ゴンドラ二人きり
夢月七海
ゴンドラ二人きり
「どうせ死ぬなら、高い場所の方がいい」
「何で?」
「天国に近いから」
観覧車を見上げた私の独り言に、真後ろの男からそう尋ね返されたから、つい返事をしてしまった。自分の失態に、舌打ちをしそうになるのを、ぐっとこらえる。
ごみごみとした下町にやってきた、移動遊園地の中。ここの目玉である観覧車の列に、私は並んでいる。
観覧車のゴンドラは全部で十二個だけで、その高さも周囲のビルよりも低い。それでも、十分すぎるほど行列ができていた。
並んでいる老若男女、みんなニッコニコだ。顰めっ面をしているのは、一番前に並んでいる私だけ――いや、後ろの方にももう一人いるか。
「どうぞ、お待たせしました」
観覧車の係員の女性が、空のゴンドラを指し示す。笑顔が完璧に引き攣っているのは、私が死ぬとか天国とか急に言い出したのを、見ていたからだろう。
無言で頷いて、それに乗り込む。真後ろの男も、当然のようについてきた。私が鉄骨側を背にする形に、彼は私の真正面に、それぞれ座る。
文字盤と同じ数のゴンドラは、時計と同じ方向に回る。じりじりと登るゴンドラに、男女が二人きり。
それなのに、雰囲気が全然出ない。男は終始笑いかけていて、私は周囲を警戒して、建物を見回す。何ともまあ、ちぐはぐな二人組だ。
「君のさっきの話だけどさ」
「続けんの? どうでもいいけど」
「高い所が天国に近いんだったら、エベレストの頂上で死ぬべきじゃないの?」
「なんか、さっきの言葉の意味を履き違えていないか?」
呆れて男を見つめ返すが、彼はどうしてと言いたげに肩を竦める。
私は、死にたがりではない。死ぬ覚悟をしているだけだ。ただ、願望を一つ言えるとすればの意味で、「どうせ」と前置きした。
それを読み取らずに、男は口元に手を当てながら、真っ黒い瞳を細めて尋ねる。
「君は、自分が死んだら天国に行けると思っているのかな?」
「んな訳がない」
「じゃあ、天国にいる誰かに近付きたいのかな?」
「……」
中々に、鋭い。年の功という奴か。図星を衝かれて、ふざけた返答すらできなかった。
この話は終わりだという代わりに目を逸らす。ただ、こいつに負けた訳ではない。ここを囲む建物のどこかに、スナイパーが潜んでいないかを探るためだ。
一応、情報屋に頼んで、一時間以内にこの辺りの建物へ不審人物が侵入した形跡がないというは確認している。監視カメラをハックして、リアルタイムで確認したらしいから、これは信用できるだろう。
横目で男の様子も伺う。ただ、彼は暢気に、この遊園地の看板を眺めていた。
「見てよあれ。ウォーホルの『キャンベル・スープ』のオマージュだよ。ここのオーナー、中々洒落が効くね」
「ウォーホル? あの大量の缶の絵が?」
「え? ウォーホルを知らないの?」
男が、本心から驚いた様子で尋ねる。こちらを馬鹿にしているわけじゃないけれど、腹が立ったので、こいつに聞かずにスマホで調べてみる。
確かに、「ウォーホル キャンベル」と打ってみると、キャンベル・スープの感が理路整然と積み上がった絵が出てきた。どこがいいのか分かんねぇなと思っていると、真上から「そう、その絵」という声が聞こえて、ちびるほどビビった。
「急にこっち来んなよ」
「ああ、ごめん。絵の話題になるとつい」
男は苦笑しつつ、立った時と同じように、音もなく元の位置に座った。
「君は、絵の素養はそんなにないんだね」
「当然。日の当たらないところで生きているんだから」
「でも、『彼』は結構詳しかったよ。ヘンリー・ダーガーも知っていたし」
「……まあ、あいつは、勉強するのが好きだったから」
急に、私とこいつとの共通の知り合いである男の話題が出て、分かりやすく歯切れが悪くなってしまう。私とこいつと、「彼」こと「あいつ」は、三人で顔を合わせたことがないのに、こいつはそれだけで大分馴れ馴れしくしてくるのがムカついた。
私の方が、「あいつ」をよく知っているからなと言い返したくなる。しかし、恋人の男友達に嫉妬しているみたいで醜いから口を噤む。まあ、「あいつ」とは男女の関係になったことないのだが。
スマホをズボンのポケットにしまい、尻ポケットの方から煙草の箱を取り出す。苛ついていたのと、いつもの習慣とで、ほぼ無意識の行動だった。
