魔女の本棚

波津井りく

鍵穴には英知を嵌めよ

 黒い森の奥深く、どこかに魔女が魔法の本を売ってくれる店があるという。

 しかし魔女はお金だけでは本を売ってくれない、代償を求めるそうだ。

 どれだけのものを求められるかは、行ってみなければ分からない。


 かつてそのように語り継がれていた幻の書店は現在、クローズの木札がかかったまま、長年に渡り降り積もった埃と共にあった──


「ぐぇっほ! ぐぇっほ! ちょ、埃やばっ……喉詰まって死んじゃう!」


 バタバタと本棚にハタキをかけていた少女は、もわっと舞い上がる埃に巻かれ盛大に噎せた。

 一体どれ程長い間、掃除を怠っていたのだろうか。かつては温かな光を灯していたランプも、今は硝子面に埃が張り付き明るさが乏しい。


「んもー、お婆ちゃんなんでも魔法で済ませばいいと思って! 掃除道具すら置いてないしー! 森の中バケツとモップ担いで来るの大変なんだからね!」


 ──森の魔女は死んだ。老衰で。

 最後にはほとんどのことを忘れ、ただの無口で穏やかな老女となっていたそうだ。

 魔女の死後、書店を継ぎ整理に訪れた若き魔女は孫娘だ。祖母と違いどちらかといえば肉体アウトドア派である。


「ふう……ま、こんなもんかなっ?」


 かつんとモップの柄で床を打ち、午後の日差し射し込む店内をぐるりと見渡す。

 ピカピカとは言わないまでも、やれるだけやったと分かる明るさを取り戻していた。

 扉も窓も開け放ち、ずっしりと詰まった本棚の並ぶ店内には、淀んだ空気を運び去るそよ風が吹き抜ける。


「うあー……空気美味し……ぐえっほ! ごっほ!」


 もうしばらく換気しよう、埃のイガイガで喉が死んじゃう。自慢のプリティボイスが枯れちゃう。

 前の修行先では八ツ頭大蜥蜴の鳴き声に似ていると先輩方に好評だったのだ。大事にしないと。


「あー、あーあー……あ?」


 清算用のカウンターの裏側は棚になっていて、そこに二冊の本があった。

 片方は在庫目録カタログのようで、販売済みのタイトルには線が引かれている。便利だ。

 そしてもう一冊は鍵の付いた……いわゆる日記帳のように見えた。


「お婆ちゃんの日記帳……」


 この人気のない森の奥深くに云十年引き籠り続けた魔女の日記帳──

 森の季節の移ろいや、たまに訪れる客の数奇な顛末。そういった事柄が記されているのだろう……などとは微塵にも思わなかった。

 いやちょっとはあるかもしれないが、きっと主成分じゃない。乙女の勘が叫んでいる。これは他人には見せられない類いの書き物が残されているぞと!


「読 み た い……!」


 どうせきっとほぼ間違いなく、暇と妄想に飽かせたアイタタタなポエムやプチ連載風な小話が書き殴られているに違いない。経験者は語るのだ。賭けてもいい。この中、絶対黒歴史と。


「ふおおおおおおお! マジカル! 筋肉!」


 力ずくで開けてしまえと表紙に全力で指をかけたものの、一瞬で魔法陣が展開されガチーンと鍵に阻まれる結果に。魔法の施錠だ、こじ開けることは出来なかった。


 筋肉、まさかの敗北。


「くっ……小癪な! どれだけ鉄壁の守りを込めていると言うの!?」


 しかし俄然黒歴史の容疑が固まった。祖母の人生の恥部であろうその中に、どれだけの闇が巣食っているのか。私、凄く興味があります! と乙女心が訴えている。

 なんとしても読んでやると意気込み、マジカルな筋肉で挑み続けること二時間……


「もう無理ぃ」


 先に心が折れた。日記帳の鍵は微動だにせず、中身を守り抜いたのだ。

 これはもうマジカルな筋肉では解決出来ぬ、と見切りを付けるしかない。

 完全敗北だ、認めよう。でもここまでボロ負けしておめおめ引っ込みたくはない……と闘争心は逆に燃え上がっている。


「ならば正攻法! お婆ちゃんより魔法を磨いて、堂々とこの鍵の魔法を解いて突破するまでよ!」


 幸い、ここには学習材料になりそうな本が山程ある。いずれも祖母のお眼鏡に適った魔法の本だ。この全てを読み漁り参考にすれば、魔法が上達するだろう。

 向き不向きもあるだろうが、少なくとも理解は深まるはず。肉体派であれ魔女の端くれ。魔法の本にも興味がある。


「魔法とはなんぞや! それすなわち筋肉ではないもう一つの万能薬よ!」


 つまり筋肉と魔法が揃えば最強! と鼻息荒く本棚に手を伸ばし、若き魔女はカウンター席に腰かけ読書に没頭し始めた。

 陽が落ちて月が真上に昇っても、頁をめくる手は淀みなく。

 それは在りし日の森の魔女、店主の姿そのもので──……




 黒い森の奥深く、どこかに魔女が営む古びた書店があるという。

 そこではかつて魔法の本を売っていたらしい。


 長年クローズの札がかかっていたその扉が、ある日ギィと開いた。

 にゅっと中から伸ばされた女の手が木札を引っ繰り返し、素っ気なくパタンと扉を閉じる。

 ぶら下がるオープンの札は、店内の本を販売しても構わない状態になった証だ。


 若き魔女の店主は全ての魔法の本を、延いては祖母の日記帳を読破したのだろうか?

 その顛末は森を訪ねて辿り着けたら、ついでに確かめてみて欲しい。

 魔女の書店の本棚には、きっとあなたが気に入る一冊がある。

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