そこは、世界の扉の集う場所

梓馬みやこ

はてしない物語

 「はてしない物語」という物語をご存じだろうか。

 ミヒャエル・エンデの児童文学で、日本では「ネバーエンディングストーリー」という名前で映画化もされている。

 ずっとむかしのファンタジー映画で、不朽の児童文学、ファンタジー、冒険の物語という点で昨今の映画化で言うとナルニア国物語やロードオブザリングにポジションが似ているかもしれない。

 いじめられっ子の主人公が逃げ込んだ本屋で一冊の本と出会い、徐々に嵐になっていく夜の中、物語の世界の没頭していく話だ。


 映画では本の中で崩壊していく異世界が逐一物語として展開し、読み手の少年と、物語の中の主人公の描写が行き来する。

 結論から言ってしまえば、少年は物語を読み進めることで物語の主人公「アトレーユ」とともに旅をし、世界の果てにたどり着き、崩壊する世界の幼心の君に新しい名前を与え世界は再構築される、というストーリーである。

 幸運のドラゴン、悲しみの沼、白馬のアルタクス、追いすがる虚無の人狼グモルグ……

 子供心にも心躍る冒険が描かれているのも秀逸であるが、大人になり「本屋」というテーマのもとに思うのは、「果てしない物語」という物語そのものが本の中の世界と人を繋ぎ、本屋は本と人を繋ぐ場所である、ということを体現しているということである。


 映画版も原作も二作に分かれているが、いずれもキーパーソンはコリアンダー書店の店主であり、そもそも主人公に本をめぐり合わせるきっかけとなったのもこの店主である。

 コリアンダー氏はこどもは本を汚すから嫌いだと言いつつ、主人公バスチアンが「はてしない物語」を盗んだ時は、それに気づいていながら気付かないふりをして笑みを浮かべる。


 私はこれらの物語をそれこそ幼い時に目にしたわけだが、幼かったからこそ記憶は鮮明だ。

 そして、ある時、私はまったく予期すらせずにその本に出会った。


 古書店の棚の奥。

 何気なく手を伸ばした見知らぬ分厚い児童書の向こう側。

 そこにあったのが、その本だった。


 赤い丈夫な生地の装丁、その表紙には二匹の蛇が円を描き、お互いの尾をくわえた楕円の中に記される「はてしない物語」の文字。


 そう、その本こそ主人公が偶然冒頭で手にする、ファンタージェンの物語を描いたはてしない物語……「そのもの」だった。

 心地としてはまさしく鳥肌ものと言えるだろう。

 ほんの少し、それこそ8ページほど読み進めればその理由が分かる。


 「バスチアンは本を取り上げると、ためつすがめつ眺めた。

 表紙はあかがね色の絹で、動かすとほのかに光った。パラパラとページをくってみると、中は二色刷りになっていた。(中略)表紙をもう一度よく眺めてい見ると、二匹の蛇が描かれているのに気が付いた。一匹は明るく、一匹は暗く描かれ、それぞれ相手の尾を噛んで……」


 (引用 「はてしない物語」P16 岩波書店 佐藤真理子 訳)


 この表現そのままの本が、私の手の中にあった。何気に手にした、児童書のその奥に。

 飾り時に二色の文字。驚くべきことに、表紙だけでなく中の仕様まで同じである。最初に手にした書籍はまるで初めからただ取り除かれるだけであったかのように、その物語は静かにその棚の奥に、佇んでいた。

 それに気づいた時の、不可思議な感覚。


 こういう感覚というのは、いくら表現したところで、体験した人間でないと、わかりづらいだろうとは思う。けれど、テーマに沿って言うなら、私はまったく巡り合うはずもなかったこの本に、その古書店で出会った。

 縁以外の何者でもなく、私は迷わずに分厚い児童書を買って帰り、まるでこどものようにわくわくしながらその物語を読み進めた。


 その物語の、本当の最後は、コリアンダー氏によって収束する。


「本当の物語は、みんなそれぞれはてしない物語なんだ」

「ファンタ―ジエンへの入り口はいくらでもある」

「魔法の本を手にしてそれに気づかない人が多い」


「本を手にして、読む人次第なんだ」



 それらが一堂に会する場所が、本屋であり、コリアンダー氏は、自らの店のぎっしりと本が並んだ棚を眺めながら、そうしてパイプをふかす。


 その本を読んだ人にとってもまた、物語の意味は変わるだろう。

 物語が体現する様に、本は人と物語、現実と異世界を引き合わせ、それらが集い、数々の世界への扉を開くもの、それが「本屋」なのであると思う。


 私は多くの作品を書き記してきたが、いつも感じているのはこんなことだ。


「私は物語を作っているのではなく、どこかの世界を覗いて、それを描いているだけなのだ」と。


 私の描く物語は、その世界の住人たちは、活き活きとして見えるとよく言われるが、きっとそれはぎこちなく作られたものではなく「どこかにあるもの」だからなのだと思う。


 そんな世界への扉が集まる場所が「本屋」。


 このエッセイにたどり着いた人が、もしもただ「本を読んでいただけ」だと思い続けてきたのなら、以降は少し、世界の見え方が変わるかもしれない。

 真実がそうであったとしてもそうでなかったとしても。



 その方が面白い



 と私は思う。

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