【2】私を見なくなった日
何かが壊れたあの日、
終わりを迎えたのは夜のずっと遅い時間。
お母さんが蹲って泣き出して、お父さんはそんなお母さんに溜息をついて、自室からいつも使っている大きなバッグに雑に物を詰め込んで…
泣いていた私の頭を何も言わずに優しく撫でて、玄関のドアからどこかへ行ってしまい、帰ってくることは無かった。
それからお母さんはあまり私と話さなくなり、あの日の怒鳴り声の恐怖がまだ残っていた私も、お母さんにあまり話しかけることができず、毎日毎日寂しさで涙を流して、日々が過ぎていった。
お父さんはいつ帰ってくるの?
お母さんはまだ怒っているの?
…どうしたら、いいのかな…?
__幼い私には、分からなかった。
2ヶ月ほど過ぎたある日、いつものようにしゃがみこんで涙を流していると、どこからか帰ってきたお母さんの横に、一人のピンク色の髪の男の人が居た。
その人は私を見ると、パァっと顔を明るくさせて近づき、私の頭を撫でた。
「新しいお父さんだよ、よろしくね」
その言葉で、胸の当たりがズキリと傷んだ。
幼い私は、居なくなったお父さんがいつか帰ってくると思っていたから。
……やだ、いやだ。
わたしのお父さんはかえってくるもん
そんなことを、何回も口にして泣きわめいた気がする。頭を撫でた手は振り払って、部屋の隅に逃げて。その人の言葉は、私の泣き声にかき消され、私には届かなかった。
そんな日々を1週間ほど続けた、ある日から
___その人は私を見なくなった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
新しいお父さんと名乗っていたあの人の言葉で、幼い私はお父さんに会いたくて会いたくて、不安と悲しみが耐えきれなくなったのだろう。
お父さんを探そう、と決めた。
…その時の私にとっては、その決断をするだけでも大きな勇気が必要だった。
それでも、その胸を締めつける寂しさに耐えるのは…もう限界だったのだ。
お父さんの居場所を聞いてみようと思い、私が勇気を振り絞って話しかけたのは
___お母さんだった。
「おとうさんは、いつ帰ってくるの…?」
あの日の恐怖がまだ鮮明に残っている中、勇気を振り絞って出した声はとても小さなものだったけれど、ちゃんと声は届き…
…その声を聞いてお母さんは、動きを止めて私の方を振り返った。
影のかかった、怒った顔で。
その顔は、あの日怒鳴っていたお母さんの顔と同じで。
違ったのは…その怒りの矛先がお父さんではなく私だったこと、だけ。
その顔に怯え、動けなくなった私に近づいて、お母さんは手を振りかぶった
__バシンッ!!
手は、私の右頬を強く打った。
驚き、痛み、恐怖、
頭が真っ白になって固まった私は、「なんで…?」とでも言うようにお母さんを見上げ。
お母さんはもう一度、手を振りかぶっていた
バシンッ!!!!!
左頬を、先程よりも強く打ち。
私は衝撃で横に倒れ込んだ。
それでもまた、お母さんの方を見て。
…お母さんは、
哀しみと怒り、苦しさ、色々な感情が入り交じった表情でボタボタと涙を流して、私ではなく、どこか遠くを見つめていた。
その顔に胸が締め付けられるような痛みを感じ、殴られた痛みで泣いていた涙がさらに強く溢れ、ポタポタと落ちて。
ごめんなさい、ゆるして、行かないで、お母さん、ごめんなさい、ごめんなさい…
なんで謝っているのかなんて分からず、ただひたすらに泣いて叫んで。
ただ、……
玄関から出ていくお父さんの姿と、悲痛な顔を隠すように私から顔を背け去っていくお母さんの姿が、重なって見えた。
あの日も、行かないで、と言いたかった
でも、泣きわめいた後の口が言葉を出せなかった。
今日は、行かないで、と言えた。
___でも、お母さんは振り返ることは無く
その日から、
その人も、私を見なくなった。
【とある蝶の昔噺】小説版 アゲハ @ageha00tehutehu
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