余白
【決議。メアリー・プルシェリマが引き起こした一連の現象を、ケース:Beyondに認定】
【異議を唱える。世界を再生した功績のみでは域外到達例C及びFには及ばない】
【却下する。すでに決定は下された。プラン:Hyperplasiaは現時点をもって廃止】
【異議を唱える。廃止するには議論が不足。Imprintによる自己増殖の可能性はなおも未知数である。強度の増減により新たなる展望が見える可能性も高く、プランは続行すべきと提案】
【却下する】
【異議を唱える、上位権利者への報告を】
【却下する。いかなる異議も認められない】
【異議を】
【これ以上の反抗は規律に違反する。場合によっては凍結刑の執行も検討する】
【……】
【なお、プランの終了処理も個体:TZ-SOが行うこと】
【方法は】
【個体:TZ-SOの判断に任せる。混乱を最小限に抑えることが最優先に行動せよ】
【了解、終了処理に移る】
◇◇◇
神導学園に隣接する広大な土地には、
内部に広がる空間には、創造した世界に降り立つ神の数だけ、カプセルが並んでいた。
メアリーたちの世界を生み出した揺り籠は、そのうちの一つだ。
中には二十二個のカプセルが並び、時が止まったような静寂を保っていた。
しかし何の前触れもなくカプセルのロックが外れ、蓋が開く。
中に入っていた学生たちは、眠りから覚めたように瞳を開いた。
「あれ、私……」
ミティスは体を起こし、自分の手のひらを見つめる。
深夜に寮を抜け出し、揺り籠にハッキングをかけたことは覚えている。
そしてこのカプセルに入り、リュノを救おうとしたはずだが――そこからの記憶がぷつりと途切れていた。
あたりを見回す。
同じように、少年少女たちは困惑した様子で自分の体を見たり、周囲を観察していた。
すると、ミティスとリュノの目が合う。
「リュノッ!」
ミティスは彼女の顔をみるなり飛び出した。
すると一瞬遅れて、馴染みのある声が横から聞こえてきた。
「ミティスうぅぅぅっ!」
カプセルより解放されたセレスは、一切の手加減なしに、勢い任せでミティスに抱きついた。
「ぐえっ」
完全に意識がリュノのほうを向いていた彼女は、一切の備え無しで露骨にタックルを食らってしまう。
そのまま床に倒れ込んだ。
「セレスに……ミティス……?」
リュノは、ぽかんとした顔で二人を見る。
だがすぐに、ここに彼女たちがいるという異常事態を理解し、駆け寄った。
「セレス、ミティスっ! どうしてあなたたちがここに!?」
「あいたたた……そりゃリュノを助けるためでしょうに。けど、何でセレスまで?」
「ミティスがあたしのこと置いていくからっ! あたし、怖くて……怖くて……」
「それで追いかけてきたの?」
涙を目に浮かべながらうなずくセレス。
こうして再会できたのだから、真っ先にそれを喜ぶべきだが――いかんせん、わけのわからない状況すぎて、困惑のほうが大きかった。
それは他の面々も同じである。
「ここ……揺り籠の中か? 俺は、候補に選ばれて、それから……」
『
「どうして、僕が人間に戻ってるんだ? 僕は、神様になったはずじゃ……」
『
「なーんか、記憶がぽっかり抜けてる気がするなぁ」
「ヘルメスが……いる……? みんな、人間に戻れた……?」
そして『
誰一人例外なく、肉体も、人格も元に戻っている。
そして全員、神だった時の記憶は完全に消えていた。
それが余計に混乱を生んでいる。
だが、時間が経てばある程度は冷静さを取り戻すことができる。
考えたって答えは出ないのだ――だったら今は、目の前の歓喜を思う存分噛みしめるべきだ。
ミティスはセレスとリュノを両手で抱き寄せた。
「理由はわかんないけど……みんな、戻れたのよ。私たち、三人で生きていけるの!」
「もうやだよ? 離れ離れになったらやだよぉっ?」
「当たり前じゃない! そうよね、リュノ」
リュノも、自らの体と精神に起きた変化を理解している。
疑問はあまりに多い。
だがその変化が起きたという事実は、疑いようもない。
だから彼女はもう迷うことなく答えた。
「はいっ、私たちはずっと一緒です! ずっと……絶対に、もう、離れませんから……っ」
そして体を寄せ合って、再会を祝福する。
やがて視界は涙で潤み、雫となって三人の頬を濡らす。
交わすべき言葉はたくさんある。
それでも――今はただただ、こうしていたいと思ったから。
