第15話 合言葉

「コートキス様の昔からの好物で豚の蹄煮込みをいつも食べていっているんだ」


「豚の蹄煮込み?

聞いたことがないな」


「親父の代から店で出していた古いレシピでな。

かなりの時間煮込まなきゃならん上に材料費もそれほど安くない。

常連客にもほとんど出すことのない裏メニューだ。


俺の腰が普段通りなら、いつ来てもいいように常備していたんだが、あいにく今日は材料を切らしていたんだ」


「そうだったのか。

しかし、今日のコートキスの態度は随分なものだったな。

普段からこうなのか?」


「いや、そいつは俺の方に問題があったんだ。


コートキス様には、俺の腰が悪くなった先月、仕入にすら行けない日が続いて、コートキス家に支払っていた金額を払えなかったんだ。

だけど何とか頼み込んで、1ヶ月だけ先延ばしてくれる約束で店を返すのを保留してもらっているんだ。


きっとコートキス様にはコートキス様で、いつもの支払いがなきゃならない事情もあるだろうに。

俺がしっかりしてないから、コートキス様には迷惑がかかっちまった。

本来ならこの店はもう俺のものじゃなくなってるんだ。


それを保留にしてくれたコートキス様には恩もあるし、あれくらいで追い返すのも気が引けたんだが……。

それにしても、俺たちだけじゃなくあんたらの飯まで出しちまうのは、さすがに二つ返事はできなかった」


「なるほど、ミケルさんがあれだけ低姿勢だったことに少しだけ合点がいった。


だが、コートキスはオフェリエに殴りかかったのだ。

それは私にとっては看過できることではない。


ミケルさんの立場を危ぶむ状況を作ってしまったことに関して、事情を知らなかったとはいえ、私とオフェリエにも出しゃばりすぎてしまった非はあろう。

私なりに何かできないか考えてみるつもりだ」


「そうか、それはありがたいが、俺やイオの為に何かしてくれるのは、店の手伝いだけで十分だぞ。

もう潮時かもしれないからな」


「潮時とはどういうことだ?」


「実はな……



━━


部屋の扉の前に立ち、既に眠っているはずのオフェリエを気遣い、なるべく音を立てぬように扉を開こうとする。


ガチャリ


扉は内側から開かれた。


「オフェリエ、起きていたのか」


こくりと頷き、オフェリエはその小さな唇を開く。


「リオネル、おかえりなさい」


目が冴えているのか、その小さな声に淀みはない。


「はいって、そしてここにおすわりなさい」


オフェリエは私を部屋の中へと手招きし、寝台の縁へ座るように促した。

私が腰を下ろすと、オフェリエは私のすぐ横に同じく腰を下ろした。


「きいていたわ、コートキスさまのはなし」


「そうか」


特に驚きはしなかった。

空き部屋は4つある部屋のうちの一つだ。

他に宿泊する客も居らず、静かな夜。

子供は耳がいい。

多少耳を済ませれば、扉の隙間から漏れた音が狭い廊下を通して聞こえてくるだろう。


「ミケルさんの話も聞こえていたか?」


「ええ……。

もうなおらないなんて、おきのどくに……」


オフェリエが声のトーンを落とし、目を伏せる。


昨日の稼ぎが良かったから今日の昼間に医者に診てもらったそうだが、ミケルさんの腰は今後一生付き合わなければならないものだと告げられたそうだ。

無理をして悪化することもあるし、痛みが酷い時は仕入にも行けないから、店を続けるのは難しい、ミケルさんはそう言っていた。

そういえば今日は、昨日ほどミケルさんが店の方に顔を出すことがなかった。


思えば、私に腰が良くなっていると言っていたのも、気をかけさせまいとついた嘘だったのだろう。

私の胸の内の黒い固まりからは、ミゲルさんのその言葉の最中も蒸気が上がっていたが、人間は別々のことを同時に感じたり思うこともある。

必ずしも嘘を見抜ける証拠が得られるとは限らないということか。


「わたくし、あなたにしてほしいことがありますの。

しょうしょうおはなしさせていただいてもよろしいでしょうか?」


オフェリエは伏せていた目を私に向け、見つめながら口を開いた。


「何だ?

