし、私以外の中でも魔王だけは王であり主であった。


幼い頃、言われるままに物を盗み、スリや空き巣をごまんとやった。

それを始めた歳の倍くらいの歳になって、初めて人を殺し、すぐに牢に入れられた。

牢に来る男に血反吐をはかされ、そしてまた夜な夜な人を殺して回った。

幼き日の私には信じられる人などいなかった。

誰も私に言われたことをやり遂げても、労いの言葉もなく、ましてや対価を与えることなどはなかった。

ただ怒鳴り散らされたり痛めつけられる回数が減ることだけが唯一の救いであった。


牢に繋がれ、人殺しを続けさせられて1年余。

その間に私の背は大きくなり、筋肉がつき、そして声が急に低くなった。

私が大きくなればなるほど、殺す相手が私に反撃をしようとすることも増えていった。

そしてその反撃を受けないために、相手の動きを予測するのが上手くなり、私自身の体の使い方もうまくなっていった。

牢で私を痛めつけていた男も、私の体についた筋肉をいつしか厄介そうに罵倒していた。

そんなある日、牢に1人の人物が現れた。

その人物こそが魔王と呼ばれる国王その人だった。


私に二言三言質問を投げかけ、私の返答が気に入ったのか、盛大に笑っていたことだけは覚えている。

その後私は魔王に魔力を注ぎ込まれ、おぞましい魔人の姿へと変貌させられたのだった。

魔人となった私には、牢が牢として機能しなくなり、かわりに魔王の言葉を直接脳に送り込まれるように指示を受け、私は抗うことなく従った。


それからたくさんの悪事を働いた。

悪事を働くことに不満はなく、これまでと同じだった。

これまでと違ったのは、魔王に従う事で私の人生で初めて対価を与えられたことだった。

といっても、何か形のあるものだけではない。

労いの言葉や力の引き出し方、使い方など、無形のものですら、私にとっては初めての報酬であった。

物腰柔らかく接してもらうことすらしてこなかった私にとって、恫喝も金切り声も上げず、罵るでも馬鹿にするでもない。

魔王が私を1人の人間として扱うその態度こそが、何よりも求めてやまないものでもあった。

それに加えて有形のものでは、特注の盾や防具、槍や剣などの戦うための道具の他にも、領地、何かの音を記録できる魔具などをもらったこともある。


私の奉公と魔王の報酬。

その奉公に見合ったものを報酬とするという理念が、魔王には確かにあった。


私が娘を拐ってくると、魔王は私によく言っていた。


『バルムンドよ。

そなたもほしいものはないか?』


こうも言っていた。


『ワシのほしいものをいつも届けてくれるのだ。

そなたのほしいものを融通させよう』


私を暴力の耐えない地獄から救ってくれたことだけでも、私にとってはかけがえのない報酬であったし、魔王から任された仕事をやり遂げた後のその穏やかな表情が私にとっての報酬の1つであった。


勇者が現れて王城へと転移させられて見た魔王の最期の顔。

憎しみに歪んだあの顔はおそらく忘れることはできないだろう。

畏敬を抱いていた穏やかな表情を知っているからこそ、最期のあの顔を見たくはなかった。

私が勇者を倒せていれば、あるいは浮遊要塞で食い止めようとして先に殺されていれば、あの顔を見ずに済んだのかもしれない。


『お前がワシを殺したのだ』


ガバッと私は跳ね起きた。

ズキリと痛む頭に手を当て、唸りながらよろよろと後ろに倒れ込む。

すると、すぐ横に肌色があった。


それはカーテンの隙間から差しこむ朝日を浴びて、呼吸のリズムと共に上下に動いている。

生きているのだ。

しかも、私が飛び起きた拍子に、その肌色の主もどうやら起きてしまったらしい。


「ふあぁ……。

おはよう、バルムンド」


肌色が振り向き、こちらを向くが、私は眼前に見えてきた光景に目を奪われていた。

何も纏わぬ肌色が私の目の前で小さく揺れる。

返答などできるものではなかった。

私はその光景を目に焼き付けようとしているかのように凝視してしまう。

傷一つない滑らかな肌色は、触ってみたくなるような質感で、寝台や掛け布に触れたところが変形しているのを見る限り、とても柔らかいのだろう。


しかし、どうして何も纏っていないのか、どうして私の本当の名を知っているのか、そしてどうして私は見知らぬ場所にいるのか。

思い出そうとしても記憶に欠落があり、その答えが引き出せない。

確か4杯ほどエールを飲みほしたところで、薦められた酒を頼んだのだった。

しかし、その味はよく覚えていない。

とても美味しかったのかもしれないが、果たしてどうだっただろうか。


「綺麗だ」


口をついて出てしまったのは、目の前の光景への素直な感想だった。


「もう、なあに?

