まっすぐに見つめられると、顔が熱くなって、頭の中が意味もなくグルグルと回りだす。


 慌てて声を上げても、なにを言ったらいいのかわからない。もごもごと口ごもりながら、なんとか言葉を絞り出した。


「河野——。ずっと地元にいたのか? 大学は北海道に行ったって聞いたけど……」


「三年前に帰ってきた。父さん一人で踏ん張っていたけど。病気が見つかってね。会社辞めて、地元に戻ったんだ。去年、父さんは亡くなって、この書店はおれが引き継いだ。今は、ネットで購入する時代だからな。町の本屋なんてどこも大変だ。だから、どうせやるならって、店の広さを縮小して、こじんまり、おれらしい店にしたんだよ」


 河野は「なかなかいい店だろ? おれの自作だ」と言って笑った。


あまねは、東京で鉱物の研究しているって貴志から聞いた。お前——成人式にも帰ってこなかったから。……嬉しいよ」


「うん——」


 河野はおれの手の中にある雑誌を見つめてから言った。


「父さん。最初は手違いで『月刊岩石』を取り寄せてしまったんだよ。ところがお前があまりにも喜んで買っていったものだから——。あれからずっと。お前のためにって発注していたんだ。お前がいつ帰ってきてもいいようにって。だから、おれもそうしていた。馬鹿みたいな話だ。二十年も顔見せないお前のために。親子揃って馬鹿なんだな」


 彼の横顔を見ていると、言葉がうまく出ない。なんだか後ろめたい気持ちに苛まれた。


『おれは好きじゃない。なに言っているんだよ。男が男を好きになるなんて、普通じゃないじゃん。お前、変だよ』


 なんであんな言葉を投げつけられたのだろうか。当時のおれは幼かった。人の気持ちを察することなど、到底できなかった。河野はきっと。ものすごい勇気を振り絞って、気持ちを打ち明けてくれたというのに。おれは。おれは——幼かったではすまされない。


 おれが地元に帰れなかった理由はそれだ。それなのに。世の中の理不尽に傷ついて、こうして求めるのは、この場所だったというのだろうか。


「結婚は?」


 不意に河野はそう言った。


「するわけないじゃん。ずっと大学に詰めっぱなし。アパートには寝に帰るだけだし」


「お前は昔から石が恋人だったもんな」


 知った風に言われるのは心外だ。むっとして、「お前は?」と聞き返す。河野は肩を竦めた。


「会社辞めて、こんな落ちぶれた本屋を継ぐ男だ。一緒にいてくれる人間なんているわけないじゃないか」


「本当だ。お前は本とお友達だったもんな——」


 つい笑い声を立ててから、はったとした。まただ。河野はいつも。こうしてまっすぐにおれの瞳を見つめてくるのだ。


「大学忙しいのか?」


「——ううん。もういいかなって。なんだか嫌になっちゃって……」


「じゃあ、帰ってこいよ。確かに寂しくなっちゃったけど。おれはこの町を盛り上げるつもりだ。商工会議所の青年部長している」


「そ、そうか。お前にはお似合いだ。生徒会長だったもんな」


「昔の話だ——」


 河野の太くて逞しい腕が、すっと伸びてきたかと思うと、おれの髪に触れた。


「迷惑かも知れないけれど。あれからずっと——」


「河野!」


 おれは彼の言葉を遮るように大きな声を上げる。


「謝りたかった。ずっとだ。おれは……お前に謝りたかったんだ!」


「周?」


「あの時。ごめん。おれは。どうしたらいいかわからなくて。生徒会長でしょう? みんなの人気者でしょう? そんな河野がおれのことを好きだなんて、信じられなかったし、恥ずかしかった! なんだか申し訳なくて。成人式にもこられなかった。ずっと河野から逃げ回っていて、それで必死に鉱物の研究して。けど、けど……全然上手くいかない。せっかく見つけた鉱物だって、教授に横取りされて——」


 ——そうだ。おれは。本当はお前のこと。大好きだったんだ……。 


 もうなにを言っているのか自分でもわからない。目の前がじわじわと滲んできて、自分が泣いているってことに気がついた時。河野の大きな手がおれの頭を撫でた。


「また新しい石を見つければいい。おれも手伝うから。人生、時間を巻き戻すことは出来ないけれど、これからのことは自分の気持ちしだいだろ?」


 河野の手が、頭の上から後頭部を伝って、それから首の後ろにかかったかと思うと、あっという間に引き寄せられた。


「嫌われてないってわかっただけでほっとしている。情けないな。こんな中年にもなって。まるで中学校の頃のままだ」


 河野の肩に当たった額から伝わる熱。頭の上から降って来る声は、あの時と一緒。河野はいつもそばで見守ってくれていた。おれのことを大事にしてくれていたんだって——改めて気づかされた。


「来月。近くの大学に転勤になる」


「そうか」


「帰って——こようかな」


「そうしたいならそうすればいい。——と、かっこいいことを言ってみたものの、本当はそうしてもらえると、すごく嬉しい」


 彼を見上げると、あの頃となに一つ変わらない笑顔がそこにある。


 ——ああ、きっと。おれの居場所はここだったんだ。


 河野の父親が間違えて発注してくれた雑誌が、おれの人生を大きく変えた。それだけでもありがたいというのに、ずっとおれのことを気にかけてくれて、こうして応援してくれていたというのだから。


「姉ちゃんが結婚して家に入っているからさ。住むところないし」


「じゃあ、家に来れば? 一人で住むには広すぎる家だ」


 河野の笑顔が眩しい。


 ——昔。二人で秘密基地に隠していたあの石。方解石。


 方解石とは、羅針盤が登場する以前に、コンパスとして利用されてきた石だ。平行六面体の形をしていて、光の複屈折を起こすため、悪天候の中でも太陽の位置を知ることが出来たのだそうだ。


 おれたちの旅路は、一度ばらばらに別れてしまった。けれども……。


 河野はレジの壁面に据え付けられている棚から、小さな木箱を持ってきた。彼は笑みを浮かべる。その笑みは子どもの頃となに一つ変わらなかった。悪戯に上げられたその唇から俺の名前が零れでる度に、おれの心臓は鼓動を速める。


 手渡された木箱の蓋を開いてみる。そこには小さな方解石の結晶が収まっていた。


「本当はお前と秘密基地に行こうと思っていたんだけど。今年の頭に、町で整備するって話が持ち上がって。これは大変だと思って、掘り返してきたんだ」


 おれは太陽の方向を見失っていたんだ。心が疲弊して、なにも見えなくなっていた。真っ暗な曇り空の下、ずっとずっとあてもない航海をしてきたみたいだ。


 それが今まさに——。目指すべき太陽の位置が見えたような気がした。おれ一人ではダメだったんだ。おれに必要なのは。


「河野……じゃなかった。えっと……大和やまと


 気恥ずかしくて、やっと呼んだその名前に、彼はにっこりと笑みを見せた。おれの人生は、ここからまた動き出すのだ——。




—了—

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【KAC20231】方解石 雪うさこ @yuki_usako

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