本屋の思い出

本屋の思い出

「本屋」


 となれば、思い出を語るしかないでしょう!


 拙作のエッセイ「どうでも」でも語ることたびたびありますが、私は本屋が好きです。


 だいたい、気晴らしに出掛けて何をするかといえば、本屋巡り。


 「どうでも」で語ったことの繰り返しのようになりますので、そうした本屋巡りの話はここではしません。


 今回お話しするのは、小学生の時のこと。

 お題与えられて思いめぐらせれば、それに行き当たりました。


 ▼


 私は小学生の頃、家のお手伝いをよくしていました。

 お手伝いといっても、些細なもの。

 いま問題になっているようなヤングケアラーではありません。


 雨戸を毎夕閉めるとか。


 弟の保育園のお迎えをするとか。


 ほんの些細なこと。

 それを毎日。


 そのご褒美として、月に一度、学研の「ひみつ」シリーズを一冊買ってもらえたのです。


 ある夕暮れ。


 共働きの母がその時間に帰ってくるのですが、駅の向こうに本屋があり、いつもそこで待ち合わせ。


 いつものこと、いつもの時間。


 くれないに染まる景色を覚えています。


 今でも母の語り草なのですが、私は小学校当時、自転車に乗れるようになるのも遅ければ、乗れるようになってもその運転がへたくそで……。


 こけました。


 見事に、ガシャン!


 帰宅時間帯だったこともあり、通りがかりの皆さんの注目を浴びました。

 しかし小学生のこと、恥ずかしさが勝って、「大丈夫?」と問われても、ほとんど何も言わずに自転車にまたまたがり、本屋へと急ぎました。


 ついた手がズキズキと痛んでいても。


 分かりますね?


 母には相当、驚かれました。


 パンパンに手は腫れていたのですから。


 急いで、本を買ってもらうどころでなく、接骨医へ。


 折れてはいなくても、ヒビが入っていました。

 それを知らされた途端、痛みが出てきました。

 恥ずかしさと、怒られるかもしれないとのほんの少しの怯えで消えていたものが。


 このあとがまた思い出深い。


 手のひらにひび程度だとギプスもないのですが、そのあと、ちょうど学年の音楽発表会がありまして。

 リコーダーでした。

 音楽の時間の延長ですが、もちろん私は笛など吹けない。

 はた目には、ぼーっと一人つっ立っているだけ。

 まあ、恥ずかしい。


 はっきり、いま、そのすべてを思い出しています、このお題のおかげで。




 昔ながらの個人経営の本屋でした。

 私が小さい頃、そして中学生くらいまで通っていたその本屋は。


 でも、多分に漏れず、本屋は苦境、いつの間にかその戸は閉じられて。

 

 その前を通るたび、小学生時代の思い出がよぎったものです。

 もっと通えばよかったかなあ、そうすれば……。

 ついには店を手放されたのでしょう、違うお店に。

 今では本屋の面影もなく、何度目かの違う店になっています。


 前を通るたびに思い出します。


 そして、切なくもなります。


 大好きだった場所が思い出の中だけに埋もれてしまうこと。


 あちらも、こちらも、なくなっていく。


 時代の流れとはいえ、さびしさがつのります。

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