貸本屋「鷹の羽根亭」には魔本がある

八百十三

貸本屋「鷹の羽根亭」には魔本がある

 ボロボロの身なりをした人間の少年が裏路地を走る。顔にも腕にも傷が走り、首には小さなタグの付いた重厚な首輪。見る人が見れば「ああ、どこぞの貴族の下働き・・・か」と察するであろう少年が、必死の形相で走る。


「はぁ、はぁ……!」


 息は荒い。しきりに後方を見やる。見れば、数人のガタイのいい男たちが手に棒など持ちながら駆けてきていた。明らかに、少年を探している。

 逃げられない。そう判断したのだろう、少年は裏路地の脇道に飛び込んだ。突き当りにある扉を、一息に開けて中に飛び込む。


「っ!」

「おお?」


 そこはどうやら店のようだった。薄暗い店内、天井まで届く本棚、そこにぎっしりと詰め込まれた本、本、本。古本屋か、貸本屋か。そして店奥のカウンターには黒山羊の獣人が眼鏡をかけつつ本を読んでいた。

 その、悪魔もかくやという外見をした山羊獣人が少年に目を向ける。


「いらっしゃい少年、ようこそ『たか羽根亭はねてい』へ」

「ひっ」


 店主と思しき山羊獣人の姿に、少年が怯えた声を上げる。扉の前で身を小さくする少年だが、その向こうではバタバタと走る音。荒げられた男の声。

 察しがついたらしい山羊獣人が、すんと鼻を鳴らす。


「ふーむ、とりあえずだ」


 そう口を開くと、山羊獣人が少年にくいと手招きした。魔法がかかっているのか、少年の服がつんと引っ張られる。


「ワケアリだろう、こっちに来い」

「えっ、あ」


 引っ張られるままに少年はカウンターの中、山羊獣人の傍へ。そうこうするうちにも扉の向こう、男たちの声が一層大きくなる。


「ここか!?」

「入ってったのは間違いねえ、行くぞ!」

「ひっ」


 明らかに少年を探すために、男たちはこの店の前に来ていた。小さく悲鳴を上げる少年の頭に、山羊獣人が軽く手を置く。

 淡く点った光が少年の身体に走ると、山羊獣人は声を潜めて少年に言った。


「動くなよ、声も出すな」


 言われ、少年はまるで固められたかのように動きを止めた。次の瞬間、乱暴に扉が開かれ少年を追っていた男たちが店に雪崩れ込んでくる。

 一際ガタイの良い、節くれ立った棍棒を手にした狼獣人の男が、山羊獣人に声をかけた。


「おい悪魔野郎・・・・、ここに首輪をした人間のガキが入って来なかったか!?」

「バンドル家の屋敷から逃げ出したガキだ、連れ戻すようにダンナから言われている!」


 狼獣人の後ろから声を上げた人間男性の手にも棍棒が握られていた。総じて首には首輪をつけ、そこに小さな金属製のタグをつけている。少年が首にしていた首輪と同じもの、この街の有力者であるジョナサン・バンドルの所有物であることを示すものだ。

 乱暴な物言いの男たちに、山羊獣人はふんと鼻息を鳴らしながら素気無く返す。


「首輪をした人間のガキだ? 知らねえな、なんなら店ン中探ってもいいぜ」

「言ったな?」

「よし、探すぞ」


 山羊獣人の言葉に、鼻息荒く男たちは店の中を見て回る。と、本棚のそばに寄った蜥蜴人の男に、山羊獣人がピシャリと言った。


「おっと、店ン中を見て回るのはいいが、には触れるなよ。うちの店がどんな本を並べているか、バンドル家お抱えの連中なら当然知っているだろう?」


 声をかけられた蜥蜴人の男は、顔色一つ変えない。そのまま、すんと鼻を鳴らしながら山羊獣人に返した。


「ふん、魔本まほんがうじゃうじゃしている本棚になんか、怖くて触れたもんじゃねえよ」

「てめえは聖書せいしょの棚にさえ、勝手に触らせやしねえくせに」


 リーダーと思しき狼獣人の男性も、眉間にシワを寄せながら山羊獣人に吐き捨てた。

 そこから男たちは店の中をくまなく探した。決して広くない店内も、山羊獣人のいるカウンターの中も、本棚の隙間までも探す。しかしそこにいるはずの少年を、見つけられた様子はない。


