第16話 バルムンド 酒を飲む

何枚かの硬貨を手に宿の部屋を出て、夜の街に出かける。

目的は酒を飲んでみることだ。


私はすでに成人しており、この国で酒を飲んでも問題ない歳ではある。

魔王軍にいた頃、魔王軍内ではこの国の法に縛られることがなく、若い連中も普通に酒を楽しんでいた。

魔王軍は酒蔵のある都市を幾つも制圧し、酒を浴びるように飲んだとしてもいくらでもあったのだ。

私は飲んだくれて私や母を殴る父を見ていたこともあり、正直酒にはあまり興味がなかったのだが、たまたま誘われて飲んだことがある。


その時、何杯か盃を空けたあとの記憶があまりなく、目覚めた時には見知らぬ場所にいた。

しかも翌日からは酒の誘いがピタリと来なくなった。

どうやら魔王軍内で私の酒癖について悪評が広まったらしく、私を誘う者がほとんどいなくなってしまったのだ。

私自身も、そのようなことがあってから酒を飲むなら遠方へ赴いて1人になれる時くらいで、大っぴらに飲むようなことはしなかった。

だが、コートキスとの勝負のことを踏まえて、今日は少しだけたくさん飲むことを試してみようと思う。


近くの店はミケルさんに迷惑をかけてしまうかもしれないので、昼間に来た市場の方まで足をのばしてきた。

この辺りに酒場は少ないが、店の前に椅子やテーブルを並べたオープンテラスな店で昼間でも酒を振舞っているのを目にしていた。

まだ店が営業していればいいが、どうだろう?


見えてきた店の様子で、まばらだが席に何人か座って食事や酒を飲んでいる人がいる。

まだ営業しているようだ。


「お一人様ですか?」


「ああ、1人だ。

なるべく静かに酒を飲みたいのだが」


「はい、それでしたらこちらへ」


そういった店員の女性の後を着いていく。

後ろの方で屈強そうな男が2、3人ほど、こちらの様子を伺っている。

客への対応は感じの良さそうな女性が、それを守るガードをきっちりと配置して、店の治安を保っているのか。

オープンテラスだから悪評が立つとすぐに広まり困るのだろう。

抜かりなく店を営業するために打てる手を打っているといったところか。


「こちらの席はいかがですか?」


他の客が座っている席から離れ、通りに面した席に案内された。

この時間はあまり通りを歩く者もいない。

ここならたしかに静かに飲めそうだ。


「ありがとう、ここにする」


私が席に着くと、店員は卓上の燭台に火を灯した。

その燭台の明かりに少しだけ店員の顔が照らされ、一瞬だけ私と目が合う。

ニコリと作り笑顔を浮かべる店員の姿に悪い印象はなく、同じ給仕として働く私も見習いたいところだ。


まずは、この店で1番安い酒を5杯ほどで試してみよう。

しかし、実際に注文する時、「1番安い酒を5杯くれ」というのはオススメしない。

私も何度かそう頼まれたが、正直その頼み方にはまったく良い気がしないのだ。

店側からすると、1番安い酒を何杯も飲むということは、別の店でもできることになる。

なおかつ、他に注文がない場合、その客の単価は恐ろしく低い。


ミゲルさんも私にそういう客にはあまり多くの時間を割かないでほしいと言っていた。

親切丁寧に対応したところで店側に利益はほとんどなく、そういう客の中にはあまりたちの良くない者も混ざっているという。

持っている金が少ないからなのか、気が立ちやすく、そのせいでちょっとしたことに文句を付けたり、いちゃもんや悪口を吐いていたり、他の客へも迷惑をかけたりすることもあり、店にとってもあまり良くないのだそうだ。

