最果ての本屋ー『勇者になれる本』売ります

七野りく

最果ての地

 その古めかしい建物は様々な書物で語られているよりも、今までの旅路で聞いてきた無数の噂よりも、遥かに巨大だった。


 使われているのは主に煉瓦だが苔生し、小鳥達が屋根の隙間に巣を作り、尖塔は半ばから折れている。

 正門の鉄格子や石畳もボロボロで、本来の用途を果たしていない。


「……本当に、此処で合っているのかしら?」


 手に持つ魔杖を握り締め、私――帝国『元』上級魔法士リタ・ケーシーは独白した。この地に到るまで長い長い旅をしたせいか、独り言はもう癖になってしまっている。首尾よく任務を果たし帝都へ戻れても、直せないかもしれない。


「よ、良ーし!」


 薄汚れた小さな帽子を被り直し、私は意を決して正門を潜り抜けた。

 春が近いとはいえ、まだまだ冷たい風が傷んだ金髪と魔法衣を靡かせる。

 こんな所で立ち止まっていても物事は解決しない。


 何しろ此処は――『世界の最果て』。


 最後に人の姿を見たのは一ヶ月前だし、未だ地図すらも描かれていない『迷宮峡谷』を抜けた先なのだ。突っ立っていても誰も助けてなどくれない。

 ズンズン進んでいくと、石畳の脇から住み着いているらしい栗鼠の家族が整列し、不思議そうに私を見つめている。


「人を見ても逃げようともしない、か。……コンスタンスの言っていた通りね」


 私を身代わりとしてこんな場所へと送り込んだ異母兄の言葉を思い出し、吐き捨てる。私の地位、名誉、財産の全てを奪った憎らしい男だが、仮にも『勇者』の一人。

 多少なりとも観察眼は持っていたようだ。

 石畳を真っすぐ歩いて行くと、後方に気配を感じた。

 腰の短剣に触れながら、肩越しに見やると、


「犬?」


 黒茶色で長毛な大型犬が尻尾を振っていた。瞳もキラキラで、そこに敵意はない。 

 むしろ、嬉しがっているように見えるが、小柄な私は気圧されてしまう。


「え、えーっと……」


 困惑しつつ話しかけようとして、気付く。

 ――この子、真新しい首輪をしている。

 思わず手を伸ばすと、


「あ、ち、ちょっと、待ってっ!」


 突然、犬が駆け出し始めた。一直線に正面玄関へ向かっている。

 私は思わず愛杖を握り締めた


 ――間違いない。


 あの建物には……『最果ての本屋』には、誰かがいるのだ。

 


「………………」


 覚悟はしていたものの、心が酷く重くなる。

 私は今からその人物に対し『契約の不履行』を伝え、最悪の場合、自分の身を差し出さなければならないのだ。


※※※


 知らない花の咲き誇る石階段を登り終え、私は息を吐く。


「……うわぁ」


 間近で見る建物は正門前で見たよりも遥かに巨大だった。表面には細かい紋様が彫られ、かつての栄華を思わせる。

 材質の分からない玄関前では先程の犬が尻尾をゆっくりと振っていた。私を待っていてくれたようだ。


「わふっ」


 一鳴きすると、玄関が少しだけ開き中へと入っていく。 

 意味は――『ついて来て!』。

 一年に亘る旅路を助けてくれた愛杖をしっかりと握り直し、私は緊張しながら歩を進めた。


「お、お邪魔、しま……っ!?」


 一応挨拶しながら建物の中へ入り、私は絶句した。

 眼前に広がっていたのは、円形に列なる無数の書棚。

 天窓の陽と所々には魔力灯。保存魔法も恒常発動しているようだが……私でも理解不能だ。

 こんな光景は帝都でも見たことがない。


『彼の地には全ての古書と魔法書が揃っている』


 ……まさか、本当に?

 佇んでいると背中に黒猫を乗せ犬が戻って来た。

 そして、クルクルと私の周りを歩き中央へ。

 何時でも魔法を放てるよう準備をしつつ、おっかなびっくりついていくと――パチパチ、という薪が燃える音がした。書店の中に火?


 困惑していると視界が開けた。


 中央に設置されていたのは、本や書類が堆く積もっている執務机と幾つかの椅子。豪奢なソファーとテーブル。中央には立派な暖炉。人がいるのだ。

 緊張で身体を硬くした私を捨て置き、犬は暖炉前へ真っすぐ進み、黒猫と一緒に丸くなった。

 とてもとても可愛い。……可愛いのだけれど。


「あれ? めっずらしぃー! 御客さん~?」

「っ!」


 突然、人の声が耳朶を打った。心臓が痛い位に早くなる。

 恐る恐る後方を確認すると――


「こんな所までよく来たね~。あ、空いているソファーか椅子に座ってね」


 そこにいたのは数冊の古書を浮遊させた小柄な女の子だった。年齢は私と同じ十代後半にしか見えない。

 長い茶髪に小さな眼鏡。赤基調の見るからに上質な魔法衣。手には小冊子を持ち、周囲にも数冊の古書を浮かべている。

 綺麗な青い瞳は宝石のようだ。


「え、えっと……貴女が、此処の『店主』にして、百年前の人魔大戦を休戦に持ち込んだ『賢者』――フィニー・ハーモニーさん、ですか?」

「うんー、そうだよー。よいしょっと」


 少女は私の問いに答え、ソファーに座り込んだ。

 指を鳴らすと、テーブルの上にティーポットとカップが出現し、勝手に紅茶を淹れ始めた。原理は分からない。

 小さな左手を軽く振り、促してくる。


「突っ立てないで座ってよー。久しぶりの御客さんなんだし、少しお喋りに付き合ってほしいな。一族の総意で『促成勇者』の身代わりを務めなきゃならない、哀れで可哀想な――リタ・ケーシーさん?」

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