空飛ぶ本屋さん

ほのなえ

本屋が空からやってきた

「あーあ、つまんないの」


 うっそうとした針葉樹に囲まれた山の中。少女が木の下でたたずみ、自分の靴を飛ばして遊びながら呟く。

「家で寝てないとダメって言われてるけど、家にいるのもつまんなくてこっそり抜け出して来たのに……外に出て山で遊ぶのも飽きちゃったから、どっちにしろつまんないや……。そろそろ家に戻ろうかな」

 少女はそう言ってケホケホと乾いた咳をした後、空を見上げ……思わず目を大きく見開く。

「え。あれ、なに……!?」


 木々に囲まれた隙間から見える空に、大きな袋を両手で持ち、それを広げて風を受け、パラセールのように使って空を滑空している人……のようなものが見えた。その人はこちらにどんどん近づいてきていて……どうやら少女を目指してやってきているようだった。


 その人は浮遊しながらも、遠目に少女に声をかける。

「やあ、お嬢ちゃん………………よんだかい?」

 その言葉――風が強くて一部聞き取れなかったが――を聞いて少女はぽかんとした表情でその人……茶色いマントを羽織った黒髪の青年を見る。

「え? あたし……何も呼んでないよ? それよりお兄さん、一体誰? どこから来たの?」

 青年は首を横に振る。

「それよりも僕の質問が先だろ? じゃなくて……君は最近本をかい? って聞いたんだ」

「本? ううん。家に本はあんまりないし、それに本なんて字ばっかりでつまんないもん」

 青年はそれを聞いてにっこりと笑う。

「お、それなら……ひとつだけ山ん中にぽつんとたたずむ家を空から見つけて、こんなとこまで来たかいがあったってもんだね」

 青年はそう呟くと、空からすとんと地面に降り立ち、少女に話しかける。

「ええと、僕は本屋なんだ。空飛ぶ本屋をやってるよ」

本屋? そんなの、聞いたことないよ?」

「うん、まぁおそらく僕しかやってないからね」

 本屋の青年はそう言ってにんまりと笑う。少女は首を傾げて尋ねる。

「変なの。お兄さん、名前は?」

「名前? ああ、『本屋』って呼んでくれればそれでいいよ」

 少女は自分の名前も言いたがらない青年……本屋をいぶかしげに見る。それからあることに気づいて尋ねる。

「じゃあ本屋さん、本はどこにあるの? 見当たらないけど……本屋さんなのに、本持ってきてないの?」

「ああ、ちゃあんとこの袋の中にあるよ」

 そう言って本屋は先程から持っていた大きな袋を見せる。

(え? おかしいな。この本屋さん、さっきその袋を広げて空飛んでいた気がするんだけど……)

 少女はそう思いながら首をひねる。


「さてと。今日は君にぴったりの本を持ってきたんだ。君、今暇を持て余してたろ?」

 少女はその言葉が図星だったために内心どきりとするが、不満顔で口を尖らせる。

「でも、あたし本はあんまり好きじゃないよ? 何か持ってきてくれるなら別のものが良かったなー」

「はは、本屋にそんなこと言うもんじゃないよ。今日のところは本で我慢してくれ」

 本屋はそう言いながら袋の中をごそごそとあさる。

「君さっき、この世界の何もかもがつまらないって顔してたけど……そんな君には、実は本がぴったりなんだよ。本の中にはこことは違う、無限の世界が広がっているからね。さて、君はどこに行きたい?」

 本屋はそう言ってさっと布を敷き、その上に本をいくつか少女の前に並べる。

「一番左は一面海に囲まれた楽園の子どもたちの話、その横は空にある魔法の国の王子の話、その隣は宝石が無限に湧き出る洞窟で暮らす小人たちの物語だ」

 少女はそれを聞いて、目をキラキラと輝かせて本を見る。

「え、そんな場所が、この本の中にあるの?」

「それは読んでみてのお楽しみだよ」

 本屋はそう言ってにっこりと笑う。

「じゃあ、魔法の国に行きたいな! 海と宝石はこの世界にもあるけど、魔法はないもの」

 少女はそう言って魔法の国の本を手に取るが、ハッと気づいた様子で本屋の顔を見る。

「あ! でもあたし……お金持ってない。父さんも今日は用事で山を下りてったから、日が暮れるまでは戻ってこないし……」

 少女はそう言って、残念そうな顔をして俯く。そんな少女に本屋は提案する。

「じゃあ、お代は本に代わるものを頂こうか」

「本の代わり? それって……何をあげればいいの?」

 少女はおそるおそる顔を上げる。

「そうだな……君の話を僕に聞かせてくれたら、それでいい」

「……あたしの話?」

「うん。君が今までこの山の中で暮らしてきて、この山のいいところや悪いところ、それから、君は今までどんなことを思って生きてきたのか…そのあたりのことをね。そんな君の話す物語を、この本の物語と交換しよう」

「それでいいの? あたし……病気でお家の中にいることが多いし、この山にずっと住んでるだけだから、他の場所にもあんまり行ったことなくて、何も冒険みたいなことなんてしてないよ?」

