桜はすっかり薄桃色の花びらを落としきり、道路はピンク色の絨毯が敷かれているかのようだった。その上を黒髪のポニーテールをもつ少女が歩く。

 鎌ヶ崎駅に着いた玲香は、フレアスカートを揺らしながら紫苑駅行きの電車を待った。数分しかない待ち時間だったが、玲香にとってはそれ以上に長く感じられた。

 紫苑駅の改札を出ると、窓ガラス越しにロータリーでたたずむ里奈の姿があった。黒のタックパンツと白のブラウスを着ている里奈に、ポニーテールを揺らしながら玲香が駆け寄る。玲香はこの日に胸を躍らせていた。

「ごめんお待たせ! 待った?」

 息を切らしながらそう言った玲香に、里奈の薄灰色の視線が向けられた。その瞳にはだんだんと喜びが注ぎ込まれていき、里奈の表情も朗らかなものになっていった。

「そんなに待ってない」

 少し遠慮気味にそう言ったが、待ち合わせ時刻の三十分前には里奈の姿はここにあった。興奮で昨夜はあまり寝られなかったことも、玲香には秘密だ。

「良かった……じゃあ、行こっか」

 玲香は里奈にそう声をかけ、駅の隣にある商業施設の入口へと足を進める。里奈をエスコートするような玲香の後ろ姿は、とても勇敢で素敵だった。

 

 施設に入るや否や、里奈は辺りをきょろきょろ見回す。彼女の瞳はとてもキラキラしていた。

「ここ来たのって、初めて?」

 里奈の高揚を察知した玲香は、そう呟いた。里奈は玲香の瞳を見据えながら、その眼差しに向かって返答をする。

「うん。こういうところに友達と来たのも初めて」

 学校にいる時よりも嬉々として話すその姿に、玲香は嬉しくなった。

「そっか、じゃあ早速どこか行こう!」

 玲香は里奈の瞳に微笑みかける。すると里奈は、どうしてか視線をそらしてしまった。

「……それなら雑貨屋さんに行きたい」

 そっぽを向きながら返事をする里奈を怪訝に思いながらも、玲香は賛成した。

「いいね! それならあっちだよ」

 玲香は一度行ったことがある経験を生かして、迷いなく雑貨屋に向かう。それを不思議に思った里奈は首を傾げた。

「……北谷さんはここ、来たことあるの?」

「えっ? まぁ、先週彩と来たけど……」

「そうなんだ……」

 里奈の瞳には、磨りガラスのような翳りが帯びていた。


 雑貨屋に着いた玲香と里奈は、先週と同じ、キーホルダーコーナーの前を通りかかった。

「このキーホルダー、北谷さんのリュックについてた」

 里奈が指さしたそれは、まさしく先週彩と一緒に買ったものだった。

「そうそう、先週彩と一緒にお揃いで買ったの」

「お揃い……」

 玲香の言葉を反芻する里奈は、何かを決断したかのような視線を向けた。

「私も、北谷さんとお揃いのもの、買いたい」

 すると、里奈は一人で売り場の奥まで進んでいった。玲香はそれを急いで追いかける。

「……これ、どう?」

 そう言いながら里奈は、追いついた玲香に色違いのビーズブレスレットを二つ差し出す。一つは夕暮れの斜陽を思わせる、濃いトワイライトレッド。もう一つはその後の夜空を彷彿とさせる、深いミッドナイトブルー。玲香はその輝きを見て、自分が走ってきたことすらも忘れていた。

「こっちの方が北谷さんに似合ってる」

 気が付くと、玲香の右手の中には無限に広がる陽光が存在した。それを改めて観察する。

「綺麗……」

 思わず恍惚の声を漏らす玲香。ふと里奈の手元を見つめると、彼女のミステリアスな雰囲気も相まって、それがこの世に存在して良いものなのか疑問に思ってしまう。彼女の夜空は美しかった。

「……これ、買おっか」

 しばらく里奈のことを見つめていた玲香は、我に返ってそう告げた。里奈は嬉しそうに頷き、レジへと向かった。


「関口さん、もしかして左利きなの?」

 玲香は里奈の右手首に着いている黒い腕時計を見ながら、そう尋ねた。

「うん。よく見てるね」

 普段から細かいことに敏感な玲香は、少し得意気に微笑む。

「そうだ。さっきのブレスレット着けて写真、撮らない?」

「わかった」

 そう言って、玲香と里奈はそれぞれ反対の腕を差し出して隣に並べた。二つのブレスレット同士がぶつかる。玲香はスマホを取り出して、カメラを起動させた。

 カシャッ。シャッター音とともに、玲香は腕を下ろす。そしてそのまま里奈に写真を送った。写真を受け取った里奈は、満足そうにスマホの画面を眺めていた。


 それからしばらく時間が経って、二人はカフェに訪れていた。一週間前と同じく、玲香はカフェラテを頼む。それに続いて、里奈も同じものを頼んだ。

「今日はありがと。楽しかった」

 少し恥ずかしそうにそう言った里奈に対して、玲香は微笑みかけた。

「いやいや、わたしも楽しかったよ! あ、そう言えば彩もエクスタやり始めたんだって」

「……ふーん」

 里奈は再び、不機嫌そうな返事をする。薄灰色の瞳は、どこか遠くを見つめていた。

 数十秒の静寂な時間を過ごした後、二人のもとにカフェラテが運ばれてくる。玲香はそれに口をつけながら言った。

「それでさ、今度三人でやらない?」

 里奈は逡巡するように視線を泳がせ、マグカップの取手に触れる。

「……ごめん」

「え……?」

 液面を見つめる薄灰色の瞳は、翳りを感じさせるものだった。

「……私、よくわからないから。古谷さんのこと」

「そっか……」

 よく考えてみると、確かに里奈と彩には接点が全く存在しなかった。性格も対照的だし、そもそも里奈はああいうタイプの人が苦手なのだろう。

 玲香は残念そうな表情をし、それを見た里奈も顔を下げるだけだった。


 カフェを後にした二人は、施設内を再び散策していた。

「関口さんごめん、わたしそろそろ帰らないと」

 玲香は母親からのメッセージを見て、里奈にそう告げた。

「……わかった」

 商業施設を後にした二人を茜色の空が照らす。

 残念がる里奈に、玲香は微笑みかけた。

「今日は楽しかった! また一緒に遊ぼうね」

「うん……私こそ楽しかった」

 少し笑みを取り戻した里奈に、玲香は安心した。

「じゃあ、バイバイ!」

 手を振りながら駅構内へ入っていく玲香に、里奈は少しはにかみながら小さく振り返した。


 玲香を見送った里奈は、帰りの電車が来るまで独りぼっちになった。孤独でいると、一年前の春を思い出す。スマホを取り出して、玲香が送ってくれた写真を眺める。

「本当に楽しかった……」

 この写真を眺めていると、心の奥が温かくなる。玲香との写真も、お揃いのブレスレットも、里奈にとってかけがえのない宝物になった。

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