第19話・オチたのは、どちらか。
――さて、あれからきっかり二時間ほどが経過した。
その間、俺は必死に掃除をしていた。
部屋中の泡と水を掻き出し、フローリングには新聞紙を敷き詰めて丁寧に水分をとっていく。浸水していたフローリングは元に戻ったものの、洗濯物の残骸と焦げたキッチンも酷い有様だ。
換気扇は予備に取っておいたものと張り替え、フライパンも磨く。
「ふぅ。終わった」
ピカピカになった部屋を見渡し、深く息を吐く。達成感が半端ない。こんなに気持ちのいい汗をかいたのはいつぶりだろうと思いながら、額を拭った。
「しかし、なんだってアイツはこんなことを……」
換気扇をまわし、ワイシャツのボタンを外しながら部屋を振り返る。
まるで家事をしようとしたかのようだ。
「……家事?」
焦げた換気扇。洗濯機の中には俺が今日帰ってきたら洗濯しようとしていた服やタオル。
シンクの三角コーナーと冷蔵庫を確認する。
無くなっていたのは納豆に卵、冷凍の白米と白だし。
この材料はもしかして。
「……オムライス?」
嫌がらせではなく。
もしかしたら白鳥は、ただ俺のために家事をやろうとしてくれていただけ?
ハッとした。
ふと、白鳥のしょんぼりとした顔が蘇る。その瞬間、胸がギュッと絞られるように痛んだ。
なんだ、この胸の痛みは……。
途端に押し寄せる後悔と罪悪感の荒波。
いつか、友人に言われたことがある。お前は頭はいいが、デリカシーと配慮が足りないと。勘違いに気付かない主観的なところがあると。だから彼女の一人もできやしないのだと。
最後の指摘は正直どうでもいいが、前半はその友人の言う通りだ。
「謝らねば……」
とはいえ、白鳥はどこへ行ったのだろう。
「家はないよな。燃えたから」
それならアイツは、一体どこへ?
白鳥裁判官のところだろうか?
いや……白鳥のタイプからすると、父親に頼るタイミングは今ではない気がする。
ならば新しい男?
「いや、そんな男がいれば元より俺より先に頼るだろ」
……なんということだ。俺は一瞬にして青ざめた。
俺は、帰る場所がない奴を追い出したのか?
居てもたってもいられず、玄関を飛び出した。
時刻は深夜十一時。もう真っ暗だ。
言いたくないが、アイツは顔だけはいい。こんな夜中に一人で外にいたら、事件に巻き込まれかねない。一刻も早く探さなくては。
近くのコンビニか、若しくはネカフェか。
「クソ、近くにあり過ぎて絞れねぇ」
今は考えるより動いた方が早いか……。
……って、いた!?
白鳥は思ったよりも近くにいた。
場所はマンションの目の前にある公園のブランコ。
白鳥はひとり項垂れながら、ギコギコと耳障りの悪い音を鳴らし、ブランコを漕いでいた。
とりあえずまぁ、無事見つかって良かったが……。
俺はゆっくりと近づいていく。
「白鳥」
顔を上げた白鳥の瞳には、まるで真珠のような大粒の涙が乗っかっている。
「……晴くん?」
「お前の話も聞かず、追い出して悪かった」
「ううん」
「家事をしようとしてたんだろ」
「でもダメだね。昨日のご飯が美味しかったから、私にもできるかなと思ったんだけど。部屋は?」
しおらしい白鳥が相手だと、なんだか調子が狂う。俺はできるだけ優しい声音で言葉を返した。
「なんとか片付いた」
ポケットから煙草を取り出し火を付けながら、ちらりと白鳥を見た。すると、白鳥もじっとこちらを見上げる。
「仕事増やしてごめん」
「……もういい。それよりお前、帰る家はあるのか?」
「……ここにいれば誰か声かけてくれるかなって」
白鳥は少しだけ不安げにはにかんだ。
「誰か声をかけてくれたのか?」
「……まだだけど」
サッと目を逸らした白鳥に向かって、これみよがしにため息をつく。
「だって家燃えちゃったし、ホテル泊まるだけのお金もないし、親には頼りたくないし」
「……うちに来い」
「えっ?」
白鳥がパッと顔を上げる。暗がりの中、僅かな光が映し出す整ったその顔に、俺はついうっかり頬を染めてしまった。
「なんだよ。男に声かけられるのを待ってたんだろ。それとも、俺は声をかけちゃダメだったのか?」
「だって……」
おずおずと俺を見上げてくる白鳥を見て、ふっと笑みが漏れた。
「家がない奴追い出せねぇだろ。俺は警察官だぞ」
息を吐くと、ふわりと煙が舞った。白鳥の手が、俺の腕をギュッと掴んだ。
「……ずっと? 晴くんの部屋にいていい?」
「いや、次住む場所が決まるまでだぞ?」
そう言って、目を逸らすと。白鳥はガバッと抱きついてきた。突然の重量に、思わずよろけながらも白鳥を受け止める。
「お、おい。抱きつくな」
「晴くん、大好き!」
抱きついてきた白鳥を受け止めると、思ったよりも小さいことに気付く。
柔らかく温かな感触に、俺の心はなんだかよく分からない痛みを訴えた。
「はいはい。ほら、帰るぞ」
白鳥をひっぺがし、煙草を咥えたまま来た道を戻る。すると白鳥は、後ろから雛鳥のように足どりを弾ませてついてくる。
「ねえ晴くん、あのオムライス食べたい!」
「無理」
「なんで!?」
「お前が材料を全部ゴミにしたんだろうが」
「じゃあ、ハンバーグ」
「挽肉もお前が納豆と一緒に燃やしただろ。今あるのはピーマンくらいだ」
わざと白鳥が苦手そうな野菜ワードを出してみる。
すると白鳥は案の定「ピーマンはやだ」と首を横に振る。
「居候のくせにワガママ言うな。俺の家でお前に人権はない」
すると、白鳥が楽しげに笑う。
「晴くんは本当、優しいなと思って」
俺と白鳥は子供のような喧嘩をしながら、同じ部屋に入っていく。
扉を閉めた直後、かすかに「私の勝ち」と聞こえた気がしたけれど、気のせいだったと思うことにした。
そして翌日、俺の部屋番号のポストに下の階の住民から苦情の投書があったのは言わずもがなである。
泉水ちゃん(サギ)はどうにかして晴くん(デカ)をオトしたい! 朱宮あめ @Ran-U
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