「ああ。それで構わないとも。さあ、早速話してくれ。僕は本屋だからね、お代を頂いてから、本をお客さんに渡すことになってるんだ」

 少女は頷き、ゆっくりと口を開く。


 少女は本屋に自分の生い立ちを話す。

 元々は山の麓の集落に住んでいたが、そこで母親が病気で亡くなったこと。

 その後少女は母親と似たような病気になり、その病気が今までずっと治らないこと。少女が変な咳をしていることが噂になり、そこから母親の死に至る病がうつったのだという噂が広がって、集落を追い出され、父親とともに人里離れた山の上で暮らすことになったこと。

 それからこの山での父親と二人での暮らしぶりについて……父親は優しいが、病気だから毎日家にいるように言われ、遊ぶものがなくてつまらないこと。たまにこっそり外に出て遊び、この山の中にある美味しい木の実のなる木や景色のいい場所を見つけたこと。でも最近は山での遊びもし尽して、毎日暇を持て余していること……なども話して聞かせた。


 その話を聞いている本屋は、ずっとメモを取っていた。ただメモを取るのは本屋の手ではなく、空中に浮かぶ黒い万年筆で……ものすごい速さで動き、まるで少女の言葉を一言一句漏らさず書き記しているようだった。


「いい物語をありがとう」

 少女が話し終えたところで、本屋は万年筆を胸ポケットにしまいながら言う。

「……あたしの話、面白かった?」

 おずおずと尋ねる少女に、本屋は笑みを見せる。

「ああ。とっても面白かったよ」

 本屋はそう言うと、メモを取っているノートをパタンと勢いよく閉じる。

「まいどあり! じゃあ君には、代わりに魔法の国の物語を」

 本屋はそう言って少女に本を手渡す。少女は嬉しそうにそれを受け取り、表紙に描かれたカラフルな絵を眺めるが……ふと、本屋の顔を見上げる。

「ね、本屋さんって……この本に書かれてる魔法の国から来たの?」

 本屋は驚いた様子で少女を見る。

「ええ!? どうしてだい?」

「だって……空飛んできたし、手で持たなくても勝手にペンが文字書いてたし、その袋だって……中身がなさそうなぺしゃんこの袋なのに、さっきその中から本をたくさん出してたから」

 本屋は少女をまじまじと見つめた後、ふっと笑う。

「どうだろうね。でも……」

 本屋は少女の持っている本の表紙をとん、と叩く。

「この物語に書かれているような場所が、もしかしたらこの世界のどこかに本当にあるかもしれないよ」

「そうなの……?」

「ああ。だから病気を頑張って治して、君いつか行ってみるといい」

 少女は本屋を見つめる。自分は母親が死んでから病気になり、山の麓の集落から追い出されて山に住むことになり……これまで面白いことなんて何一つなかった世界で、母親もいなくなってしまい生きていてもしょうがない、と心のどこかでそう思っていた。だから、病気を治したい……などとは今まで考えたこともなかったことに気づかされた。

(もしかして、そんな自分の気持ちのせいで、病気がずっと治らなかったのかな……)

「……わかった。この本読んで、おとなしく家の中にいて……頑張って病気なおすね」

「ああ。約束だ」

 本屋はそう言うと少女の肩をぽんと叩く。それから荷物をまとめて立ち上がり、本がたくさん入っているはずのからの袋を両手に持つと、風に乗ってふわりと宙に浮く。

「じゃ、元気になった頃に、いつかまた会おう。その時は君の新しい物語を聞かせてもらうから……良ければまた本を買ってくれよな」

 空飛ぶ本屋はそう言うと、やがて空の彼方に消えていった。



 それから数日後――――。


 少女は家の中の自分のベッドの上で、本屋から本の最後のページを読み終え、パタリと閉じる。

(……面白かった。今まで、本を面白いって思ったことなんてなかったのに……。本当に、この本の中の世界に行ったみたいだった……)

 少女は本の中に出てきた光景を頭に思い浮かべる。物が飛び交い当たり前のように宙に浮く世界……そしてその世界では物だけでなく、人も空中を自由に移動していた。


 少女は空を飛んでやってきた本屋の姿を思い出す。

(もしかしてこれ、あの本屋さんの故郷ふるさとの話なのかな……)

 そして本屋が自分の話を熱心にメモし、「いい物語をありがとう」と言っていたことも同時に思い出す。

(それか、あの人が書いた本だったりして……ううん、それだけじゃない。この本以外にも持ってた本も全部、本屋さんが本のとして旅先で集めた物語だったりして)

 少女は再び空からやってきた本屋の姿を思い出し、ふふっと笑う。

(……まさかね。本屋さんが自分で本を書くなんておかしいし。それにこの本の中の人は、空中を自由に散歩してたけど、本屋さんみたいにあんな大きな袋で空飛んでなかったもん)

 少女はそんなことを思いつつも、早く病気を治して、いつかあの本屋さんみたいに、自由に世界を旅してみたい……という夢を密かに抱くのだった。



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