支払いはブドウ糖で

平葉与雨

品揃えは人生で

「いらっしゃいませ」


 男は普段から使っている本屋にやって来ました。

 毎度のことながら、入り口付近には男が最近見たものや覚えたものが乱雑に置かれています。

 少し奥に入ってみると、そことは比べ物にならないくらい綺麗に整頓されていました。家族や友達、アニメや漫画など、分かりやすくジャンルごとで分類されているのです。


「何かお探しですか?」


 いつもの店員さんが男に声をかけました。


「今回は十年以上前のものなんですけど……」

「それでしたらもう少し奥の方にありますのでご案内いたします」

「お願いします」


 男は店員さんに連れられて本屋の中間くらいまで進みました。


 この辺りにある本は時間で分類されていて、過去のものであればあるほど、ホコリまみれで中身も薄くなっています。

 基本的にはそうなっていますが、時には例外もあるのです。


「あっ、これは……」


 男は気になった本を手に取りました。


「そちらは十二年前のものです」


 店員さんがそう言うと、男は感心しました。

 その本だけが周りと比べてとても綺麗だったからです。

 男は店員さんにその訳を尋ねました。


「一ヶ月ほど前にもご覧になっていましたから」

「あれ、そうでしたっけ?」

「はい、それはもう熱心に」


 店員さんによると、男は少し前にもこの本を手に取っていたそうです。

 男はそのことを忘れていた自分を恥ずかしく思いました。

 すると、それを感じ取った店員さんが男に言いました。


「何も恥ずかしいことなんてないですよ。この世界に生きる全ての人が、同じことをしていますから」


 男はそれを聞いて少しだけ安心しました。そしてすぐに、自分がその本を買わなかった理由を店員さんに尋ねました。


「さぁ、そこまでは……」


 店員さんはそう言うだけでした。

 どうやら男と同じように何も覚えていないようです。

 男は少し残念そうな顔をして、手に取った本を元の位置に戻しました。

 すると、それを見た店員さんが男に言いました。


「今日も買わないのですね」

「はい、なんだか怖くて……」


 男は買わないのではなく買えないのだと、店員さんは気づきました。

 けれども、店員さんには男の気持ちが理解できませんでした。


 男は分からないと言われたので、自分の考えを素直に伝えました。


「思い出したくないことがあるかもしれないじゃないですか」


 それを聞いた店員さんは男に言いました。


「思い出したくないものは、得てして忘れられないものです。本を見た時に思い出していないのであれば、それはその本に載っていないと思います。ですので、勇気を出して見てみましょう! 忘れたくないことが眠っているかもしれませんから」


 男は悩んでいましたが、店員さんに背中を押されて再びその本を手に取りました。


「やっぱり、これください」

「かしこまりました! お支払いはどうされますか?」

「ブドウ糖で」


 男は本を一冊購入し、笑顔で本屋から出ていきました。


「毎度ありがとうございます」


 店員さんは男を見送った後、入り口付近の本を片付け始めました。

 次々に入荷してそこに置かれてしまうため、早めの行動が大切なのです。


「また沢山入ってきましたね」


 店員さんは入荷した本を抱えて、奥の方へと進みました。

 そして、いつも通りの仕分け作業を淡々と行うのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

支払いはブドウ糖で 平葉与雨 @hiraba_you

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