「くそっ、どこにもいねえぞ」

「悪魔野郎の周りも探ったがいねえしな……くそっ、これはハズレか」


 額を拭いながら声を上げる人間の男性に、舌打ちをしながら返す狼獣人だ。少年を見つけられないまま、男たちは店を出ていく。


「押し入って悪かったな、見かけたら知らせろよ」

「おう、帰れ帰れ。見かけたら、な」


 男たちにひらひらと手を振りながら返す山羊獣人が、店のドアがバタンと閉められたのを静かに見ていた。そこから数秒間を置いて、山羊獣人は立ち尽くしていたままの少年にさっと手を振る。

 途端に、少年の身体にまとわっていた光が消えた。ハッと目を見開く少年に、山羊獣人はこくりと頷く。


「よし、もういいぞ」

「あ……も、もう大丈夫?」


 声をかけられ、ようやく少年が身体の緊張を解いた。自分の目の前まで男たちがやってきたのに、気が付かれなかった事実に目を見張りつつ、少年は山羊獣人に頭を下げた。


「ありがとう、悪魔さん」

「どういたしまして。悪魔なんて大層なもんじゃないがね」


 少年の言葉に、山羊獣人はヒラヒラと手を振りながら返した。黒山羊で魔法を使う故に悪魔だなんてあだ名されているが、別にそんなもんじゃないとは本人の弁である。

 そうは言うものの、少年の姿を魔法で隠してみせたのは事実だ。本人も今更、否定する気はないらしい。

 少年の首に光る首輪を見ながら、山羊獣人は目を細める。


「バンドル家の下働きか。その姿を見るに、ずいぶん酷い扱いを受けていたらしいな」

「う……うん。旦那様、いつもムチでぶってくるんだ、仕事が遅いからって。それで……」


 山羊獣人の言葉に少年はうつむく。ジョナサン・バンドルは所有する下働きに厳しいことで有名だ。仕事のできない者には容赦なくムチを振るうため、バンドル家に買われた下働きは生きて屋敷を出られない、と専らの噂である。

 つまりこの少年は、そこから逃げ出してきたのだ。そして同じ下働き仲間に追われてここに逃げ込んだ。山羊獣人に匿われていなければ、屋敷に連れ戻されて死んでいただろう。

 ようやく落ち着いた少年が、店の中を見回しながら問いかける。


「あの……それで、ここは?」

「うん? そうだな……どう説明しようか」


 問いかけられた山羊獣人が、顎に手をやりながら思案する。少年にも伝わるように言葉を選びながら、山羊獣人は話し始めた。


「ここは貸本屋・・・だ。魔法だの、歴史だの、学問だの、そういうもんを学びたい連中に、金と引き換えに本を貸すのがうちの商売だ」


 カウンターから出て、店の中をゆっくり歩きながら、山羊獣人は話す。

 出版技術がそこまで発達していないこの国で、紙の本というものは貴重品だ。一般市民では手が届かないくらい値段も高い。そういう場所で、庶民が気軽に本を読めるようにする店、それが貸本屋だ。