しかし、すぐにここが禁煙だと思い出し、すごすごと元の位置に戻す。その一連の動作を、男は意外そうに眺めていた。
「吸わないんだ」
「禁煙だから」
「こういうのは、堂々と無視するものだと思っていたから」
「失礼だな。無法者にだって、プライドはあるぞ」
「でも、もっと悪いことしているでしょ?」
「まあ、煙のせいで観覧車が止まったら面倒臭い、というのが一番だけど」
ここで自分を追い込むような動きはしない。そもそも、止まったゴンドラで、こいつと何時間も二人きりというのが嫌だ。こいつは気にしないだろうが。
丁度その時、観覧車が一番上に辿り着いた。私の中に、緊張が走る。何が来る、何かが起きるのか。私の筋肉が硬くなっているのに……同じゴンドラ内の男は、窓辺に寄って、真下を見ていた。
「行列、全然途切れないね」
「……そうだな」
何もかもが馬鹿馬鹿しくなり、体を弛緩させる。私も、窓辺から列を見下ろした。
丁度、スキンヘッドの中年男が、あるゴンドラに乗り込むところだった。私たちが十二時の位置にいるのなら、スキンヘッドは六時の位置にいる。その巨体が小さなゴンドラに収まるのを見て、似合わねぇなと正直に思った。
だが、同じものを見ている男は、別の感想を抱いたようだった。
「人間って、回るの好きだよね」
「は? 何言い出すの?」
「いつも思ってんだけどさ、こんな風にただ回っているものに乗ったり、時計も回っている形にしたり、なんか、永遠を回転という形に見出そうとしているように見えない?」
「さあ……。地球も太陽も回っているから、そのイメージなんじゃねぇの?」
「ああ。成程、当然の帰結だ」
男は納得したように頷いている。こちとら、どうでもいいから投げやりに返しただけなのに。
やっぱり変な奴だなと、改めて男の姿を見ながら思う。観覧車の骨組みを背景に、黒髪黒目の、喪服のスーツの男というのは、奇妙な組み合わせだ。それこそ、どっかの画家が題材にしそうなくらいの。
「『彼』とも、そういう話、よくしたのかな?」
「……さあ、忘れちまったよ」
これは、冗談や誤魔化しではなく、本音だった。「あいつ」と最後に会ってから、もう十年経つ。呆れるほど一緒にいた日々の中で、くだらないことばかりを言い合っていたのだが、それらは泡のように弾けてしまった。
男は、不意に寂びそうな顔をした。憐れみではなく、純粋に、その事実を悲しんでいる。私は、口の中で広がる苦味を振り払うかのように、再び煙草を取り出す。
「あれ。やっぱり吸うんだ」
「まあな」
嘘だった。箱の中から一本取りだし、口に咥えているが、火を点けるつもりなどさらさらない。
だが、男は私が吸うもんだと思い込んでいる。この右手が、煙草の箱を右隣りに置いて、滑らかにジャケットの内側へ入っていくのを、黙ったまま見ている。
握り締めるのは、ライターではない。ホルダーに収まった、一丁の拳銃。そのグリップを握り、トリガーに指を嵌める。
ゴンドラは、ゆっくりと回る。位置はもうすぐ、観覧車が時計だったら、三時の場所だ。緊張感で、座ったままの背中が炙られているようだ。
そして、拳銃を抜く。真っ直ぐに、その銃口を、目の前の男の眉間に定める。
――こいつは、驚かなかった。全く平然としている。まるでこうなるのを知っているのかのような……いや、比喩ではなく、本当に知っていたから、この無反応だ。
安全装置を外し、トリガーを引く。その瞬間、ゴンドラは三時の位置に収まった。
最低限の銃声が、ゴンドラを小さく揺らした。飛び出した銃弾は、男に当たったが、まるで立体映像かのように通り抜けて、その背後の窓を割り、鉄骨の隙間をすり抜け、向かいの、九時の位置にあるゴンドラまで届いた、はずだ。
「お見事」
男が感心した表情で両手を叩く。パチパチと無気力な拍手の音で、私は自分の反撃が成功したことを知る。
調子に乗って、映画のようにくるくると銃を回転させてから、ホルダーに戻した。とはいえ、ちゃんと確認しておこうと立ち上がる。口元の煙草を、箱に入れ直しながら。
私たちが真上から乗る瞬間を見ていた、スキンヘッドの男が、左目を撃ち抜かれて、背もたれに力なくもたれ掛かっていた。右手に銃を握っている。咄嗟に武器を抜いたが、間に合わなかったのか。
昔潰した組の残党に尾行されていると気付いたのは、この遊園地の外だった。人ごみに紛れて振り払おうとしたら、遊園地でもぴったりついてくる。一人でゴンドラの中で、じっくり作戦でも練ろうかと思ったら、そこでも列に並んできた上に、真後ろにはこの男が現れた。