そういう客が来た時は、なるべく関わらないように、何か言ってきても忙しくてあまり構っていられないという態度を示すことが重要らしい。


私に関しては手馴れていないのと、本当に店が忙しいので、あまり構っていられないというのもある。

が、オフェリエが声をかけてくれて私が動かねばならないということが明確だからか、あまり変な絡まれ方はしていない。

それでも、注文の仕方をみれば、客のしつというものも自ずとわかってしまうものなのだ、ということをこの2日間で把握していた。

しかも恐ろしいことに、オフェリエはそれも含めて的確に判断し、私へ指示を出してくれている。

私よりも先にミケルさんの言っていたことを理解していたのだ。


「エールを一つ。

それから、ここのオススメの酒のアテはなんだろうか?」


「オススメは野菜のフライのチーズ掛けです。


当店は市場の中にあるので、常に新鮮な野菜がたくさん手に入ります。

今日仕入れた新鮮な野菜をよりすぐって油で揚げているので、甘くて美味しいんですよ。

それから、チーズはここのオーナーの知り合いの放 牧家が手間暇かけて作ったものなので、濃厚で油の絡まった野菜にも負けないんです。

程よい塩味で食もお酒も進むと評判なんですよ」


これほどはっきりとした看板商品があるものなのか。

店員の自信に満ちた発音からも、さぞ好評なのだろう。

この席につく前に見かけた席でも、チーズのにおいがしていた気もする。


「なるほど、それは美味しそうだ。

それを酒と一緒にお願いしたい」


「ご注文ありがとうございます。

では、後ほどご注文の品をお持ちします」


「よろしく頼む」


やり取りの最中、私の胸中で黒い蒸気が少し上がった。

店員の女性も注文してから表情が明るくなった。

その表情の裏側に、店員がおすすめしたことで店の売上に貢献したという思いがあるのかもしれない。


ほどなくして料理と酒が卓上へと運ばれてきた。


「追加のオーダーの際は声をかけてくださいね」


「とても美味しそうだ。

ありがとう、そうするよ」


私の受け答えに店員の女性は安堵した様子で去っていった。

客として店を利用する立場だが、店側の気持ちが少しわかる手前、やはり客としても店側への配慮は大切だと思う。

『お互いに気持ちのよい時間を過ごせることが、良い時間の使い方だ』と、よく魔王も私が拐ってきた娘たちに解いていた。

私は魔王ではないが、その言葉の意味が今なら少しだけ実感できる。


エールを口にすると、甘みやフルーティーな香り、それから苦味とほのかな酸味。

これを好きかどうかと聞かれると、一言で答えることは難しいが、これほど複雑な味は酒以外ではなかなか味わえないのかもしれない。

店員にオススメされた料理も口へと運ぶ。

軽く塩味のついた野菜のフライは、そのままでもエールの複雑な味との相性が良い主役だ。

野菜の甘みが揚げたことと塩味とで引き立っているのだろう。

さらにチーズをまとわせて1口。

口の中で濃厚なチーズの旨味が広がり、野菜の甘みが脇役に変わった。

放牧家の手間暇と聞いたお陰か、あるいはあえてそのような風味を醸し出すようなつくりなのかはわからないが、牧場の草の香ばしいにおいが鼻を抜けるような気がしてくる。

癖の強いチーズだからなのか、エールと一緒に味わってもエールに負けることなく主張している濃厚な旨味。

この料理が酒にピッタリだということが空になった盃を見ればすぐにわかるだろう。


私がエールを飲み干すのを見ていたのだろう。

先程の店員の女性がこちらを伺いながら歩いてくるのが見えた。


「すまないが、エールをもう1杯頼めるか?

料理との相性がとても良くてすぐに空になってしまった」


「フフフ、失礼しました。

ではエールを追加でお持ちしますね。

少々お待ちください」


笑われてしまった。

しかし、悪くない気分だ。

これも酒のお陰だろうか?

陽気な気分というのか、今なら突然何か文句を言われても、至極どうでもいいとすら思える。


「お待たせしました。

追加のエールです」


「ありがとう。

あなたのオススメしてくれた料理はとても美味い。

そしてあなたの笑顔も素敵だ。

私はこの店が気に入った」


「それ以上褒められても何もでませんよ。

1杯でできあがっちゃうなんて、お客さんもしかしてお酒にすごく弱いのかしら?

ほどほどになさってくださいね」


「ああ、ありがとう」


気遣いの言葉を貰い素直にありがとうと言いつつ、私はまた1口、エールを口に含み、喉に流し込む。

顔が火照ってきたのか少し暑い。


だが、たった2杯で根を上げていては、さすがに飲み比べには勝てないだろう。

せめて最初に立てた目標の5杯まではたどり着きたいところだ。


料理もまだアツアツで美味い美味い。

先程から少し暑いから喉も乾いている。

チーズや野菜をエールで流し込むと、どんどん食も酒も進む。

これは魔法なのではないだろうか?

美味すぎる。

そして店員がかわいい。

天使か?

天使が舞い降りてきたのか?

燭台の明かりでほんのり朱色に照らし出される乙女とは良いものだ。

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