しあわせな本屋さん 【KAC20231】
藤井光
しあわせな本屋さん 【KAC20231】
ある小さな森の近くに小さな町がありました。
小さな町のはずれには、小さな本屋さんがありました。
店員さんはおじいさんでした。
ずっと前からおじいさんでした。
おじいさんのお父さんも、そのまたお父さんも、ずっとおじいさんになるまで本屋さんをしてきたのでした。
小さな町には、あるとき駅ができました。
大きな道もできました。
道のそばには大きな本屋さんができました。
町の人たちはみんな、大きな本屋さんに行くようになりました。
大きな本屋さんはおじいさんの本屋さんよりずっと本がおおかったですし、日曜日には『おはなしかい』もあるのです。
おじいさんの本屋さんのお客さんは減りました。
ひとりぐらしのおじいさんは、とてもさみしくなりました。
「今日は、おしまいにしましょうか。」
ある日の夜、おじいさんは言いました。
今日も、お客さんは来ませんでした。
もっとたくさん本が置ければお客さんは増えるでしょうか。
おじいさんはお店を見まわしました。
おじいさんのお店は小さくて、今よりたくさん本を置くことはできません。
『おはなしかい』をすれば子どもたちは来てくれるでしょうか。
おじいさんは床を見下ろしました。
おじいさんのお店は床が狭くて、子どもたちに座ってもらう場所はありません。
おじいさんはため息をつきました。
その時でした。
お店の戸がからりと開いて、そこに小さな男の子が立っていました。
「おじいさん、本ちょうだい。」
男の子は可愛い声でいいました。
「どんな本がいいのかな。」
「ぼくはネズミが好きだから、ネズミが出てくる本がいいな。ネズミを勉強できるような本。」
おじいさんが聞くと男の子は答えました。
おじいさんは少し考えて、奥の棚から「ねずみのがっこう」という絵本を出してきました。
男の子は喜んで、お金を払うと、絵本を抱えて出ていきました。
おじいさんは嬉しい気持ちになりました。
次の日、また同じ時間に男の子はやって来ました。
「おじいさん、絵本ちょうだい。」
「昨日の絵本は、読み終わったのかい?」
「うん。でもおじいさん、がっこうってなんだったの?」
そこでおじいさんは男の子をよく見て、今度は「いちねんせいになったら」という絵本を出してきました。
男の子はまた喜んで、お金を払うと出ていきました。
そのまた次の日、また男の子はやって来ました。
「おじいさん、もじってなに?」
おじいさんは不思議そうな顔をしました。
でもおじいさんはすぐに気づきました。
(この子はお母さんかお父さんに絵本を読んでもらっていたのだな。そして今度は自分で絵本を読むために、文字を覚えようとしているんだな。)
そこでおじいさんは、今度は「あいうえおのえほん」を男の子に渡しました。
男の子はやっぱり喜んで、お金を払うと出ていきました。
そしてその次の日。
男の子はお店に来ませんでした。
その次の日も、その次の次の日も、男の子はお店に来ませんでした。
おじいさんは悲しくなりました。
そしてさらにその次の日。
男の子が来ていた時間に、お店にはきれいな女の人がやってきました。
おじいさんは驚きました。
その女の人ときたら、雪のように白い肌に、すこし釣り目の、とてもきれいな人だったからです。
「いらっしゃいませ。」
おじいさんはどきどきしながら、女の人に言いました。
「お願いがあります。」
女の人は言いました。
「私に、本を読んでいただけませんか。」
そう言うと女の人はおじいさんに3冊の本を差し出しました。
あの男の子に売ってあげた本でした。
おじいさんが首を傾げると、女の人の後ろから男の子が現れました。
あの男の子でした。
男の子はにこにこしながら、女の人の足にくっついていました。
「わたしの子供に、よくしていただきありがとうございました。」
女の人は言いました。
「いや、それはいいのですが……本を読んで欲しいとはどういうことですか?」
おじいさんはききました。
女の人はちょっと黙ってから、おじいさんに答えました。
「私達は、このちかくの森に住むキツネです。」
おじいさんは腰が抜けるほど驚きました。
「いままでこのあたりは静かで、私達も気持ちよく住んでいました。
でも駅ができて、道路ができて、私達には過ごしにくくなりました。
このままではやがて、私達の住む森も削られてしまうことでしょう。」
「いや、それは……」
「幸い、私達親子は人間へと変化することができました。人間へとまぎれ、生きるつもりでしたが、私は人間のことをほとんど知りませんでした。
そこでこの子にお金を渡し、人間の本を買ってくるように頼んだのですが……」
「そうでしたか。」
「ですが、私は人間の文字さえわからなかったのです。お願いします。私に人間のことを教えてください。」
おじいさんは女の人の言葉を聞いてほほえみました。
「大丈夫ですよ。あの森は失われないでしょう。あの森はお稲荷様の森です。だれもあの森を切り開きはしないでしょう。安心して住んでいられますよ。」
「それでは……」
「人間のふりなど、する必要はないのですよ。」
よほど嬉しかったのでしょう。
女の人は泣き始めてしまいました。
すると、男の子が下から女の人を見上げて言いました。
「おかあさん、悲しいの? 絵本が読めないのが悲しいの?」
女の人はしゃがんで、男の子を抱きしめました。
「絵本、お読みしましょうか?」
女の人の後ろから、おじいさんは言いました。
「あなたも、あなたの坊やも、私の大切なお客さんです。こんなお店ですが、本ならたくさんありますよ。
さあ、お入りください。『おはなしかい』が始まりますよ。」
男の子の顔がぱっと明るくなりました。
女の人も嬉しそうにおじいさんを振り向きました。
そして、二匹のキツネとおじいさんは、ならんでお店に入りました。
それからというもの、おじいさんの本屋さんには夜になると、四本足のお客さんが入れ替わり立ち替わり、次々とやってくるのでした。
おじいさんは、もうさみしくありませんでした。
いつの間にか、おじいさんの本屋さんはこう、呼ばれるようになっていました。
『しあわせな本屋さん』 と。
しあわせな本屋さん 【KAC20231】 藤井光 @Fujii_Hikaru
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