ある書店の妖精
那智 風太郎
ふと立ち寄った本屋でまさか妖精がバイトしているとは思わなかった。
「お兄さん、お兄さん。このあたりの棚はあんまり面白くないよ」
雑誌を手に取ろうと伸ばしたその指先にまるで小鳥のように女の子が羽ばたいているのを目の当たりにした僕は言葉を失った。
けれど彼女はそんな驚愕には一向にお構いなしといった風に僕の頭の周りをブンブンと飛び回り、そのうちにふと動きを止めて鼻先で艶めかしく
「あのね、おすすめの本はこっちにあるの。一緒に来てくれないかなあ」
その甘えた声に僕は訳も分からず反射的にうなずいてしまった。
なにせ彼女の容姿は僕の推しアイドルにそっくりで、しかも長く直視できないほどに露出の多い大胆なメイド服を身に纏っていたのだから仕方がない。
僕は光の粉を振り撒きながら飛んでいく妖精の後を吸い寄せられるようにふらふらとした足取りで追った。
「これなんかどうかしら。きっとお兄さんの好みに合うと思うんだけど」
そう言って彼女が小さな指を向けたのは、店頭に平積みされた真っ黒なハードカヴァーの単行本。
タイトルは「アイ・ウィル・ビィ・バック・ネヴァーランド」
著者はピーター何某という聞き覚えのあるようなないような外国人。
そしてポップには「とある有名冒険ストーリーの後日譚。飛べないヒーローはただのニートさ。身勝手な女の蔑みに苛まれ続けた少年はついに。その悲劇にきっとあなたは涙ぐむ」とマジックで書かれていた。
うーん、海外物の長編小説か。
はっきり言ってあんま、興味ない。
というか僕、今日は地下アイドル特集記事の雑誌を買いに来たんだけど。
さすがに首をひねると妖精は僕の手首に抱きついてその本の元まで運ぶ。
「ねえ、読んでみようよ。絶対、気にいるから、ね」
「でも……」
「でも、じゃないよ。読まず嫌いはダメだぞ。ぷんぷん」
手のひらの上で腰に手を当て、ほっぺたを膨らませた彼女に僕は一瞬で自我を失い、一も二もなくその本をつかみ取った。
深夜、とある安アパートの一室にて。
「おかえり。バイトお疲れ様」
「疲れたぁ。でも今日は十二冊も売れたよ」
「すごい、新記録じゃん」
「まあね、たまたまアイドルオタクみたいな客が多かったから。ところで、新しい物語のタイトル決まったの」
「うん、ウェンディの呪い」
「いいね。迫真のストーリーになりそう」
「だね。小説とはいえほとんどノンフィクションだからね。それに自費出版でも部数が出れば大手出版社の目に留まるはず」
「その調子よ。早く稼いでネヴァーランドに帰らなくちゃ」
「だよな。大人になったらあそこ入国拒否だもんなぁ。あんな猜疑心と嫉妬心マックスみたいな女に引っかかって、俺って最悪じゃね」
「あはは。妖精の言うことは最初っからよく聞いておくべきね」
ある書店の妖精 那智 風太郎 @edage1999
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