最終話 エピローグ②
「ふうん。高校生のときに、写真、見せたのかもね」
「そうなの? なんで?」
「さあ、君が見たいって言ったとか?」
「私、そんなこと言ったっけ? 猫には特に興味はないんだけど」
「知らないよ、じゃあ、僕に興味があったんじゃないの」
「ないってば」
あれ、今どこかでアラームかなにか鳴らなかったか? まあ、気のせいかな……。
「あ、この猫が入っている籠、なんか今朝、家にも似たようなのが置いてあったんだよね」
「それは、あるだろうね」
町田君は、気のせいか呆れたような面持ちだ。
「どういうこと? あれはなんなのか、町田君は知ってるの?」
「頭大丈夫? あれは、一月くらい前に安藤さんが貸して欲しいって言ったんじゃないか。だから、貸したんだよ」
記憶をだどってみると、確かにそんなことを言っていたような気がしないでもない。私が目をぱちくりさせていると、町田君は私からのメールを検索して、提示した。
「覚えてないの?」
私は力なく頷いた。
「疲れてるんじゃないの、なにやら、ハードな仕事をしてるらしいじゃないか」
「前職よりは全然ハードじゃないけど……」
「でも、地下に籠って一人黙々と単純作業をこなすって、なかなかハードだと思うよ。一人でいる時間が長いと、つい色々と考え込んじゃったりしない?」
「よくわかるね。経験あるの?」
「ないけど、君の話を聞いたときに、やっぱりストイックな人なんだなと思ったからさ」
そんなことないよ、と笑って答える。
「始めるまで、全然考えてなかったんだけど……普通やってみなくても想像つくものなのかな?」
「まあ、僕が心配性で色々考えてしまうだけなのかもしれないけど」
「私、なにも考えないで、やってから後悔するタイプだからなあ」
話題がずれたことに感謝しつつも、怖くなってくる。自分がしたはずのことを完全に忘れてるって、どうなんだろう。
「あの籠、返したほうがいいよね。どうしたらいい?」
「僕の家の最寄り駅まで持って来てもらえると助かるな。いつでもいいから」
そうこうしているうちに、残りの三人も現れた。
会場となるスペイン料理の店へ行って食事をし、お店の人と最後の打ち合わせをした。テーブルの配置、最終的なキャンセルポリシー、音響の確認などを行う。そんなに何度も確認する必要ないのに、と思っていたけれど、いくつか勘違いしていた部分もあったので、やはり来てよかった。町田君は、こういうところは抜かりがないのだ。
こうしてみんなで過ごすことも、しばらく、もしくはこれから先ずっとないかもしれない。
不思議な時間だった。束の間、高校時代に戻ったかのようだった。タイムスリップでもしていたような気がする。私の最近の生活が、どことなく非日常的なせいなのか。
なけなしの小遣いはたいて、スイーツも頼んでしまう。スプーンに半分ずつ、アロスコンレチェなるものを乗せて、口の中でゆっくりと転がした。
なんとなく名残惜しくて二時近くまでお店にいた。さすがにこれ以上いるのは気まずいということになり、やがて店を出て解散した。
帰り際に、町田君を呼び止めた。
「あの、籠のことなんだけど、もしよかったら、返すの今からでもいい?」「そんなに急がなくてもいいけど。まあ、大丈夫だよ」「何時ごろがいいかな?」
「今日はもう特に用事はないから、来る前に連絡くれればいつでもいいよ」
そう言われるのが一番困る。高校のときのこの人の性格からすると、大体そういうときには、私が来るからいないといけないと思って、なにかあっても我慢してずっと家にいるのだ。もう少し自分の都合も優先して「何時くらいにして」と言ってくれればいいものを。でも、そういうやり方が馴染んでしまっている人に今更そんなこと言ったって、きっと困惑するだけなのだろう。
町田君はちょっと考えてから、
「猫が死んでから毎日猫が出てくる夢ばかり見ていたんだ」
と言った。
「夢で……猫さんと遊んでたの?」
「なにしてたか覚えてないけど、夢の中では、僕は猫になって、色んなことを思い出したり考えたりしたんだ。起きたら詳しい内容は忘れちゃうんだけどね。だから最近、猫のことをいつも思い出してたんだ」
町田君の表情はどこかすっきりしたものに見えて、ちょっと安心した。「大事な猫だったんだよね。もしかして、本当に夢の中で三途の川やお花畑で一緒に遊んでたのかもよ」
町田君は、安藤さんには敵わないな、などと言いながら、おかしそうに笑った。
どこか清々しい表情を浮かべ、空を見上げる。
「タミが死んでから、今日で四十九日目なんだ。もう、この世のどこにもいないんだろうな」
二人して猫の思い出話をしているのが、弔いの儀式でもしているかのように感じられる。
こうしていると、私もその猫の生涯の最後の最後に関わってしまったかのような気がしてしまう。写真でちらっと見ただけの凛々しい三毛猫さん。会ったこともなく、これから先も、もう会えない猫さん。
家に戻り、猫の寝床だといっていた籠をじっくり見てみた。なんのためにこれを必要としていたのかは、やはり全然思い出せない。空っぽではあるけれどそれなりに重みのある籠を抱きながら、かつてこの中にいたという猫のことを考えてみる。
不思議なことに、籠を見つめているうちに、なんともいえない懐かしい気持ちが込み上げてきた。おばあさんのような、お母さんのような、子供のころの親友のような、そんな思い出を、なぜか私も知っているような気がしてきた。しばし目を瞑って、その思いをゆっくり、できる限り感じ取ろうとした。
玄関を出て廊下を歩いていたら忘れ物に気づいて、慌てて引き返した。籠を置き、部屋に入ると、籠がなくなった部屋は、瞬間的に抜け殻のように見えた。
部屋の中を見渡してみても、なにを忘れたのかは、いつまでたっても思い出せないのだった。
おわり
猫の夢 高田 朔実 @urupicha
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