【KAC20231】『ガラス張りの書店で夢を回収する』

小田舵木

『ガラス張りの書店で夢を回収する』

 静まり返った深夜の書店。張り巡らされた書架しょか。そこに鎮座する書籍。

 それは―あたかも死者達が収められた墓の墓標ぼひょうに見えない事もない…


 なんて。アンニュイな気持ちにさせる魔力が書店にはあるよな、と思いながら私は歩く。


「…いやあ。人が居ないと快適だねえ」とつぶやく。誰も居ない店内に向かって。

「そうかい?」と返事が返ってきたのは意外。予想外。私以外に深夜の書店に忍び込もうって阿呆あほうが居るとはね。

「私はね…不登校な引きこもりだからさ」と何故か語りだす私。

「…みたいだね?真っ白だもの」とかの者は言う。夜目よるめが利くらしい。

なま白い文化少女、初めての非行。見逃してくれるよね?」と言い訳かまし出すあたりがチキンで。

「別にいいよ、本を盗まなきゃ」とかの者はこたえる。

「…店員さん?」と私が問うなれば。

「ま。この書店に属する者ではあるよ」と応え。よく目をこらせば。パンツルックに白い襟シャツにエプロン。書店員のデフォルトな格好をした人が居るのだけど。

「…失礼な事お尋ねしますが」と思わず私は言っている。

?」とかの者は何でもなさそうに応える。髪型はショートだが。女としても男としても通用する長さなのだ。

「ええ。声の高さも微妙なラインにある。女としては低音。男としては高音。そんな曖昧なところに」

えて教えないでおこうかな?」とかの者が言うなら―私は胸元と股間に目を向けてみるのだけど。

「全然情報量じょうほうりょう無いわね」とこぼさざるを得ない。がつく貧乳とも言えるし、股間の辺は上手いことシルエットがボケていて。

「性別が分かりにくいってのは1つの利点だ」とかの者は言う。

「そうね」と私は同意する。私は対極にある存在だけど。性別を見破られるデメリットの見本みたいな女で。


「でさ。?この真夜中の書店に」とかの者は問う。

「…さっきも言ったでしょう?非行」と私は簡潔に応えて。

「今のご時世デジタルなセキュリティがある訳だ。どうやって突破したんだい?」

「…内緒」と私は口ごもる。

「ま。いっか。代わりに私がなんでここにいるのか問わないでね?」

「構わない」こう言う他はなく。


                  ◆


 この書店は―書籍の保存という観点を捨てたらしい。

 というのも、天井がガラス張りで。月光が店内を淡く照らし。

 その青みがかった白の中に浮き上がってきた者は―殊のほか美しくて。めん食いな私は目を奪われ。

「じっと見られると照れるよ」なんて歯の浮く台詞を言うな。

「美人…だねえ」と思わずつぶやく口がうとましく。

「なのかな?言い寄られた経験が無いから分からないよ」とかの者は言う。少し赤面しながら。

貴方あなたが近寄り難いからじゃない?」と私は言う。はっきりと人を拒絶する何かがかの者の周りを渦巻き。

「自分ではそういうつもり無いけどな」とそっと言う感じが怜悧れいりで。

「もうちょっと社交性を磨けば?」と言ってしまう。

「案外無くても生きていける」

「そうでもない」

「君は苦労している訳だ」

「まあね」下らない同性メスと、性欲に塗れたオス。その2つが私をさいなみ。

「月並みな言葉になるが…気にするなよ。私みたいにさ」それはアンタが浮世離れしているからできる所業で。

「そう出来てたら、こんな真似はしてないよ」と私はかの者に告げて。

「…うまくいかないねえ」とかの者は呟く。


                  ◆


 昔から。

 深夜の書店に忍び込みたいと思っていた。

 そこにはロマンがある―とか言うと月並みだけど。のは明らかだ。


 そう。。著者が存命であろうが関係ない。

 本の中には―ホルマリンに漬けられたかのような、その時のその人が居て。

 私はその様に心を撃たれる。

 どうにも私は

 だって、簡単に言うこと変えるでしょ?それが思考の避けられない側面であったとしても、納得いかない。


                  ◆


