ブックセンター

東雲そわ

第1話

 休日。二週間ぶりに彼女と会う約束をした渋谷の街。

 一本早い電車に乗れたため、待ち合わせの時間にはまだ五分ほど余裕があった。駅のエスカレーターに乗りながら、彼女にメッセージを送る。


──ついたよ。


 送ったメッセージに既読がつくまでの二分間で、地上に出る。


──いつものとこ。


 その言葉だけで彼女の居場所を知ることができた。交差点の信号を待つ間に、了解を意味するスタンプを送る。

 信号が変わり、動き出した人の波に乗って、公園通りを足早に歩く。

 やがて辿り着いたそこは、地下一階。彼女の好きな書店の中。入口付近に平積みされた新書を横目に店内を横断し、奥まった位置に設けられたアート関連の書籍がひしめき合う一画。その片隅で、彼女はどこかの街並みを題材にした写真集を手に取り、少し眠たそうな眼差しでそれを見つめていた。

 

「またその写真集見てる」

「この人が撮る写真、なんか好きなんだよね」


 傍に立ち声を掛けると、彼女は振り向くことなくそう応える。

 その横顔が少しやつれて見えたのは、仕事の疲れが色濃く出ているせいだろうか。休みが取れないと嘆いていた彼女の貴重な休日を、「会いたい」という理由だけで奪ってしまった罪悪感が沸々と湧いてくる。


「無理言ってごめん」

「ぇ? ……あぁ、別に平気なのに」


 優しく笑う彼女に、少し救われる。 

 プロのカメラマンのアシスタントとして、薄給に喘ぐ彼女に、同棲を提案してから二週間が経つ。返事はまだもらえていない。


「……その写真集、買ってあげよっか?」


 その言葉に、彼女の瞼が大きく開かれる。その瞳は、彼女の意志を現すように、強い光を湛えていた。


「いつか私が本を出したら、それを買ってよ」


 そう言って自信ありげに笑う彼女は、手にしていた写真集を窮屈な本棚にねじ込むと、次に平積みされていた猫の写真集を手に取り、ぱらぱらとめくり始める。


「猫が飼えるところにしようね。私、こういうおっきい猫が飼いたい」


 何ページか捲ったところで、彼女がそれを指差しながら言った言葉。それを理解するのに、少し間が必要だった。

 その沈黙を不審に思った彼女が、言葉を続ける。

 

「あれ? 猫嫌いだったっけ?」

「嫌いじゃないけど」

「犬の方がいい?」

「そうじゃなくて」

「フクロウでも可」

「まだ、返事もらってなかったから……」


 そこまで言って、彼女もようやく理解する。


「あ。ごめん。そうだったかも。一人でその気になっちゃってた……やっぱりやめよっか?」


 戯けたように笑ってみせる彼女の瞳は、隠しきれない不安に揺らいでいた。


「やめない」

「ならよかった」


 満足げな笑みを浮かべて、猫の写真集を抱えた彼女は、軽やかな足取りでレジへと向かう。


「ノルウェージャン・フォレスト・キャット」

「ぇ?」

「その猫の名前」

「へー、かっこいいじゃん。じゃあジャンくんって名前にしよう。もちろん男の子ね」


 猫のような気まぐれでこれから歩む道を決めてしまう彼女を、僕は今日も追いかけている。

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