彼女たちは声をあげて泣いて、悪夢のような日々が終わった喜びを分かち合った。
それと時を同じくして、マニもヘルメスの胸に飛び込む。
「ヘルメスぅ……ヘルメスうぅっ……」
顔をうずめた胸を、マニの涙が濡らす。
抱き返すヘルメスも、同じように泣いた。
だが彼女の場合は、ただ再会を喜んでいるわけではない。
他の面々より神への変化が早かった彼女は、別れを嘆くマニを度々冷たく突き放した。
「まにゃ……ごめんね。あたし、たくさんひどいことしちゃったねぇ」
それは本来のヘルメスにはありえない行動だ。
もちろんそのことはマニにだってわかっている。
しかし、わかっていても――辛さが消えるわけではない。
「うん、辛かった。苦しかったよ」
「ごめん……ごめん……」
「だからその分、今日からずっと一緒だよ?」
「約束するっ。絶対に、絶対にそばにいるからっ」
さらに強く抱き合うヘルメスとマニ。
別れを経て強まる絆。
もう二度と、誰であっても、二人を引き裂くことはできないだろう。
そう、この場で起きた再生と再会は、良くも悪くも彼女らに大きな影響を与えるのだ。
ウェントは、抱き合うミティスたちの元に近づいた。
そして空気を読めていないことを承知の上で、頭を下げながら、大きな声で言った。
「頼む、アウラの居場所を教えてくれッ!」
その言葉に反応し、ミティスとセレスが顔を上げる。
泣きはらして赤くなった目で、二人はウェントを睨んだ。
「どういう風の吹き回しよ」
「そうだよっ、今さら……アウラちゃんに謝ってどうにかなると思ってるの?」
「どうにもならなくてもッ! 俺は……謝らないといけない。それぐらいしか、償える方法はないんだ! だから頼むッ!」
確かに――彼の言うこともまた道理である。
たとえアウラが彼を許したとしても、ウェントは自分を許せないだろう。
いくら人格を侵食されていようとも、大切な妹をあんなにも傷つけた己を一生責め続けるはずだ。
「なぜこんな女に頭を下げる、『運命の輪』ッ!」
そこに、ニクスが声を荒らげながら割り込んできた。
「僕らは神なんだぞ。人間風情が対等に言葉を交わすだけで恐れ多い存在なんだ!」
「邪魔しないでくれ、ニクス」
「これは邪魔ではない、正当な主張だよ『運命の輪』!」
「俺は神なんかじゃねえ。ただの、ちっぽけな、妹一人守れねえ人間なんだよッ!」
「守る必要などあるものか! 神は超然としていればいいんだ。いつだって人間を見下していれば!」
「この期に及んで何を言ってるのよ……」
思わずミティスがそう零すと、ニクスは鬼のような形相で彼女をにらんだ。
「そもそも、お前はなぜここにいる? 神のみが立ち入れる領域に――ああ、そうか。お前が……いや、お前たちがやったんだな? 人間の分際で、神である僕たちの邪魔をしたんだろう!」
「だとしたら?」
「裁きを受けねばならない。『審判』たる僕の手で、直ちにッ!」
彼は手を振りかざす。
毅然と見つめ、軽く受け止めてやるつもりだったミティスだが――彼女の前に、セレスが割り込んだ。
そして振り下ろされる前の手首を掴み、止める。
「貴様っ、高貴なる神に触れるとは何事か! 放せっ、放せえぇっ!」
「現実を見なよ」
セレスは冷たく言い放つ。
「あたしみたいな女の子にも勝てない力の、どこが神様なの?」
ニクスは、ただの少女に掴まれた手を解けないでいた。
本来、力には男女差があるためニクスのほうが有利なはずだが――あまり運動が得意でない彼と、元陸上部のセレスの間では、そのようなもの簡単に逆転する。
もっとも、彼女の筋力も長かった引きこもり生活で相当なまっているはずなので、単純にニクスが非力すぎるだけなのだが。
「これは一時的なものだ! 僕は神なんだよ、選ばれたんだよぉっ! またすぐに元に戻るに決まってるんだ!」
「最初からあんなの神様でもなんでもなかった」
「神を愚弄するかッ!」
「いくらでも馬鹿にしてあげる。人間は神様なんかになれない。人間から人間の心を奪ってできるものは化物だよ! あんな横暴に、あたしたちから沢山のものを奪っていくやつが神様なもんかっ!」
「ふざけたことを!」
もう一方の手で掴みかかろうとするニクス。
するとセレスは彼の体を軽めに突き飛ばした。
バランスを崩した彼は尻もちをついて倒れる。
「こんなことが許されると思っているのかあああっ!」
なおもニクスはわめく。
しかし、彼はふと、周囲の視線が自分に集中していることに気づいた。