聞かせてくれ」


私は少し身構えた。

やはり言葉遣いが上品なことや、物怖じしないその視線から、子供ながらも底知れない意志の強さを感じてしまう。


「リオネルは、かけごとをごぞんじかしら?」


「賭け事だと?」


何を言い出すのかと思えば、子供の口からはあまり発せられない単語に耳を疑う。


「ええ、かけごとですわ。


わたくし、このまちをさるまえに、ひとつだけあなたにしてほしいことができましたの」


「それはどんな事だ?」


私は話の先行きがわからず、ただただオフェリエの話の続きを促す。

完全にオフェリエのペースに乗せられているとは思うが仕方ない。

私はすでに、オフェリエが私よりも口が達者であることを認めてしまっている。


ミケルさんは近日中にこの店の土地をコートキス家に返す予定と聞いた。

この店が無くなれば、当然私とオフェリエのこの街での居場所もなくなる。

資金はおそらく今日の稼ぎがあれば十分で、私も漠然とこの街を出ることを考え始めていた。

しかし、オフェリエは既にそこに考え至っていたのだろう。

だからこそ、この街ですることはあと幾ばくもない。


「リオネルには、コートキスとかけごとをして、そしてうちまかしてほしいのです」


「コートキスを賭け事で下す。

そんなことをしてどうなるというのだ。

例え私が勝ったとしても、そもそも私には賭けられるようなものは持ち合わせていない」


「あなたはミケルさんからみせばんをまかされています。

そしてコートキスさまは、はたらいたことはないとおっしゃっていました。

ですから、あなたとコートキスさまのおきゃくさんとしてのたちばをいちじてきにこうかんするという、おあそびのようなじょうけんをもちだしてください。


そうすればミケルさんとイオさんへおんがえしができるかもしれませんわ」


「一時的に立場を交換する……良くはわからぬが試してみよう。

して、賭け事は何で勝負するのだ?」


「あらリオネル。

おさけのせきでのしょうぶといえば、のみくらべがていばんでございますのよ」


「飲み比べ……か」


オフェリエ、いくら博識とはいえ、そのような賭け事にまで詳しいとは……まったく、恐ろしいことだ。

お酒の席という貴族的な言い回しから、オフェリエは酒場などのどんちゃん騒ぎではなく、貴族同士の高価な酒でのお行儀の良い飲み比べをイメージしているのかもしれない。

しかし、娘であるオフェリエが知るところでそのような賭け事に興じていたのだとしたら……。

親の顔が見てみたいとはこういう時に思うのだな。


親ではないが、一応今は私がオフェリエを保護している身。

私がオフェリエに接する際も、オフェリエがおかしなことを覚えたり、してしまったりしないよう、気をつけるべきなのだろう。


「ところで、リオネルさまはおさけはおとくいでございますでしょうか?」


「私は酒をあまり飲む機会がなかったのでな。

私自身が飲める方なのか、あるいは酒に弱いのか、あまりよく分からぬ」


「まあ、それはちょっとこまりましたわね」


「ならば、今日は酒場が早く畳まれた。

今日の稼ぎを少し使ってしまうことになるが、これから酒を少し飲んでみようか?」


「それもいいですわね。

わたくしはさすがにごいっしょできませんので、カギをもってでかけてくださいね。


それから、むりにのみすぎるとふつかよいというものになるときいたことがございます。

そうとうおつらいものらしいので、おきをつけくださいませ」


私は寝台から立ち上がり、稼ぎの袋から硬貨を何枚か持つ。

少しあれば酒を飲んでみることくらいはできるだろう。


「わたかった。

私以外が来た時は絶対に鍵を開けるんじゃないぞ?」


「わたっておりますわ。

でも、もしものときのあいことばをきめておきましょう」


「合言葉か、良いだろう」


魔人として娘を拐いに現地の偵察者と交わしたものを思い出す。


「わたくしのこうすいはガーデニア、あなたのこうすいはナルシス。

なので、おたがいのこうすいのかおりをとうことにいたしましょう。


あなたのかおりは

と、わたくしがおたずねいたします。

そしてあなたは、

ナルシス

と、こたえ、さらに

わたくしのかおりはガーデニア

と、つづけてください」


「了解した。

では行ってくる」

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