駅のホームに咲く君と
三屋城衣智子
駅のホームに咲く花と
白い花が好きだ。
なぜかというと――気になるあの子の、イメージだから。
※ ※ ※
二月末。
受験もだいたい終わり、次のステージへの期待と不安がないまぜになったこの季節。
僕――
この駅で同じ時間、学校へと向かう人はいない。
もう少し遅いくらいがピークなんだろう、と思う。
朝の教室の雰囲気が好きなのと、家だと弟妹がバタバタと忙しないから、僕は自分のことは自分でして朝早く出ている。
共働きの両親だから、せめてそれくらいはしよう、なんて、親孝行のつもりだってことは内緒だ。
反抗期だからね。
これは最初からしていたことじゃない。
卒業が近づいた年明け、ふと思いたって実行した。
それまで随分と甘えていたんだなと、気づくきっかけになって、自分のことも家族のことも少しわかった気がして。
一歩を踏み出せた自分を、少し、好きになれた。
そんな中、彼女に出会った。
※ ※ ※
最初は偶然だ。
「あの。定期、落としましたよ」
透き通った春の空のような、僕を呼び止めたその声は少し緊張していた。
振り返って驚く。
きらりと天使の輪が光る髪は整えられて長く、今時にしては珍しい、真っ黒でまっすぐだった。
その瞳も、こちらを射抜くように静かにまっすぐで。
「あ、あ、ありがとう」
どもってしまった自分が、何だか恥ずかしかった。
「いえ、気づけて良かったです。それ、ボールチェーンが外れたみたいですよ。百均に外れない留め具売ってましたから、よかったら参考までに」
では、と言いながら通り過ぎた時、何だか花の香りがすっと通っていった気がして。
思わず目で追ってしまったその背中は、やっぱり、ピンとのびていた。
それっきりだと思っていた。
どこの誰かも、わからないし。
けれど偶然、朝早くに家を出たあの日。
あの時、違うホームで電車を待つ君を見つけた。
それからずっと、同じ時間同じ場所で違う学校へと向かう途中、君を眺めている。
お年寄りを助けていたり、赤ちゃんを少しあやしてみたり。
たまに友人とおしゃべりしてるとことか。
どうやら君は面白い話が好きみたいで、相手を大笑いさせてみたりしてて。
そんな君の優しさを、眺めている。
「えー、であるから作者の高村光太郎は……」
国語の授業中、教師の解説も聞かずに、僕は窓際の席から外をなんとなしに見る。
この学校は山間にある共学の高校だ。
のどかで、生徒も割とおおらかに青春を
空気は美味しいし、普通科と農業科があって、少々めずらしい部類でもあるかもしれない。
けれどちょっとしたバカをやっても笑って反省して次に生かす、という風潮があって、僕は気に入っていた。
それも、もうちょっとで終わる。
あと一週間もすれば、それぞれの将来へと飛び立っていく。
そんな空気が、楽しい雰囲気の中にちょっとしたわびしさの影を、落としているようだった。
空は青く、春を迎える前だからだんだん高くなっている。
『あどけない話
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。』
智恵子抄の中の、一作だ。
確かに東京には空がなさそう。
僕の中では高層ビルのイメージ。
作者は、本当に奥さんのことが好きだったのだな。
ストンと、『好き』っていう単語が、心の中のその奥底に落ちてきて。
僕は何だか慌てて黒板の方を見た。
視線を変える前の空は、ほんとうに青かった。
※ ※ ※
帰宅する時のホームに、当たり前だけれど君はいない。
いつ帰っているのかもわからない。
なんの部活動をしているのかも。
つるんでる男友達と帰る電車の中だって、それはそれで楽しいけれど。
少しだけ、時たま君と帰る僕を想像してみたりした。
恥ずかしすぎることに気づいたから、最近はしてないけど。
僕は北へと向かう電車に乗って。
君は南へと向かう電車に乗る。
あと何回、君を見つめていられるだろう。
なんて数えているうちに、卒業式になった。
※ ※ ※
「もう、本当感無量だわ」
母さんはまだぐずぐずと、ちょっと涙声だ。
照れるからやめてほしい。
卒業式の帰り道。
母さんと父さんは並んで向かい側に座っている。
そういえば、二人はどうやって出会ったんだろう?
「ね、二人はさ、どうやって出会ったの?」
「え?」
父さんが目を見開く。
母さんも、驚いたのか涙は引っ込んで間抜け顔だ。
よかった、いつまでも泣かれてちゃ決まりがわるい。
けど何か驚くほどのことを聞いただろうか?
「言えないような出」
「んなわけあるか! そうだな、俺の一目惚れだ。母さんは学校のマドンナでな、そりゃもう俺はライバルどもをちぎっては投げちぎっては投げた!」
「お父さん、言い過ぎよ」
二人とも何だか良い雰囲気になって、腕を組み始める。
年頃の息子に目の毒だからやめてくれないかな。
けど、仲が良いのはいいことだよな、とも思ってそう言ってからかうのをやめる。
そのうちに降りる駅に着いたから、僕たちは電車から降りた。
父さんはまだ何か言っていたけど……その時僕は、辿り着いたホームの向こう側に目が釘付けになっていた。
彼女だ。
両親なのか、お父さんの方はもらったんだろう花束を持っていて。
三人並んで電車を待っているらしい。
今日は市内全域卒業式だから、終了時間もにかよったものだったのかもしれない。
僕は偶然に感謝した。
偶然。
その単語が頭の中を
「ちょっと、涼介?!」
母さんの声が聞こえたけど、止まるわけにはいかなかった。
終わりにしたくない!
考えていたのはただそれだけで。
ただそれだけで足をひたすらに動かした。
卒業だからというそんなセンチメンタルでも、背中を押されたなら飛び出してみるのがきっと正解だ。
それは例えば。
バレンタインだから、でも。
誕生日だから、でも。
懸賞に当たったから、でも。
友達とケンカしたから、でも。
ほんとはなんだって良いんだ。
僕にとっては、偶然。
最後の偶然、だったから。
一生懸命に走って走って、駆け上がって。
そうして彼女のいるホームへとたどり着く。
「あのっ!!」
彼女の両親がそばにいるとか、もうそんなことは考えの中にもなくて。
ただ、伝えたい。
ずっと君が、僕の花であったということ。
ただ、それだけを。
※ ※ ※
いつか聞かれたら、僕も父のように話して聞かせたい。
今はまだあどけない、
その手がやがて夢をつかめるくらいになったら、いつか。
生まれたての君を、今抱きしめるその手と瞳がどれだけまっすぐなのか。
白い花を見つめながら、青い透きとおるような空を感じていた、そんな頃のことを。
――――――――――――――――――――
参考文献:青空文庫 高村光太郎 智恵子抄
https://www.aozora.gr.jp/cards/001168/card46669.html
駅のホームに咲く君と 三屋城衣智子 @katsuji-ichiko
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