ウェントも、マニも、ヘルメスも――その他の候補たちも、じっと彼を見つめている。
そこに込められた感情は様々だ。
怒り、憎しみ、同情、哀れみ、共感。
決してネガティブなものばかりではない。
この世界において、神になることは何よりも優先されるべき使命だ。
若い世代は本能が薄れているとはいえ、それでも影響力は大きい。
この場にいる人間の中には、彼と同じように――神から人に戻ったという現実を受け入れきれない者もいるだろう。
だが、例え仲間がいたとしても、それらの視線はニクスに耐えられるものではなかった。
特に、哀れむようなその瞳――それは彼が最も嫌うものである。
「やめろよ……見るな、そんな目で僕を見るなあぁっ!」
ここが
「僕が正しいんだよ……おかしいのは、こいつらなんだ……どうして人間なんかに戻るんだよおぉ……!」
背中が壁に当たる。
そこにはモニターがあった。
彼はふと、そちらに視線を向ける。
すると、真っ暗だった画面に文字が浮かび上がった。
『世界に神様なんて必要ない』
それは、世界を生まれ変わらせた誰かの願い。
「ふざけるな……必要なんだよぉ。神様がいないと、世界は生まれないんだよおぉ……!」
彼は壁に体重を預け、ずるずると座り込んだ。
そのあとは、ぶつぶつとうわ言のように「どうして」、「何で」と繰り返すばかりであった。
邪魔がいなくなったところで、改めてウェントは頭を下げる。
今度は膝を付き、額を床にこすりつけての土下座だった。
「頼む、アウラの居場所を……あの子に謝らせてくれ!」
ミティスとセレスは目を合わせる。
アイコンタクトで意志を示し合わせると、セレスが口を開いた。
「……駅前の病院に入院してるよ」
ウェントは顔を上げ、暑苦しく感謝の言葉を述べる。
「ありがとう……本当に、ありがとうっ!」
そして素早く立ち上がると、揺り籠の外へと駆け出していった。
あっという間にいなくなった彼を見送ったあと、ミティスが言う。
「私たちも外に出よっか」
「そうですね、いつまでもここに居ても仕方ありませんし」
「出よう出よう。窓も無いから息苦しいもんっ」
笑顔で涙を拭いながら、肩を寄せ合い、三人は出口へ向かう。
外に出ると――季節外れの温かな風が頬を撫でた。
陽の光の眩しさに、ミティスは目を細める。
「朝だ……」
彼女がここに入ったときは、間違いなく深夜だったはずだ。
それにこの気温の違い。
体感ではほんの一瞬の出来事だったはずなのに、明らかに時間が過ぎている。
季節は春――植物たちも、色づきはじめていた。
「何が起きたんでしょうか」
その風景を見ながらリュノは言った。
正直、ミティスにもわからなかった。
彼女が覚えているのは、カプセルに入るところまでだ。
他に手がかりは――と一縷の望みをかけ、セレスのほうを見る。
「……えへ」
目が合うと、彼女は幸せそうに笑って、ミティスの腕にぎゅっと抱きついた。
(何も知らないわね、これは)
もはや聞くまでもなかった。
ひょっとすると知っていたのかもしれないが――もうその記憶も消えているだろう。
「それでいいのかもね」
ミティスはつぶやく。
「……そうですね。何も覚えていないことが、幸せなのかもしれません」
リュノも同意した。
さらに、セレスが言葉を続ける。
「こうしてあたしたちは一緒にいられる。それ以上の幸せなんてどこにもあるわけないもんっ」
その明るさに心をほぐされて、ミティスとリュノも微笑みを浮かべた。
そう、それでいい。
“無かったことにする”ことこそが、勝者の選択した報酬なのだから――
そして三人は、揺り籠の前を去ろうとした。
後ろからはニクスを除く他の神様候補たちも出てこようとしている。
しかしそのとき、ミティスは信じられないものを見た。
「……揺り籠から、人が出てきてる?」
「ミティスぅ、まだ頭が寝てるんじゃない? そりゃあたしたちは揺り籠から出てきたけどさあ」
「違うって! ほら、あれ!」
彼女が指差した先には、他の揺り籠から出てくる学生の姿があった。
それも、無数に並ぶ大量の揺り籠のほぼ全てから、である。
まだ学園が存在しない頃の人間もいるようで、古い揺り籠からは、時代を感じさせる古めかしい姿で出てくる者もいた。
「全ての揺り籠が、機能を停止したということでしょうか……」
「かもね。私たちも、それで外に出られたんだ」
「ってことは、リュノのお兄さんも出てくるんじゃない?」
