【KAC20231本屋】本屋のアルバイト

ながる

アルバイト募集中

 近所の古本屋の入り口には、いつもアルバイト募集中の張り紙がしてある。

 二、三日外れていると、風で飛んだのかと思うくらいには日常の光景だ。

 いつまでも人が来ない、というわけではなくて、むしろ興味深そうに眺めては店内に消えていく者たちを何人も見ている。

 だが、数日するとカウンターには店主の姿が戻っているという具合だ。

 ちなみに、その張り紙にはこう書いてある。


『【アルバイト募集中】おばけ、その他が見える方。見えても反応しないでいられる方。委細面談。店主』


 商売としては成り立っているのか不思議なくらい、客の出入りはないのだが、もう老齢の店主は「趣味だから」とくつくつ笑うだけ。

 それでもさすがに昼に剥がした張り紙が、暗くなってまた貼られる事態には、深々とため息をついていた。


「おまえさん、三日くらい頼まれてくれないか」


 そう頼まれたのは、桜のつぼみが膨らんでくる季節だった。

 渋っては見せたものの、店主の気持ちもわからないではない。春はいろんなものが浮かれやすい季節なのだ。酔客に荒らされたりしたら大変だし、三日くらいなら我慢できるだろう。

 不幸があって遠方の葬儀に出席しなければならない店主に代わって、次の日からカウンターの向こうに座ることになった。




 初めに現れたのは女だった。長い髪も白いワンピースもぐっしょり濡れている。棚に収まりきらなくてあちこちに積んである本が濡れやしないかとハラハラする場面だ。

 だが、女から滴る水滴は女の興味あるものしか濡らさない。ちらりと存在を確認した後は、届いた本の整理を続けていた。

 あちこち彷徨った末に、女は一冊の本を手に取って、消えた。


 どこかで本が落ちる音がして、次に現れたのは緑色の肌をした一つ目だった。ツノはないので鬼ではないのだろう。

 ドスンドスンと足音を響かせながらまっすぐに歩いて行く。突き当たりの棚にたどり着くと、一冊の本を取り出して開いた。そこに、やにわに頭を突っ込んだかと思うと、大きな体はにゅるんと本に吸い込まれてしまった。

 後には開かれたままの本が床に落ちている。やれやれと本を拾い上げて、所定の位置に戻しておいた。この場所を間違うと面倒なことが起こるのだ。


 火を噴く竜。儚い妖精。白い毛玉。果ては不定形のぐにょぐにょまで、現れては消えていく。対処法マニュアルに従って、淡々と仕事をこなせば、一日などあっという間に過ぎてしまった。




 さて、三日目。もう少しで店主も戻るだろうと気を抜いていたところに、普通の人間が入口から入ってきた。珍しい。普通の客だ。

 メモを見ながら何人かの作家名を上げたので、棚を案内してまたカウンターに戻る。しばらくしてから様子を窺うと、さっきまで居なかった猫背の男が、客の背後に立って覗き込むようにしていた。聞き取れないが、何かぼそぼそと話しかけている。

 客が反応して振り返ろうとしたので、慌てて声を張り上げた。


「お客さん! こっちの棚にも少しあるんだった!」


 客はまんまとこちらを振り返り、曖昧な笑みで「ありがとう」と言った。

 背後にいる男も、苦々しげな顔でこちらを見る。うっかりと目を合わせてしまった。

 そこから男はカウンターにやってきて、前から後ろから、時には上や下からこちらに声をかけてきた。客が帰るまではと無視を決め込んでいたが、その男はしつこかった。

 ああ。せっかくここまで我慢したのに……


 ぽたりとカウンターの上にしずくが垂れる。

 男は嬉しそうな声を出した。


「泣いてんのか? 怖えよなぁ。でぇじょぶだ。すぐ終わる」


 伸びてきた男の手を、思わず掴んで引き寄せた。

 ニタニタと笑った顔が、少し疑問に傾いだ。


「これは、仕方ないですよねぇ。そちらが寄ってきたんですし」


 自分の声が弾んでいるのがわかる。色気の悪い男の腕を持ち上げ、その指をよだれの溢れた口に入れた。

 ハッと見開いた男の顔は、すぐに砂状に崩れて消えた。


「あまり美味しくはないですね。珍味、というところかな」


 店主が帰ってきたら、報酬を減らされるかもしれないが……普通の客は守ったのだから、怒られはしないだろう。




本屋のアルバイト 終

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