 青白い月光に照らされる頁はなまめかしい。そして指にまとわりつく紙の目が私を愛撫あいぶして。

「君…そいつはまだ読むには早くないかい」と肩越しにいるかの者。

「近寄るな」と私は言うけれど。その言葉は拒絶と言うよりも。恥ずかしさで。

「いやあ。だ」とくつくつ笑いながら言うかの者。

「…実地によりはマシだと思わない?」と私は問い。

「まあね。君の歳で妊娠するのは感心しない」

「避妊ぐらいはする」

「本当かなあ」とかの者は言う。どうなんだろう?したこと無いから分かんないな。

「貴方は―したことがある?」

「本を読みながら―本とはいっぱいたよ」と笑う顔が妙に妖艶ようえんだ。目元によろこびの色が見え。

「変態?」と私は問い返すが。

「これが変態なら人類はほぼ変態といっても良いんじゃないかな」

「ただし。読書人に限る」


                 ◆


 本は封じ込められた時間である。

 

 静寂に満たされた空間が私を満たして。


「君はよほどの人嫌いと見えるね」かの者は言い。

「否定はしないよ」と私は応え。

 

 月光が照らす書店に戻って来て。

 私達は2人きり、書架の間に立ち尽くし。

 時間がその間を微かに通り抜けるのを感じ。


「読書も人との対話だと思わないかい?」とかの者が問うならば。

「一方通行の、ね」と私はこたえ。

「それでも。話を聞こうって気概はあるんだろう?」

「…出歯亀でばがめみたいなモノだけど」

「君は完全に閉じる気はなさそうだ」

「そんな勇気はないのよ」

「…まだ若い。よ」とかの者は寂しげに言い。

貴方あなたは閉じる人生を選んだ?」と私は訊き。

「そうだね。人生から降りたんだ。18の時かな」

「降りた?」

「―生きていても。んだ」

「私も似たようなものだけど」

「君はまだ―中学生だろ?」

「そうだね、でも貴方だって18で降りたんでしょう?」

「あれは拙速せっそくだったと後悔している訳さ」

「兵は拙速をたっとぶ」

、と言っているのさ」

「あまりにも人生は長い…

「そういうショートカットは感心しないよ」


                   ◆


 冊子本コーデックス。今の書物の基本フォーマットを整えたのは初期のキリスト教徒と言われ。

 一枚大きな紙を折り、折丁おりちょうに仕立て上げ。そいつを重ね合わせれば本が出来。

 それは―さながら、を折り曲げるかのようで。小さくちぢこまったその姿に愛おしさを感じ。


 私は書架にずらりと並ぶ背表紙を撫でながら歩き。

「このまま夜が明けなければ良いのに」と嘆息すれば。

「明けない夜に魅力を感じないね」と私の後ろをこたえ。

「月明かりが好きなの」とゴネて見れば。

「分からないでもないさ」と優しく応える。


「貴方…ここで働いてるの?」と尋ねれば。

「まあね」とかの者は応え。

「あまり夜ふかしはするものじゃ無いわよ」と私は言う。もう3時を回っていて。

「肌にはよろしくないやね」と苦笑いをするかの者。

「化粧水と乳液でも塗っときなさいな」と私は言い。

「お風呂、まだなんだよ」とかの者は応え。

「の割には汗臭くない」

「汗腺が死んでるんじゃないかね」

「…代謝してないなら死んでるのも同義よ」

かも」とかの者は笑う。

「…ぞっとしないけど…無くはない」そのはかなさは、そうであっても不思議ではない。

「…本気にするなよな」と苦笑いするかの者。

「いいや。このなら無くもない」と私は言う。比喩を添えて。

「…本を死者と形容するかい?君は」

「死者みたいなものじゃない?」

「観点の問題かな」

「私は―」と私は吐露し。

「私は。よ」とかの者は応え。

「観点の相違。議論の始まり」

「とは言え。私には特に主張すべき事はないよ。あくまでお嬢さんへのアンチテーゼ」

「議論の駆動に必要ね」

「ああ」


「私はね。生きて動いているものに疲れたの」と私は言う。今までの人生で『生きている』者にさいまされ、悩まされ、失望させられ…唯一気が許せたのは本だけ。その中には―本質的には誰も居ないけど、誰かのは閉じ込められており。