 店主は金と引き換えに店にある本を貸し、借り主は借りた本を読んだり、書き写したり。そうして原本が不要になったら本を店に返しに来る、そういう商売だ。

 と、本棚に手をかけながら山羊獣人が笑う。


「まぁ、うちはそこらの貸本屋と違って、扱う本が特殊・・なんでな、客なんぞ滅多に来やしない。少年、お前さんが久しぶりの客だ」

「特殊?」


 意味深な笑みを見せる店主に、少年が目を見開いた。確かに他に客の姿はなく、客が頻繁に訪れるような雰囲気はしていないが、特殊とは。

 すると山羊獣人が随分不穏な気配のする本棚を見上げ、視線を巡らせてから本に手をかけた。


「そうだな……少年には、こいつがいいか」


 そう言うや、山羊獣人は全く何でもないかのように本を本棚から取り出した。血のような赤い表紙が目を引く、どう見たって普通ではない本だ。

 そして先程、この店主が男たちに吐いた言葉を思い出してまごつく少年だ。


「あ、あの、触ったら危ないってさっき」

「俺以外が触ったら、な。勝手に持ち出されたらたまんねえからな、魔法をかけてあるんだよ」


 本の表紙を触って手を動かしながら、店主がふうと息を吐いた。曰く、貴重品である本を客が迂闊に触れないように、すべての本に魔法で護りを施しているのだとか。

 護りの魔法を解除した山羊獣人が、少年の前までやってきて少年に本を見せる。


「こいつは、狩りの悪魔・・・・・ヴラドロスが地上にもたらしたとされる魔法を記した本だ。悪しき魔法を収めた、つまりは魔本ってやつだな」

「ひっ」


 さらりと吐き出された言葉を聞いて、少年は今度こそ竦み上がった。

 ヴラドロスなる悪魔は有名だ。殺戮と血を好み、数多の命を狩って喰らう、残虐な悪魔として知られている。そんな悪魔の著した魔法を記した本など、恐ろしいなんてものではない。

 震える少年に、店主はニヤリと笑いながら告げた。


「うちに収めている本は、大概がそういう曰く付きだ。殉教じゅんきょうした聖人の記した聖書だ、悪い魔術師が開発した魔法の書かれた魔本だ、そういうもんばかり置いてある。たまにいるのさ、そういう魔法を求めるやつが」


 肩をすくめながら話す店主に、少年は大きく目を見開いていた。

 なるほど、つまりは魔法の書物ばかりを集めた貸本屋なのだ。魔法を安全に扱える人間など多くはない、故にこんなに裏路地に存在し、店に客も来ないのだろう。

 魔本のページを開いて見せながら、山羊獣人は少年に笑いかける。


「どうだ少年、その本に書かれた魔法は、お前さんにおあつらえ向き・・・・・・・だと思わないか」

「これ……」


 書かれている魔法を目にして、少年はもう一度目を見開く。

 書かれている内容は読み取れる。手順も理解できる。そしてこの魔法の、生物を生まれ変わらせる・・・・・・・・・・・という効能も。

 山羊獣人が少年に本を渡しながら口を開いた。


転生魔法・・・・だ。生き物を別の生き物に――まぁヴラドロスのことだから獣だのなんだのに、転生させる魔法だ。当然危険だからってことで禁書指定されているが、バンドルの旦那から逃げ出したい少年には、都合がいいだろう?」


 山羊獣人の言葉に、少年の目が潤んだ。

 この少年は主人のところから逃げてきた。追手も放たれていて、自分を探されている。その自分の目印は、「人間の少年であること」と、「首輪」だ。

 しかしこの転生魔法を為せば、人間ではなくなれる。転生先の動物次第では首輪も外せる。少年にとって、願ってもない魔法だ。

 本を大事に抱えながら、少年が声を上げる。


「う、うん……あの、この本」

「ああ、借りていけ。要らなくなったらうちに持ってきてくれると助かるが、無理ならこっちで回収する」


 少年の言葉に店主が頷いた。本は持ち逃げを防ぐために、ある程度時間が経ったら店主の手で回収できるようになっているらしい。少年が魔法を為してこの店に本を持ってこれなくなったとしても、問題はないわけだ。

 本を胸に抱えながら、少年が店の扉に手をかける。さすがに少年に金の持ち合わせは無かったが、店主は気にせず持っていけと送り出した。


「ありがとう、悪魔さん」

「おう」


 もう一度礼を述べる少年に、店主は短く言葉を返す。そのまま静かに店の扉を閉じると、少年は裏路地の奥へと消えていった。

 その数日後、一匹の猫が街を飛び出して野へと駆けていくのが見えた。裏路地の奥に残されていた赤い表紙の本は、いつの間にかそこから消えていたということである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貸本屋「鷹の羽根亭」には魔本がある 八百十三 @HarutoK

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