最終話 いつか見た美しい青空

 旧クラルヴァイン王国の王城跡地と迷いの森周辺およそ13キロメートル四方を消失させた大事件から、ひと月あまりが過ぎた。


 調査隊が精査した情報を持った隊長格の男性がひとり、王に謁見していた。

 騎士として王国に仕える立場の男性は日々研鑽を続け、魔物を前にしても臆することがないほどの精神力を持ち合わせているが、豪奢な椅子から見下ろして座る眼前の人物に心を揺らがせ、ひれ伏すように頭を下げた表情からは強い恐怖心を色濃く感じさせるほどひどく怯えていた。


 自堕落さを体現したかのような膨れ上がった肉体。

 対面した者に無気力感が肌に伝わるほどの覇気のなさ。

 まるでヘドロまみれの沼を連想する濁りきった瞳。


 それでも中年の騎士は怯え続ける。

 強く震える体を緊張する筋肉で強引に押さえつけ、王の不興を買わないために必死で心を押し殺す。


 この世界を管理する女神リオリティアに最重要危険人物として監視をされる、神聖王国オッセンドレイフェル第7代国王、ブラウエル・ファン・アスペレン・デ・ブラバンデル=オッセンドレイフェルその人である。


 ステラに豚王と罵られたが、その実力は残念なことに本物と言わざるを得ない。

 様相や覇気のなさから誤解されがちだが、彼は72歳になる現在まで幾度となく刺客を送り込まれ、そのすべてを彼自身がことごとく返り討ちにしてきた。


 武術では王に軍配が上がらない。

 短剣ですらまともに扱えない非力さを持つ。

 それでも屠ってきた暗殺者は、数えるのが億劫なほど多かった。

 その場から動きもせず武具も扱わず、すべてを消し去ってきた王には裏付けされた実力が確かにあった。


 理不尽なまでの暴力で君臨し続けられる理由。

 特質的な力にまで昇華させた魔法で、すべてを斬り裂いてきた。


 本来、魔法とは体内にある魔素マナを循環させて体外へ具象化するものだが、王は魔力を練り込み発動するまでの時間が恐ろしく早かった。

 瞬きにも思える発動の速さが、回避できないほどの速度で迫り来る。

 無慈悲なまでに強力な魔法が扱えるからこそ、高齢になるまで揺らぐことのない王座へ座り続けられた。


 いくら天才的な才能があるとその道の達人を唸らせたところで、結局必要となるのは本人の絶えまぬ努力に他ならない。

 己の野心のために付けた力といえど看過できない圧倒的な力を前に、弱者は平伏するしか道はなかった。


 世界でも指折りの魔術師だろうと、王を前にすれば消される。

 練度の差が違い過ぎるのだから、それも当然だと言えた。

 王を前にすれば、たとえ王国一の騎士が団を引き連れて対峙しようと、その場から動かすことすらできずに命を摘み取られるだろう。

 だからこそ、世界の管理者たる女神リオリティアが最重要危険人物として現在も監視を続ける。


 危険すぎるのだ、この男は。

 まるで息をするように人を殺し、何の感慨もなく欠伸をする。

 そんな男を前にして震えない者など勇者一行くらいだろうと感じながらも、中年の騎士は精査した情報を伝え、その結末を王へ報せた。


「――なお、剣聖ダグラス・エルドレッド、大賢者グレイス・アシュクロフト、大魔導士ステラ・エインズワース、そして勇者アレクシス・ラングフォードの4名は依然として消息不明。