「私はね。本に…書かれたモノに人の息吹を感じる。だからこそ読む」

「そう…私はそうは思えない」とねつけるのは何故なにゆえか。

「良いよ。別に賛成は欲しくない。ただ、このままお嬢さんが本の―人のよすがにこの世を渡っていくのなら。それはとても難しく虚しい事だと言っておく」

「なんでそこまで私に突っかかるの?」感情的なレスポンス。

「放ってはおけないからね」

「どうして?」

「18で人生を降りた者にもいささかの処世術というのはあり。それが後悔で占められているからさ」そのいう

「そう。でもさ。15でこの様ってのもどうだろう?」と私は吐露し。

「…ありのままを受け入れよ、って言葉が一番凡庸に思える時だね」とかの者は言い。

「ありのままが出来ていないから」

「その通り。分かっているね?」

「うごめく自我との対話ばかりしてるから」と私は言う。同年代の子より厳しく内省してきたという自負はある。

「…ありのままを受け入れよなんて言っといてアレだけど」とエクスキューズ。

「何よ?」

「ありのままなんてモノはないもんだ」


                  ◆


 明けの明星みょうじょう。金星が私達の居る空間を照らし出す。

 そう。この書店を照らし出し。


 


「…忍び込んだつもりなのだけど」とお嬢さん―というか。

。15の頃のね」と私が言えば。

「…どうやって胸潰してんのよ」と問われ。

「今は良い補正下着があるんだよ」と私は彼女に言う。この頃は美容院に行くのが怖くて髪が伸びっぱなしで。

「髪は?」と問われれば。

「うっとおしくなってね…切ったさ」

「声」

「…20になって煙草を吸うようになってね。潰れて少しハスキーになったのさ」

「…そっか。今は―生きやすい?」と問われれば。

「そうでもないよ。18で人生降りたって言ったじゃない」大学受験を降りて…フリーターの道を選んだ。まあ、んだけどね。プライベートの面で。

「…書店員かあ。理想の仕事ではあるな」と彼女が言えば。

「大した事はしてないさ。世に数あるサービス業の1つでしかない。そのうえ昨今は厳しくてね」市場がちぢまる中で書店は厳しい戦いを強いられている。

「…何か夢が出来たんだね?」と彼女は言う。私だからか勘が良い。

ね。フリーターしながらずっと書いてるよ」とかすみ消えつつある彼女に言う。

「…そっか。もうちょっとだけ。頑張ろうかな」と顔だけになった彼女は言い。

「うん。早くこっちにおいで」と私は応える。


                  ◆


 茜色の太陽が天井から降り注ぎ。私はその光に照らされながら伸びをして。

「…これで。かな」と1人つぶやく。

「…おおい。渕上ふちかみ」と声がすれば。

「おう、庄司しょうじくん、おはよ」と私は応える。

「…お前、夜の店で?」と彼は不思議そうに問う。

「昔の私との邂逅かいこう」なんて言っても信じてはくれまいて。店長を説得するのに苦労した。正直に訳を説明するわけにもいかなくて。

「…お前はなあ。いや分からんでもないぞ。夜中の書店は魅力的だよな」と庄司くんはうんうん頷いている。だから、感じる何かがあるんだろう。

「いや、マジなんだって」と私は言っとく。変な誤解は面倒で。

「あー?昔の夢でこの店を見たってか?」とあくびをしながら言う彼。

「…存外ぞんがい勘がいいじゃん。そう、引きこもりん時にね」と私は言い。

「…それを今まで大事に抱えてきたってか」と彼は呆れ顔で言い。

「そうだよ。私。

「…あそう。で?今から帰りか?」

「帰って寝るよ…」と私は生あくびを噛み殺しながら言い。

「休みで良かったなあ…ふぁあ」と彼もあくびで応える。

「ちゃんとそこら辺を狙う賢さがあったね。当時の私には」

「…あそう」と言う彼。

「しかし。君はなんで早出してんのさ」と私が問えば。

「面白そうな事してるから」と彼は応え。


                 ◆


 こうやって。私は降りた日々を何とはなしに過ごしている。

 この、何時か夢見たガラス張りの書店の中で。

 

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【KAC20231】『ガラス張りの書店で夢を回収する』 小田舵木 @odakajiki

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