最後の本屋

日和崎よしな(令和の凡夫)

最後の本屋

 時代は変わった。

 書籍の電子化が進み、その煽りを受けて紙の本は淘汰された。


 変わったといっても急に変化したわけではない。

 いまに至るまで、じわじわと変遷してきたのだ。

 まるで川底の石が水流に転がされ、少しずつ角が取れて丸くなるように。


 そして本日、本屋の歴史に幕が下りる。


 需要減少という時代の波に呑まれ、本屋は世界中で次々に消えていった。

 そしていま、私がいるこの店舗こそが世界で最後の本屋であり、ここが本日をもって閉店するのである。


 日頃の店内は閑散として客が一人いるかいないかという状態だったが、今日だけは記念に訪れた客でごった返している。

 中にははるばる海外から訪れたらしい客も見られる。

 見るからに本を読まなそうな人もいた。

 きっと本屋の全盛期はこれが普通だったに違いない。

 新たな知識を探す人、知的好奇心や刺激を求める人、暇つぶしにブラブラ歩く人、みんなそれぞれの思惑で本と本の間を行きかっている。


 しかし、それももうじき終わりを迎える。

 まもなく閉店の時間なのだ。

 レジには列ができ、店員たちは額に汗を浮かべながら最後の仕事を黙々とこなしている。

 きっと店員たちも書店で働いていてこんなに忙しい日を経験するとは思わなかっただろう。

 もちろん、採算の取れない現代の書店に自動会計機なんかが設置されているはずもない。


 私は五冊の文庫本を赤子のように左腕で抱きかかえ、会計待ちの列に並んでいた。

 私のいる位置は列の最後尾。後ろに人が立つたびに右手で促して順番を譲った。

 そしてまた一人、一冊の本を手に持つ老紳士が私の後ろに並んだ。


「あ、どうぞどうぞ」


「いえいえ、けっこうですよ」


 老紳士は紺色のベストの上で微笑をたたえ、そこを動かなかった。


「いえいえ、遠慮はなさらずに。ほら、私は五冊もありますから」


「構いませんよ。私はもう歳なので、会計にモタモタしてしまいます」


 さすがに私も察した。この老紳士が私と同じことを考えているのだと。

 そして、それを実現できるのはどちらか一人だけである。


 それは、《世界で最後に本を購入した人》になること。


 仕方ない。こうなったら策を弄するしかない。


「あ、そういえば……」


 そんなことを呟いて、私は列を離れた。

 店内を無駄に一周し、再び列に並ぶ。

 前にいた先ほどの老紳士がこちらを振り返った。

 一秒ほど時が止まったかのような間があったが、老紳士は私にほほえみかけてきた。


「先ほど前にいらっしゃいましたね。前にどうぞ」


「いえいえ、列を離れてしまったのは私ですから。私は後ろに甘んじます」


「そうですか……」


 ちょっと引きつったような二つの微笑が見つめ合う。


 それから数分後、ついに閉店の時間を迎える。

 しかし会計の列はいまだ人が並んでいる。

 さすがにいまから入店してくる人はいないが、元々店内にいた客が次から次へと並んでくる。もちろん、そのたびに順番を譲る。


 さすがの店員もキリがないと思ったようで、会計の順番待ちを締め切るべく叫んだ。


「会計はただいま並んでいる方までで締め切らせていただきます。当店はもう閉店いたしますので、会計待ち以外の方は退店のほどをお願いいたします!」


 最後尾。私は勝利を確信した。

 老紳士は振り向かない。


「次のお客様」


 そして老紳士の会計順が回ってきた。


「あ、えっと、すみません。先にお手洗いに行かせてください。私の会計は後回しで構いませんので」


 なっ、なにぃいいいいいいっ!?


 老人が持っていた本を会計台の端に置いてトイレの方へと歩いていく。

 私は呆然と紺色のベストを見送る。


「次のお客様、どうぞ」


「あ、はい……」


 いや、まだ終わってはいない。

 私は五冊の本を会計台に置く瞬間、とっさに最下段の本を手前に滑らせ、店員からは死角となる会計台の下の荷置き台に落とした。


 私が会計を済ませて四冊の本が入った紙袋を受け取ったところで老人が帰ってきた。

 私は寝かせた紙袋の下に五冊目の本を添えて場所を開ける。


 私が老人の会計を眺めていると、老人がチラとこちらに視線を向けた。

 紳士然とした微笑をたたえている中に、勝ち誇った愉悦の含みを感じる。


「ありがとうございました」


 老人の会計が終わった瞬間、私は行動に出た。


「あ、しまった! 一冊だけ会計漏れがありました。これもお願いできますか?」


 私は五冊目の本を会計台に置いた。


 ジジイは微笑を崩さないが、怒りに血走る目の血管は隠せない。

 ジジイは頭からうっすら白い湯気を上げながら店を出ていった。


 無事に五冊目の会計も終えた私は、店を出ると大勢のマスコミに取り囲まれた。

 最後の紙の本の購入者になった気持ちや、何の本を買ったかなど、方々から質問攻めを受ける。

 私は絶え間ないフラッシュを浴びながらスポーツのMVP選手の気分になってインタビューに応じた。

 企業勢の後には動画投稿や配信などを生業とする個人勢も控えていて、合計で二時間ほど拘束される羽目になった。


 帰宅後、私は本の入った紙袋を机に置き、ベッドに身を投げた。

 柔らかいスプリングに今日の疲れをたっぷりと染み込ませる。


 感無量だ。

 ささやかではあるが、私の名も歴史に残ることになる。

 なんと感慨深いことか。



 しかし――。



 何かが話題を集めれば、必ずそこにビジネスチャンスを見出す者が現れる。


 翌週、隣のテナントに新しい本屋が開店した。



   ―おわり―

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