バスが来るまで

綺瀬圭

たかが60分、されど1時間。

 私は田舎出身だ。


 どれくらい田舎かというと、バスが一時間に一本しか来ないレベル。休日なんて、夕方でバスが終わるため、友人と遊びたくても遊べない。


 小学校は各学年ひとクラスのみ、つまり全学年1組しか存在しない。教師と全校生徒の合計は100に届かない。


 スーパーどころかコンビニも車がなければ行けやしない。唯一徒歩圏内にあるのは、小さな駄菓子屋だけだ。


 こんなないものだらけの私の地元。人里離れた小さな町村や離島よりかは栄えているのかもしれないが、窮屈で退屈な世界は、とてもじゃないが好きになれなかった。


 あの頃、私は高校生だった。


 部活や恋や友人との思い出作りといった輝かしい青春を送る同級生とは裏腹に、私は分刻みの戦いをしていた。なんせ、少しでも最寄り駅に着くのが遅れバスを逃したら、次の便を一時間以上も待たなければならないのだ。


 しかし不幸なことに、電車はよく遅延する。事故や強風や点検など理由はさまざま。私は結構な頻度で、一時間の暇をやり過ごす羽目になった。


 いくらでも時間を潰せる便利なスマートフォンなど、当時の私が持っているはずもなく。

 そして申し訳ないほどに、学生時代の私は小説を読んでいなかった。


 小説を読むくらいなら、受験のために単語帳を開きたいと思っていた。しかしテスト期間でも受験期でもないのに単語帳を開くほど真面目でもなかった。


 私はバスを待つ一時間を、主にマンガを読むことで耐え抜いていた。


 最寄り駅の徒歩圏内に、私の暇つぶし場所が二つ存在した。一つは、市立図書館。


 誰でも自由に利用できて、学生がよく自習をしていた場所だ。テスト期間外に自習などしない私は、いつもそこで手塚治虫の作品を読み漁っていた。というのは、図書館に唯一用意されていたマンガが手塚治虫とサザエさんだったからだ。


 結果、高校3年間で見事ブラックジャック全巻制覇を成し遂げ、火の鳥シリーズやアドルフに告ぐなど多くの名作に触れることができた。


 しかし高校3年間毎日ブラックジャックばかりを読めるわけがない。図書館に次ぐもう一つの暇つぶしが、駅構内にあった小さな本屋だった。


 特別広くもない。利用者のほとんどは、本を買わずに立ち読みばかり。繁盛しているのか、売上はいいのかよく分からない。


 不真面目な私は、ピラミッドのようにきれいに積み重ねた文庫本を華麗に通り過ぎ、マンガコーナーにばかり浸った。

 さまざまな出版社のさまざまなジャンルのマンガを眺め、興味を抱いた作品に巡り合った時には少ない小遣いからそれらを購入した。


 気まぐれで買うものだから、第一巻目で飽き、続きを買うことなく終わった作品が複数ある。しかし中には、熱中し続きが知りたくて仕方がないほど夢中になったものもあった。


 そんな作品に出会った際には、「最新刊春ごろ発売予定!」といった曖昧な文句を頼りに、放課後マンガコーナーに走り、最新刊が販売していないか確認して回った。


 本屋に行くのが楽しみで。最新刊を見つけた時の感動とレジに向かう胸の高鳴りは若さゆえで。

 もはや、暇つぶしが目的ではなくなっていた。


 マンガをレジに持っていくと、必ず店員に聞かれることがあった。


「ブックカバーは、お付けしますか?」


 実家には、無料で得た紙製のブックカバーが山のようにある。カバンに乱雑に詰めたせいか、毎日のように学校に持って行っていたせいか、その多くが、持ち手や角が破れかけている。


 彼らは私の青春時代の歴史だ。


 つまらないプライドの塊で形成されていたあの頃。大人が求めるほどの機械的な真面目人間にはなれなくとも、大きく道を外れる勇気も持てなかった青臭い日々。早く離れたいと願っていた不便な町。


 私の子ども部屋には、あの頃買いためたマンガで埋め尽くされた本棚が鎮座している。彼らを最後に開いたのは、一体いつのことだろう。


 年に一、二回、地元に舞い戻る。


 帰るたび、あの頃過ごした空間が今でもそこにあり続けていることに僅かながら喜びを抱く。

 それでも今でも同じように不便なままのバスの時刻表に落胆する。

 スマートフォンで音楽を聴きながら、SNSを眺め、バスがやってくるのを気長に待つ。


 発展しすぎた現代。あそこは今も、誰かにとっての暇つぶし場所になっているのだろうか。


 今度帰省した時は、ちょっと寄ってみてもいいかもしれない。

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バスが来るまで 綺瀬圭 @and_kei

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