古本屋の店員さんがゆるふわ美人だったので、毎日一冊買うことにした

瑠輝愛

僕の日課

 僕、園崎龍平の日課は古本屋に行くことだ。

 僕は正直に言う、読書が苦手だ。絵本ならなんとか読破出来るが、文字が三行も敷き詰められると、クラっとめまいがする。

 そんな僕が古本屋に通うことになったのは、いつもと違う通勤コースを選んだのがきっかけだった。


 自宅から電車までは徒歩で十分かかる、とても恵まれた場所に引っ越せた。

 仕事は覚えることが多くて、いつも上司や先輩から嫌味を言われていた。お陰で頭を下げることだけうまくなっていく。

 だから、毎日がダルい。

 ブラックなのかと言われたらそうではなく、残業は禁止。サービス残業したらペナルティとして、早朝出勤が課せられるほどだ。

 苦手な営業周りも胃が痛い。

 今朝もお腹を撫でながら出勤した、そんなある日のことだった。


 いつもはまっすぐに駅に向かうし、なんなら曲がり角を一度も曲る必要がない。

 だけどそれではつまらない。

 真面目に出社したって、まずはお茶くみからだ。お局様に文句を言われながら、男の自尊心を壊されるくらいなら、少しは遅れてもいいだろう。

 遅刻にはならない。


 僕は狭い狭い路地に入った。大人一人やっと通れる路地を選んだのは、どうせならってことだ。

 二軒分の路地を進んだところで、狭い交互車線道路にたどり着いた。

 そしてその古本屋は、道路の向こう側にあった。

 車の通りも少ないので、とっとっと、と駆け足でそこに近寄った。

 当然まだ店なんて開いていない。

 年季の入った引き戸ガラスの内側に、太いインク文字で張り紙が貼ってあった。


《あかね古本書店 開店 昼1時 閉店 夜10時》


 シャッターは閉じられていなかったので、ガラス越しに中を覗いてみる。

 そこには、白髪交じりのおじいちゃんが腰を叩きながら本の整頓をしていた。


「ああ、いかにもって古本屋だな」


 僕はそう思って踵を返した。

 まあ、本なんて興味はない。

 ただの好奇心だ。

 さあ、たのしいたのしい職場に出勤しますかね。


 ――ふわり。


「ん?」


 頭に何かが乗っかった。

 なんだろうと、手で探るととても柔らかくて肌触りがいい布だった。

 それを目の前にぶら下げると、ピンク色で凝った刺繍がほどこされており、真ん中あたりにリボンのようなものが……。


「ぱ、ぱ、パンティ!? んなバカな。天から降ってくるなんてそんな、どっかのアニメじゃあるまいし」


 と上を見ると、そこには天使がいた。


 いや、訂正しよう。

 そこには自分くらいの年齢の女性が、ベランダからストレートの綺麗な髪を垂れ下げてこちらを見ていたのだ。

 もちろん、すごく恥ずかしそうな顔で。

 彼女は僕に気がつくと、口元に手をもっていって、いかにも「やだぁ」という仕草をした。いやしてくれた。ありがとうございます。今日はコレでがんばれます。


 じゃない。

 僕はこのとおり、テンパっていたのだ。

 女性はすぐに部屋に入ってしまうと、数分後にサンダルを履いて出てきた。

 フェミニンなスカートとでもいうのか、今の春の日差しにぴったりな色のロングスカートが眩しかった。

 女性はモジモジとこちらを見ると、また目を伏せた。

 くっそ。

 いやこれは彼女にキレたわけじゃない。童貞のオレが死にそうだからキレたんだ。

 そう。童貞にしかこの心理は分からないだろう。

 オレは鍛えられた、まだまだ拙い営業力で声をかけた。


「あの、こちらはもしかして、あなた様のものですか」

「あ、はい……。そう、です」


 うわっ。

 やっちまった。なんだその聞き方。もっとマシな言い方あっただろうが。

 とまた自分にキレていると、女性は手を組んで指を回しながら言った。


「返して、ください。お気に入りなんです……あ、今のはナシナシ!」

「あはは、何も聞こえませんでしたよ。お返ししますね」


 お気に入りだって! マジか!

 じゃあ今もあの系統のパンティ履いているのか。ほぉ~。これは今日はバリバリどころじゃない。ビンビンに働けるぜ。

 とりあえず、丁寧に両手で、名刺を渡すように返した。

 すると女性は、恥ずかしそうにパッと取ると後ろに隠した。

 

 かぁ~。いちいちやることが可愛いんだが? こんなの童貞じゃ耐えられないんだが? なに、オレに死ねっていうの?


 訳の分からない苛立ちを抑えつつ、オレは一言尋ねた。


「ここで働いていらっしゃるんですか?」

「はい。夜だけですけど。昼間はおじいちゃんが店番してます」

「そうだったんですか」

「あの、よろしかったら。お店に来てくださいね」

「はい、よろこんで」


 あ。

 売り言葉に買い言葉。いやいやケンカじゃないんだから。

 ただの社交辞令になに真面目に答えてんだ僕は。

 これだから会社でどやされるんだよ。

 伊勢商事の入社記念に買った腕時計を見ると、そろそろ行かないと遅刻になってしまう。

 僕は、何度も会釈して別れを告げた。

 女性は小さな手を振ってくれた。


「いい奥さんになれるよ」


 僕は背中を見せて歩きながら、ながらそっとつぶやいた。

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