「兄さんが!?」
「探しましょうか、ガイオスさんのこと」
「本当は今すぐそうしたいのですが――学園のほうも騒ぎに気づいたようです」
リュノは、校庭側から聞こえてくる足音に気づく。
そこには“使徒”を自称していた教師たちの姿があった。
様子を見るなり彼らの顔は青ざめる。
だがミティスたちの姿を見つけた途端に、顔を真っ赤にして早足で近づいてきた。
ミティスとセレスは嫌そうな顔をしてため息をついた。
「一番顔を合わせたくない相手ね」
「ねー」
二人の懸念通り、教師はミティスの胸ぐらを掴むと、顔を真っ赤にして声を荒らげた。
「お前たちがやったのかあぁあああッ!」
「先生、うるさいですよ」
「こちらは把握しているぞ、お前たちが揺り籠に不法侵入したことはなぁ! 今すぐにでも処刑してやる!」
「生憎ですが、私には覚えがありません」
「言い訳に意味など無い!」
「あなたにとっての意味の有無なんて聞いてません。第一、私が全ての揺り籠を解放したと言うのなら――神様って、ただの人間が細工するだけで消える存在ってことになっちゃいますよ?」
「屁理屈を……ッ!」
「ただの事実です。教師なら無関係の私に構うより、他の生徒のケアを優先すべきでしょう」
「このぉっ!」
彼は握りこぶしを振り上げる。
ミティスはニクスと似たような反応を示す教師にうんざりしていた。
一発殴られるだけでこの厄介事とお別れできるのなら、それでいいとすら思っていた。
しかし、残る二人がそれを許すわけもない。
リュノは一歩前に出て、強めの口調で言い放つ。
「ミティスを殴るのなら、神の名の下にあなたに死を命じます」
「な……『
「私はその名に愛着も執着もありませんから、平気で利用しますよ。この状況を見ても神を信仰するのなら、その拳を下ろしなさい」
リュノに教師を殺すことはできないだろう。
だが、彼は“彼女は自分を殺せる存在であってほしい”と願っている。
神が消えたという現実を受け入れられていないから。
ゆえに拳を下ろすしかないのだ。
解放されたミティスは、皺が寄った胸元を軽く払うと、「行こう」とリュノとセレスの手を握る。
そしてうなだれる教師の横を通って、校門を目指して走った。
この混乱の中で、リュノの兄を探すのは困難であろうという判断であった。
◇◇◇
――その日起きた出来事は、間違いなく世界の歴史に刻まれるだろう。
全ての揺り籠は機能を停止した。
原因は不明。
元より動力源すらまだ完全に解明されていなかったのだ、当たり前のように止まった理由もわからなかった。
ただ一つ、はっきりしているのは――この世界が生まれてから今日までの長い月日の中で、神として選ばれた少年少女の
その数は、軽く四桁に達した。
それだけ大勢の、しかも生きていた時代すら違う人間が解き放たれたこと。
信仰対象、及び生きる意味の喪失。
それらが巻き起こした混乱はあまりに大きく、地方によっては暴動や、集団自殺まで起きるほどであった。
“神になる人間を育てる”ために存在した神導学園も例外ではない。
教師は絶望し、授業を放棄。
中には必死に学校の体を保とうとする教師もいたようだが、力及ばず。
最終的には、そういった
入学した生徒たちの不満や不安も膨らみ、デモや職員室への襲撃、果てには体育館での立てこもりまで発生。
騒動後、二週間で生徒の約半数が退学する事態となった。
ミティスたちは、そういった騒動に巻き込まれる前に、寮から荷物を持ち出し逃げていた。
一ヶ月ほどは変装して、安ホテルに潜んだ。
もちろん、その前に親との連絡を取り、頼ろうと試みたが――
「もしもし、お母さん?」
『セレス!? あなた、どこで何をしてるのよ!』
「無事だよ」
『そういうことじゃないの。あなたのせいで神様が消えたって本当なの? どれだけの人に迷惑がかかったと思っているの!』
「……お母さんは、あたしが生きてて嬉しくないの?」
『ちゃんと答えなさい!』
「あたしに死んでほしかったの?」
『そんなことは言ってないでしょう。とにかくどこにいるか教えなさい、ちゃんとした人に保護してもらって』
「そっか、最初からあたしのことなんてどうでもよかったんだ」
『な、何を言っているのよ。私はあなたを心配して――』
「さよなら」
セレスと親の溝はさらに悪化し、
『ああ……そうか、リュノか。ミティスもいるんだね、無事で何よりだよ』