「僕もこの仕事は長いけれど、君の
「お褒めに預かり、ありがとさん、死神サン」
まだ調子がいいので、韻まで踏んでしまえる。私が座るのと入れ違うように、男は懐から一冊の帳簿を取り出した。どこにそんなもんが入っていたんだと、言いたくなるようなしっかりした帳簿だ。
前に訊いてみたところ、その帳簿には、これから死ぬ人間の最低限の情報と、殺人の場合は実行犯の顔が載っていると教えてくれた。流石に、中身までは見せなかったが。
「そう言えば、僕、女の子に頭を撃ち抜かれたの、これで三回目だ」
「ふーん」
どうでもいい情報なので、受け流す。私が「女の子」と評されるような年齢なのかは置いといて、二回は私が撃ち抜いたのだから、あと一回は誰か別のやつか、とは考える。
こいつと初めて会ったのは、三年ほど前のことだった。一仕事終えたのに、こいつが一人だけ立っているのを見つけて、咄嗟に乱射した。それでも、相手は何ともなく、むしろ驚いた表情で、「僕が見えるの?」なんて尋ねてきた。
死神だと言い出したこの男を、当然最初は信じていなかった。人を殺し過ぎて、幻覚が見えるほど自分の頭が可笑しくなったと考える方が自然だ。
その猜疑心をひっくり返したのは、この死神と話してみた結果、私の知らない「
だが、今まで心霊現象やオカルトの類にも遭遇したことなく、全く信じていなかった私が、何故この死神だけが見えているのかが未だに謎だった。これをきっかけに、第六感に目覚めた可能性もあったが、今のところ、こいつしか死神や幽霊の類を見たことがない。
「前世で恋人同士だったのかな?」というのが、死神の説だった。「やめろ、気色悪い」と言い返したが、死神自身は真剣に言ったつもりらしい。
「まあ、あんたはそんな風に私を褒めてくれるけどさ、」
「うん?」
「『あいつ』の方が、もっとスマートに
「ははあ」
取り出した帳簿に何かを書きつけていた死神が、顔を上げる。はっきりとした感銘の色がそこに現れていた。
「相当信頼していたんだね、『彼』のこと」
「信頼……まあ、一言でいえば、そうなるか」
いつ会っても一人きりのこいつは、人間同士の間に生まれる絆を、尊くて美しいものだと感じているらしい。そんなに大袈裟なもんじゃないけれど。
「あいつ」と一緒に過ごした、振り返ると短くて、濃ゆい時間。あの日々の無茶苦茶も、ハチャメチャも、言葉にしてしまうのすら惜しい。ただ、酸いも甘いも分け合って、相手の裏も表も知り尽くした果てに芽生えたのは、お前だけは信じられるという気持ちだったのではなかろうか。
柄にもなくしんみりとしてしまったところで、観覧車乗り場が近付いてきた。もうすぐ終わりかと、外に向けていた目をこの男に移すと、記入を終えた名簿を懐に仕舞っている所だった。
「じゃあ、また今度ね」
「お前に付き纏われても、嬉しくも何ともない」
渋面ではっきりとそう返す。こいつが現れるということは、標的か私か、どちらかが必ず死ぬということだ。そんなギャンブルを、仕事する前からやりたくなどない。
だが、死神は全く意にも返さずに、可笑しそうに笑う。好きな子をからかっている時みたいな、こちらとのズレを感じる笑顔だ。
「そんなこと言わないでよ。僕は、『彼』と同じくらい、君のこと気に入っているからさ」
「死神が、贔屓なんてしていいのかねぇ」
「あんまりよくないけれどね。怒られる覚悟はしているよ」
私の死ぬ覚悟よりもずっと薄いのに、かっこつけんな。そう言い返したかったが、ゴンドラのドアが開いたので、流石に黙る。言い返せば、一人でブツブツ言っている、ヤバい女だ。
ゴンドラから降りたのは、私だけだった。振り返ってみると、元いたゴンドラには、もう誰もいない。
今日も生き残った。このことに、安堵しているのか失望しているのか、自分の気持ちは不明のままだ。
確実なのは、このまま観覧車が回り続けると、スキンヘッドの死体が見つかって、大騒ぎになる事だけ。そんな面倒に巻き込まれる前にと、遊園地の出口に向かって、進み続けた。
ゴンドラ二人きり 夢月七海 @yumetuki-773
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