古本屋に通う
あの日から僕は帰宅時には古本屋に立ち寄るようになった。
会社の付き合いで飲むということが、最近は例の流行り病のせいでめっきり少なくなった。
それも功を奏してくれたのだ。
僕にとっては感謝しかないだろう。
そして、古本屋の手動引き戸を開けると、奴らがいた。
男たち五人ほどだ。
僕だけではなかった。奴らも書店員さん、つまり彼女を狙う恋敵だったのだ。
この中で、如何にして早く一人の客から親しい客に、そして友達にランクアップするか。
それが勝負である。
奴らは手強い。
古本を何十冊も買う奴もいれば、オススメの本を聴く奴もいる。あまつさえ、わざとお釣りを手渡し出来るように一万円札で買う奴もいる。
ここでも電子決済できるのにだ。
だが、僕だって負けていない。
営業マンの端くれだって言うところを見せてやる。確かに一件も契約結べてないけど、それでも営業マンだ。
僕はとりあえず、ランダムで適当に本を選んだ。
良し悪しも内容も分からない。
頑張って読めばいいさと選んだ。
それを書店員さんに持っていった。
「これをお願いします」
「あ、あなたは。この前の」
「あはは。もうそれ、十回目ですよ」
「あらやだ私ったら。どうしても忘れられなくて、つい。うふふふ」
「あははは」
野郎どもの痛い視線が心地いいぜ。
あの「親方、天からパンティが降って来たぜ」事件で、確実に一歩リードしているのだ。
店員さんがバーコードを本に近づけると、あら、とびっくりした。
「このシリーズ、私も好きで読んでいるんですよ」
「そうなんですか」
「人との接し方がなかなか上手になれなくて。D・カーネギー先生のご著書、本当に勉強になりますよね」
「あ、そうですよね。あははは」
知らん。
だれだその人は?
本のタイトルをよぉくみると、『人を動かす』と書かれていた。
書店員さんは、にこやかに聞いた。
「営業のお仕事なさっているんですか?」
「どうしてそれを?」
「いつもぴっちりしたスーツにカバン、そしてこの御本もお買いになってましたから。先日買われた六法全書よりも、こちらのがしっくりくるなって思って」
「いや、参ったな」
僕は頭をかいて、彼女の名推理に感服した。
あの本重かった。今じゃ枕代わりになってるけど。
なんてことは口が裂けても、国が裂けても言えない。
僕は代金をスマホの決済で支払うと、書店員さんは紙で表紙を手慣れた手付きで包んでくれた。
彼女は袋を入れて手渡してくれた。
「はい、どうぞ。お買い上げ、ありがとうございました。読み終わった本があれば買い取りいたしますので、また立ち寄ってくださいね」
「はい。それでは」
僕は家に帰ると、いつものように本を本棚にしまった。
どうせ読まない。
でも、彼女の言葉があのゆるふわ笑顔とともに蘇ってきた。
『このシリーズ、私も読んでいるんですよ』
『人との接し方がなかなか上手になれなくて』
「たまには読んでみるか。これ、薄くて小さいし」
それから慣れない読書の日々が始まった。
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