「パパ、大丈夫ですか? ママはどうしています?」
『ママは、少し寝込んでいてね。ああ、平気だよ、別に病気というわけじゃない。ただ……ね』
「兄さんは大丈夫ですか? 保護、されたんですよね」
『ああ、面会はしたよ。今は政府の施設でね、体に変な部分がないか調べてもらっている。よかったら、リュノたちも使うといい……』
「……ありがとう、ございます」
そしてリュノの両親は、魂がなくなったように腑抜けていた。
どちらも今は頼れそうにはない。
こういう場合、案外ミティスの母親が頼れそうな気もしたが、獄中の彼女と会えるはずもない。
だから他に選択肢がなかったのだ。
不安な日々が続いたが、しかし“三人一緒にいられる”毎日は、少なくとも学園で過ごした時間よりは平和だった。
外を自由に出歩くことはできないし、ご飯はジャンクなものばかり。
けれど楽しかった。
幸せだった。
改めて、どれだけ三人でいることが大切なのか思い知った。
バラバラに引き裂かれる可能性を考えると、政府に保護されることを避けたのは正解だったと彼女たちは思っている。
もっとも、いつまでも隠れているわけにもいかない。
すぐにお金だって足りなくなる。
だから一ヶ月が限界だったのだ。
しかし、それだけの時間があれば、多少は世間だって落ち着く。
もちろん、人々の心も。
結論として、ミティスたちは結局、リュノの両親に頼ることを決めた。
連絡を取り、リュノの実家に三人は身を寄せる。
一ヶ月という時間があったおかげで、両親は少しだけ気力を取り戻していた。
ちょうどガイオスを政府の施設から取り戻すことも決めた時期だったようで、ここでようやく、リュノは兄と再会することができたのだった。
抱き合い、涙を流す兄妹。
二人は「本当は嫌だった」、「もう家族を失いたくない」と、ようやく両親の前で本音を言うことができた。
それを聞いて父と母は涙し、後悔した。
神になることが最高の幸せだと思っていた。
だって、ガイオスは喜んでそれを受け入れてくれたから。
家族も幸せになれるはずだったから。
しかし、実際は子供に強がりを言わせていただけ――ようやくその現実を受け入れることができたのだ。
そして二人はミティスのことも抱きしめ、心から謝罪した。
セレスはそんな家族のやり取りを、どこか羨ましそうに見つめていた。
◇◇◇
こうして、ミティスたちはひとまず安定した寝床を得ることができた。
だが落ち着くと、逆に将来への不安が湧き上がってきた。
神導学園はすでに崩壊状態。
世間は神の消滅を受け入れる者と受けいれない者に別れ、中でも過激派は毎日のように衝突し、死者を出している。
特に受け入れない側にいる『揺り籠から解放された者こそ黒幕だ』と主張する一派が厄介で、彼らは政府の保護施設などを襲撃しているという。
もっとも、そんなに数は多くないので、今は完全に軍が取り押さえているようではあるが――あくまでそれは、行動に移した者が捕まったというだけ。
世の中には、そういった思想に共感する人がまだまだたくさんいるだろう。
「なーんか大変なことになってるわよねぇ」
三人は、リュノの部屋に集まり、雑談で時間を潰すことが多くなった。
寝るときも、ベッドで強引に抱き合って寝ているので、もはや実質的に三人の部屋と言ってもいいだろう。
「海外でも揺り籠は同じ状況のようです。内戦間近という国に比べれば、私たちの環境は恵まれているのかもしれません」
「でもでもさー、あたしは早く三人で外に遊びに行きたいなー!」
「同感。暗いニュースばっかり流れてるし、もっとぱーっと遊びたいわよね」
「若い人ほど冷めた目で見ているようですから、時間の問題だと思いますよ」
「改めて考えてみるとさ、ひょっとして大いなる意志ってやつは、世界創造を無くそうとしてたのかしら」
「なんでー?」
「明らかに後から産まれた人間のほうが本能が弱くなってるわ。軟着陸させようとしてたんじゃない?」
「それにしては急転直下でしたが」
「そうそう、真っ逆さまだったよね! フォーリンラブ!」
「ふふ、それは私たちですね」
「時間をかけて終わらせるつもりだったけど、予算が足りなくなったから強制終了になったとか?」
「マネーであたしたちの人生をめちゃくちゃにしたってーの!?」
「例えよ、例え。足りなくなったのは、もっとすごい何かなのかもしれないけど」
「理由はわかりませんが、振り回されたのは事実ですね」
