古本屋の古本

沢田和早

古本屋の古本

 今日も一日が終わっちまった。古本屋の店内に差し込む西日が眩しいぜ。

 今年何回目だ、一人の来客もなく一日が終わるのは。って言うかこの棚に置かれてから何十年経ったんだ。手に取るどころか背表紙すら見てもらえねえってどういうことだよ。

 そもそも今時古本屋なんて流行はやらねえんだよ。電子書籍とかいうのがあるんだろ。どんなに昔の本も簡単に入手できるらしいじゃないか。かさばらない、劣化しない、デバイスひとつでいつでもどこでも読める。いいとこだらけじゃないか。


「オレたち紙の本の時代は終わったんだろうな。情けねえ話だぜ」


 いけねえ、つい声に出して愚痴っちまった。

 昔が懐かしいぜ。思い出すなあ、新刊だったころのオレ。そりゃ大切に扱われたもんさ。これでも結構なお値段だったんだぜ。

 毎日のようにオレは読まれていた。ページをめくられる時の心地好さ。オレを見つめる真剣な眼差し。読み切った時の満足顔。どれもこれも大切な思い出だ。あのころのオレは確かに輝いていた。


「それが今では薄暗い店内の片隅に放置されたままになってるんだからな。世の中の移り変わりってのは恐ろしいもんだ」


 店主は高齢の爺さんだ。ほとんど趣味でやっているんだろう、商売っ気はまったくない。店内は乱雑で値札がはがれたままの古本が無造作に積み上げられている。

 もちろん掃除なんかしちゃくれない。棚に置かれているのにオレも他のヤツらも埃だらけだ。ここにいる限り二度と日の目を見ることはないのかもしれないな。


「くそ、誰かオレを買ってくれ。この古本屋から連れ出してくれ」


 叫んだところでどうにもならないことはわかっている。だが叫ばずにはいられない。オレは価値のある本なんだ。まだまだやれるんだ。たくさんの人に夢と感動と希望を与えられるはずなんだ。


「そうさ。希望を与えられるオレが希望を捨ててどうするんだ。いつか必ず見る目のある客が来店する。そしてオレを買ってくれる。ここから連れ出してくれる。信じるんだ」


 だがそんな日は訪れなかった。自分で自分を慰める日々が何年も続いた。店主の爺さんはいつの間にか見なくなった。それから古本屋は閉じたままになった。


「な、なんだ、何事だ」


 ある日、締め切った古本屋の戸が開くと男たちが入ってきて古本を箱に詰め込み始めた。どうやら店は廃業してしまったらしい。


「やったぜ。これでこんな湿気た古本屋からはオサラバだ。ついにオレの願いが叶うんだ」


 都会の古本屋は大型書店と見紛うほど立派な施設らしい。そんな店内に陳列されれば数日も経たずにオレは買われてしまうだろう。そして多くの読み手に愛される新しい生活が始まるんだ。


「はっはっは。何十年も辛抱して埃をかぶっていた甲斐があったぜ」


 だがオレの期待はものの見事に裏切られた。運ばれたのは大型古本チェーン店ではなく回収業者の施設だった。倉庫には圧縮された古紙の塊が積まれている。オレは自分の運命を悟った。


「ウソだろ。リサイクルされてただの紙にされちまうのかよ。くそおー、嫌だ。紙になんてなりたくない。助けてくれ。本のままでいさせてくれ」


 そんなオレの叫びが届くはずもない。オレはたくさんの古本とともにベルトコンベヤーに載せられプレス機へ運ばれていく。終わった。なにもかもお仕舞いだ。


「おや」


 不意にオレの体が持ち上げられた。作業員がオレをつかんでいる。


「おーい、この本、もらってもいいか」

「ああ、一冊くらいなら構わないだろ」


 作業員はオレを足元に置いた。どういうことだ。助けてくれるのか。


「妙だな。こんな初老の男が喜ぶような本ではないはずなのだが。もしや読むのではなく別の用途に使うつもりなのか」


 疑心暗鬼を拭えないままその日の作業は終了し、オレは作業員のカバンに入れられて家まで運ばれた。


「お帰りなさい」

「ただいま。今日はびっくりするものを持って来たよ」


 カバンから取り出されたオレを見下ろしているのは初老の女だ。きっと作業員の妻なのだろう。


「あら、この本……もしや」

「そう、あの時の絵本だ。しかも同じ本じゃなくてそのものなんだ。ここをご覧。私とおまえの名前が書いてある」


 男は裏表紙をめくった。名前が二つ書いてある。


「隣の家に住んでいたおまえはこの絵本が大好きで毎日のように読みに来ていたな」

「そうだった。うわあ、懐かしい。あなたが引っ越してもう読めなくなるとわかって同じ本をねだったけど、絶版になっていて手に入らなかったのよ」

「しかも引っ越しのドサクサでこの絵本を失くしてしまって、私もずいぶん落ち込んだものだった」

「銀婚式の今日、この絵本に巡り合えるなんて。きっと神様からの贈り物ね」


 ああ、そうだ。思い出した。オレの最初の読者はこの二人だったんだ。ページをめくる手には皺が増えてしまったが、オレを見つめる真剣な眼差しは子どものころと少しも変わらない。何十年も生きてきてオレの価値を認めてくれたのは結局この二人だけだったってことか。


「これからは毎日読みましょう」

「そうだな。今度は決して失くさない」


 たった二人だけの読者。だがオレはそれで満足だ。ようやくオレのあるべき場所へ戻れたのだから。オレの最期の時をこの二人と共に過ごせるのだから。

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