昨日あんなにめちゃくちゃにしたくせに、まだもの足りないの?」


「い、いや、違う。

そんなつもりでは……」


今何と?

めちゃくちゃにしたとは、何をどうしたのだ??

改めて顔を見ると、見覚えのある顔だ。


「あなたは確か、カフェテラスの……」


その肌色の主は私が酒を飲みに行ったカフェテラスの店員のようだ。

しかし、その女性は私の顔を覗き込み、いぶかしげに尋ねてきた。


「もしかして……記憶飛んでる?

ねえ、あんなことしておいて、まさか覚えてないとかないよね?」


あんなこと、とはどんな事なのだろうか?


「…………」


私が何も言えずにいると、女性は頭を抱えこんでしまった。


「……う、そ……。

私の初…て……に、覚えてないとかあるの?

嘘よね……?

どうしてそ……、……でお酒弱かったなんて……。

でも……だったし、でも……う〜ん……」


小さな声で呟いているようだが、寝起きや酒でボーッとする頭のせいで私が上手く聞き取れずにいると、突然肩を掴まれた。


「ねえ、バルムンド!

私の笑顔が大好きだって言ってくれたよね?

天使みたいだって、可愛くて愛おしいって」


目に涙を浮かべている女性が目の前に居て、肩を掴まれている。

状況が把握できていないが、この女性は酔っているわけではないのだろうし、全部私が言ったことなのだろう。


こういう場合、私はどうすればいいのだろうか?

覚えていないことを素直に謝るべきか。

いや、それではこの女性を悲しませるだけなのか。

いやしかし、ここで嘘をついてもすぐに粗が出てしまうだろう。

こんな時、魔王ならどうしただろう?


「あなたはとても可愛い。

天使のようだと言ったのはおそらく本心だろう。

酔った勢いで私はあなたに何かをしてしまったのだろうが、すまないが本当に覚えていない。

そして、私はバルムンドという名前ではなく、リオネルという名だ。

いろいろと重ねて申し訳ないが、笑顔が素敵だったことは覚えている。

あなたの名前を私に今一度教えてはくれないだろうか?」


瞳に溢れる涙を指でそっと拭い、伏せられ気味の瞳を見つめるように、その細い顎を指で軽く持ち上げた。

私は魔王ではない。

結局どうしたらいいのかはわからぬまま、私は私にできる精一杯の誠意を見せるしかない。


「……ネリィ」


口を尖らせ拗ねたような口調。


「ネリィか。

名前通り美しく、そして明るいあなたはとても素敵な女性だ」


ネリィはまだ眠いのだろうか。

唇を尖らせたまま目を瞑っている。


……。

いや、これは……もしかして接吻の誘いだろうか?

私が顎を引き、私に向かせたのだ。

もしやこれは、私が接吻をしようとしたともとられかねないのでは?

いやしかし、私がこの美しい女性に口付けなどしても、この女性が喜ぶとは思えないのだが……。

どうしたものか……。


「ネリィ……?

あの、もしっうむ!?」


私の指がネリィの顎から勝手に遠ざかる。

数秒、いや数十秒。

重ねた唇は柔らかく、頭がおかしくなりそうなほど熱く感じた。

実際に熱を持っていたわけではないが、彼女の体温は私よりもずっと高いのだろう。

重ねている間、胸の内側で黒い蒸気が膨れ上がるように爆発していた。

私の心臓も耳に響くくらいに鳴り続けている。

呼吸が荒くなり、自分を抑えるのがこれほど難しいとは……。

両腕が目の前の女性、ネリィを抱きしめる。


「ネリィ……」


「あっ、ちょっ、こら。

や、離して、あんなのもう無理だから、や、やあ」


私にはもう言葉なんて聞こえていなかった。

胸の内側の爆発が激しくなったためだ。

恨むなら勇者が私に施した呪いを恨んでほしい。

相手が幸福を感じていることがわかってしまうから、私は私を止められない。

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