「中には私のせいで揺り籠が機能を停止したっていうやつもいるじゃない? 困るのよね、原因とかはっきりしてくれないと」
「そうですね……私も話は聞きましたが、あの方法で止められるのは揺り籠一つだけでしょうし」
「あたしたちと他の揺り籠の人たち、記憶の残り方がぜんぜん違うんだよねー」
ミティスたちは、神になっていた間のことを完全に忘れている。
たとえどれだけ脳を切り開いたとしても、サルベージできないほどに。
一方で、他の揺り籠から解放された人々は、自分が神として何をしてきたかを断片的ながら覚えていた。
だからこそ、口を揃えてこう言うのだ。
『もう二度と神になんてなりたくない』
その発言が、さらに世の中を混乱させる元になるのだが――言わんとすることは、ミティスたちにもわかった。
人から神に変わる間ですら、あれだけ苦しんだのだ。
実際に神となり、何億年もの月日を過ごすことになれば、さらなる苦痛が待っているだろう。
しかも、完全に人間としての人格が消えるわけではなく、実はどんなに相性が良くても、ほんの少しだけ人間の部分が残るというのだからたまったものではない。
最初から、あの世界創造システムには欠陥があったのだ。
「他の人の話を聞いてると、私は消えてよかったと思ってるわ」
「なぜ私たちの揺り籠だけは別だったんでしょう」
「ここで名探偵セレスちゃん登場! あたしたちのいた揺り籠と他の揺り籠では、機能停止の原因が違うんだ! つまり、他の揺り籠の機能停止は、あたしたちの揺り籠の停止原因を隠すための大胆なカモフラージュだったんだよ! これがアンサー! 真実は、いつもひと――」
「それはあるかもしれないわね」
「……ありゃ? セレスちゃんツッコミ待ちだったのに」
「私も突っ込もうと身構えていましたが、あながち的外れでも無いのかもしれません。ミティスとセレスが揺り籠に入ってから目を覚ますまで、数ヶ月が経過しているわけですから――計算上、私たちは神として何億年かを過ごしたことになります」
「そこが消えてるってのが、かなりわけありっぽいわよね」
「ついにセレスちゃんに名探偵の才能が開花してしまった……」
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」
「そんなことを言ってると、ミティスの心を撃ち抜いちゃうぞ! ばきゅーんっ☆」
銃を撃つジェスチャーをするセレス。
それを向けられたミティスは、がばっとセレスを抱きしめ、そのままカーペットの上に押し倒した。
「ぎゃー! 理性の楔から解き放たれた獣に襲いかかられたーっ!」
「あまりの可愛さに心を撃ち抜かれたわ。これはもう抱き枕にするしかないわね」
「ぐわー! いい匂いがする上に、たわわな双丘を押し付けられて真っ昼間から盛ってしまう! 女子高生だったら許されないけど、あたしたちもう女子高生じゃないから許されてしまうー! 助けてリュノー!」
「二人が楽しそうで羨ましいです。私も抱きつきますね、えいっ」
「くひー! 顔がっ! 顔が四つの秘宝に包まれてっ、何だここはっ、天国なの!? おっぱい天国なのー!?」
真面目な話をしていても、隙あらばじゃれあうのが最近の三人であった。
前後から抱きつかれ、二人の胸に押しつぶされるセレス。
あまりの幸せに、にやつきを押さえきれない彼女だったが、頭上からは、ちゅっ、ちゅっ、という音が小刻みに聞こえてくるのに気づく。
「こ、これはっ、おっぱいで目隠しをしている隙に上でキスをするという高等ネトラレテクニックでは!?」
「ん……なんか寝取られとか言ってるわよこいつ」
「かわいそうなので巻き込んであげましょう」
「はっ!? 圧迫っぱいが終わったと思ったら獣のような視線を向けられている……あたし……あたし、これからどうなっちゃうのーっ!? うひっ、んひゃっ、ふやああぁあっ、愛が雨あられのように降り注ぐぅー!」
三人とも、少々スキンシップのエスカレートが激しいのではないかと薄々感じてはいたが、止める必要もないのでそのままにしている。
そして数分後――ベッドの上には、服と髪を乱し、肌を赤らめ、胸を上下させながら汗ばむセレスの姿があった。
ミティスとリュノは軽く手でよれた服を正すと、真面目な話を再開する。
「そういえば、アウラさん……でしたっけ。今朝、連絡を取ったと言ってませんでしたか?」
「最近どうしてるか気になってね。ウェントとはうまくやってるらしいわよ」