 魔王討伐戦における大爆発により、周囲と共に消失したと考えられます」


 騎士が続ける決死の報告もむなしく、王はつまらなそうに男性を右手であしらう仕草を見せた。

 報告を終えた騎士は立ち上がり、深く頭を下げて音を立てないようにゆっくりと謁見室から離れた。


 魔王消滅は当然として、勇者一行の死など王にとってはどうでもよかった。

 どうせ生きて戻れば処断していたのだから、その手間が省けた。

 その程度にしか思われていなかった。


 王の行動原理を予測した女神の推察は的中し、これ以降、勇者たちの捜索は行われなかった。

 世界中を駆け巡る"命を賭した英雄たち"は、巨悪を打ち滅ぼした華々しい英雄譚として後世に語り継がれるようになる。




 そして、さらに1年の月日が流れた。


 大精霊シュルヴィに庇護を与えられたアレクたち一行とヴィクトリアの5名は、彼女の創り上げた妖精の楽園である幻想世界に身を置いていた。


 戻ることのできない最後の冒険ではあったが、彼らの表情はとても明るい。

 元々こういった静かな暮らしを望んでいたこともあって、妖精と戯れながら生活する日々は幸福そのものだった。

 かつて冒険者として活動した時に身に着けた武具のすべては大樹の横に置かれ、今では妖精たちの遊び場となっている。


「そろそろ焼けるよー。

 みんな、おいでー」


 アレクの呼びかけに集まる妖精たちは、小さく切り分けられた羊肉を美味しそうに頬張った。

 幸せな表情を浮かべる子供たちを見ながら、ダグラスはぽつりと呟いた。


「……まだ慣れねぇな。

 妖精たちが肉を食う姿に……」

「話に聞いていた存在とは、ちょっとだけ違いましたね」

「……グレイス、ここは明言するべき。

 聞いたことすらない想定外の事態だって」

「木の実やハーブ、果物を食べてる姿で描かれますからね……」


 苦笑いを浮かべながら、ヴィクトリアはステラに続いて言葉にした。


 だが妖精とはいえ生物に他ならない。

 それに、この手の話をしていると必ず返ってくる文言があった。

 ダグラスたちへ振り向いた妖精たちは首を傾げながら彼らに問いかけ、楽しそうに談笑を始めた。


「おやさいはたべていいのに、おにくはたべちゃダメなのー?」

「くだものやきのみ、きのこもおいしいけど、あきちゃったよねー?」

「そのままたべるのも、あきちゃったー」

「それにあたしたち、おにくとれないのー」


 魔法も使えない彼女たちの体格を考えれば当然だった。

 妖精たちの言うように、植物と動物の違いを訊ねられると納得せざるを得ない。

 それでも、想像上の存在だと思っていた幻想的な妖精が、美味しい美味しいと言葉にしながら笑顔で肉を頬張る姿に、何も思わないわけでもないアレクたちではあるが。


 広場に置いた野営用の焼き網から肉汁が滴り、香ばしい香りが食欲を刺激する。

 ここ最近は、肉ばかりを所望する小さな子供たちのために調理する日々が日常となっていた。


「ごめんなさいね。

 でも、この子たちに害も出ないから安心してください」

「あ、せんせーだー」

「せんせー、おにくいっしょにたべよー?」

「先生はお腹いっぱいなので、みんなで食べていいわよ」


 満面の笑みで答えた彼女も食べられなくはないが、食べる必要自体がない。

 すべては大樹の中で生きるための力を得ているからだと、アレクたちに話した。

 当然、妖精たちにも伝えてあるが、正確に理解するには難しかったようだ。

 大樹の中で食事を取ると思われていると、楽しそうにシュルヴィは答えた。


 食材のすべては、人の居ないほど人里離れた森の最奥付近からアレクたちが手に入れ、首都から遠く離れた村で野営用の機材や衣服などの生活用品を購入し、幻想世界に持ち込んだ。

 冒険者ギルドに預けてある資金を取りに戻れないので潤沢とはいえないが、5人が生きていくだけならば大きな問題とはならなかった。

 雨の降らないこの場所で住居は必要なく、自然に囲まれた世界に夜が来ると眠りに就き、明るくなると起きる。

 彼らはそんな質素な生活を、最低限の道具で暮らした。


 満足そうに足を伸ばし、各々好きな場所でくつろぐ妖精たちに頬を緩ませたアレクは、陽光が射す空を見上げながら言葉にした。


「……いつか見た美しい青空。

 こんな空を、僕はあなたと一緒に見たかった」


 輝かんばかりの光に満ち溢れたこの幻想世界こそが、自分の居るべき場所ではないかと本心から思っていた。

 それは共に暮らし始め、これ以上ないほどの居心地の良さを感じている4人も同じ気持ちだった。

 そう感じてはいても、彼の言葉には素直に返せなかったヴィクトリア以外の3人は、いつものように答えた。


「お前ら、もう結婚しちまえよ。

 そうすりゃアレクのプロポーズを聞かなくて済む」

「シュルヴィ様とは意味が違いますが、もうお腹いっぱいですよね」

「……どんどん軟派男になってる気がする。

 そろそろ徹底した教育的指導が必要と提案」

「ぼ、僕はただ、思ったことを言葉にしてるだけなんだけど……」


 今ならシュルヴィ様だけでなく、女神リオリティア様からも祝福されるぞとダグラスに言われて心が揺らぐアレクだったが、さすがに直接的な告白をするまで気持ちが纏まってるわけではないようだ。

 これまで何度となくヴィクトリアに対して発言してきたものが、アレクにとっては愛の告白ではなかったのだと知った3人は、疲れ切ったように深くため息をつく。


 今後も続くだろうこのやり取りに面倒くさそうに思いつつも、香ばしく焼けた肉に手を伸ばしながら、どこまでも澄み渡る空の下、今日も穏やかな日常が過ぎ去っていった。

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逃亡勇者 ~魔王戦から逃げた勇者は別の未来を探し求める~ しんた @sinta0115

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