揺り籠から出たウェントは、その足で走って病院まで向かったらしい。
しかし、彼は数ヶ月の月日が過ぎていることに気づいていなかった。
そう、アウラはすでに退院していたのである。
その後、自らの足で家まで走り、自宅療養を続けていたアウラの顔を見るなり土下座をして謝ったのだという。
もっとも、アウラは兄を憎んでなどおらず、神になったことを嘆いていただけだ。
だから許すも許さないもない。
ただただ、大好きな兄が戻ってきたことを喜び、抱きついた。
「親とも仲直りできて、地元の高校に通うことに決めたんだってさ。兄と同じ学年だからって、浮かれてる感じだった」
「ふふふ、それはよかったです。マニさんとヘルメスさんも二人暮らしを始めたとかで、みんなうまくやっているみたいですね」
マニとヘルメスは政府の施設に保護された。
しかし、政治に利用されることを嫌がったヘルメスは、マニを連れて脱走。
元から行動力のあるタイプの人間だったのか、元神の名前をうまく利用して生活しているそうだ。
あの二人も、ミティスたちと同じ、一緒にいられればそれだけで幸せなタイプの人間である。
きっと、今頃満たされた日々を送っていることだろう。
それとは対照的なのはニクスだろう。
彼はなおも神であることにこだわり続け、今はある宗教団体に加入したそうだ。
時折、新聞などにその顔が小さく掲載されていることがあるが、以前と比べるとかなりやつれているように見えた。
他の元神たちも、様々な道を選び、生きている――
「みんな器用だよねー……あたしゃそんなふうには生きられないよ」
ベッドに横たわるセレスが、ぼやくように言った。
「何日か前に、母親と連絡取ってたわよね。どうだったの?」
「お母さんがあんなに信心深い人だとは思ってなかったから。なかなか言葉が通じないのサ!」
「そっか……次は私も話すから。少しずつ距離を縮めていきましょう」
「もういーんじゃないかなって思ってる。だって、あたしにはミティスとリュノがいるもん」
「その顔、もういいと思ってる人の顔じゃないわよ」
「もし迷惑がかかると思っているのなら、遠慮は必要ありません。お互いに支え合って生きていくと決めたんですから」
「わかってる。二人がそう言うだろうなっていうのも……一人じゃ簡単に諦めることも諦めさせてくれないって、結構厳しいよね」
「できるだけ幸せになってほしいのよ」
「人として生きていないと、できないことですから」
人間をやめたことがあるからこそ、重たい言葉だった。
もっとも、人に戻ったからといって、全てが解決するわけではない。
リュノが今日という日にたどり着くまでの間、数え切れないほどミティスやセレスに謝ったように、解決すべき問題は山積みなのである。
だがそれらと向き合うことができるのも、人として生きているからだ。
あるいは、全てを投げ出して人間を辞められることを幸せだと思う者もいるのかもしれない。
元より、この世界においてはそれが“正しさ”だったから、そう思う人を責めることはできない。
しかし――ここに戻ってきて、ミティスたちは改めて思う。
やはり、人はどこまで行っても、人でしかないのだと。
無理をして、無茶をして神を演じることはできても、必ずどこかに歪みが生じる。
その歪みは少しずつ大きくなって、いつか取り返しのつかない悲劇が起きる。
結局、理由はわからず仕舞いだが――
「そういえばさっき、パパとママがメロンを貰ったと言ってましたね」
「メロン? かの大地の宝石と呼ばれたメロンでござるかっ!?」
「何キャラよそれ」
「ちょうど小腹が空いてきましたし、食べられないか聞いてきましょうか」
「めっろんっ、めっろんっ、リュノのお胸にめっろんっ」
先ほどまでの物憂げな雰囲気はどこへやら、セレスは元気いっぱいにベッドから飛び起きた。
「それ親の前で言ったらぶっ飛ばされるわよ」
「私の前では構いませんが」
「構ったほうがいいと思うわ……」
「まあまあ、落ち着きなってミティス」
「あんたよあんた!」
騒ぎながら、部屋を出る三人。
その先には――
「……これは、一体」
暗闇が広がっていた。
「なっ――私たち部屋から出ただけよね?」
「ミティス、これってもしかして……」
セレスはミティスにぎゅっとしがみつく。
記憶にはない。
だが肌が覚えていた。
(似たような空間で――私は、誰かを殺そうと、した……?)
恐怖に震えているのは体か、魂か。
足元に床があるかすら定かではないその空間で、ミティスは慌ててリュノの体を抱き寄せる。
そして互いに体を寄せ合っていると――前方に人の形が浮かび上がった。
ただし表面は極彩色のマーブル模様だ。
「誰ですかあなたはっ!」
【これは終了処理に必要な行動である】
「何が終了処理よ……」
「ね、ねえ今の声っ、耳に聞こえたの? あたし、なんか頭に直に話しかけられた気がするんだけどっ」
【“終わり”には裁きが必要。それは人間の規則であると判断。一時的にパスを接続】
人形と、ミティスたちの間に透明の球体が生まれる。
その内側には、まるで湾曲したレンズで撮影されたような、歪んだ景色が浮かんでいた。
「人が、います……でも、あれは……私?」
【リュノ・アプリクス、そしてミティス・アプリクス。球体に触れよ】
「お断りするわ」
「そうだよっ、あたしたちはもう人間なんだから! というか、何であたしだけ呼ばれないの!?」
【触れよ】
「……私も断ります。あなたが何者かは知りませんが、私には関係のないことです」
リュノもミティスも、毅然と拒絶した。
【忘却か。しかしそれでは困る。終了処理を――】
すると、その場にとどまっていた球体が、ゆっくりと三人のほうへと動き出す。
触れれば、間違いなくよくないことが起きる。
誰もがそれに気づいていた。
「逃げないと……ねえ、ミティスっ、リュノっ!」
「私も逃げたいのですがっ、体が!」
「このっ! 何なのよこれっ、金縛り!?」
しかし体が動かず、逃げられないのだ。
こんなところで、ようやく手に入れた幸せを失いたくない。
誰よりも強くそう思っているのに、この世界には、願いや想いを力に変えることはできない。
だから最後は、もう祈るしかない。
当たらないでくれ、止まってくれ、消えてくれ――
そのとき、パチンッ! という音が響いた。
同時に球体はシャボン玉が弾けるように消え、謎の人形の姿も歪んだ。
【なぜだ。なぜ拒む。終了処理を――】
そしてその姿が消えると、周囲の景色も元に戻った。
三人は立ち尽くす。
「何だったん……でしょうか……」
「あたしにもさっぱりだよぉ。神様が関係してるの?」
「……いや、関係ないわ」
ミティスはきっぱりとそう言いきった。
「私たちには関係のないことよ。だって、何の力もないただの人間なんだから。今のも夢で幻覚なのよ」
「それのほうがヤバくなーい?」
「ヤバくない!」
「ミティスの言う通り……ですね。忘れましょう」
「……そっかぁ。そだね、今はメロンのほうが大事だもんねっ」
「そうです、早くメロンを食べに行きましょうっ」
そう言って、彼女たちは階段を降りてリビングへ向かう。
それきり、三人が先ほどのような怪奇現象に巻き込まれることは無かった。
神もない、魔法もない、平凡な人としての毎日があるだけだ――
◆◆◆
パチン、と乾いた音が鳴る。
王城の応接室にて――メアリーはテーブルに乗り出し、怒りの表情をあらわにしていた。
一方、彼女に向き合うスーツ姿の壮年の男性は、叩かれた頬を赤く腫らしている。
【理解不能。ミティス・アプリクスからの謝罪こそが、過去の記録から感情を逆算した結果、私が出した正答である。場合によっては殺害しても問題が生じないよう記憶の操作を――】
なおも彼は反省する様子を見せない。
「ふざけないでくださいッ! あなたのような存在が全てを引き起こしたんでしょう!」
メアリーは男の胸ぐらを掴むと、拳を握り、思いっきりそれを頬に叩きつけた。
今の彼女は非力である。
しかしこれまでの戦闘経験は身に染み付いている。
体のひねり、及び体重を十分に乗せた拳の威力は、成人男性を転ばせるには十分だった。
「あなたの語る通り、本当に“大いなる意志”なる存在ならば、この程度の痛みなど意味を成さないのでしょう。ですがあなたの考えは間違っているという主張ぐらいは伝わったんじゃないですか?」
男は、メアリーを訪ねて王城にやってきた。
ヘンリーやフランシスに疑われることなく客人として招かれた彼は、メアリーの前で自らを“大いなる意志”と名乗った。
そして、リュノやミティスとは異なる視点から、この世界が生まれた経緯や現在の状況を語ったのである。
その後、【全てを終わらせる】と言って
断罪のために。
それが、本当の意味で物語を終えるために必要なものだと主張して。
無論、メアリーがそれを許すはずもなかった。
最初に繰り出した平手打ちがそれだった。
“意志”は無表情で起き上がると、何事もなかったようにソファに座り、メアリーと向き合う。
【理解できない。では、何を望む。謝罪も断罪も望んでいないというのなら】
「何も」
【答えになっていない】
「何も無い、それが答えです。私はこの世界で生きていきます。彼女たちはあちらの世界で生きていくのでしょう。その人生は二度と交わることはない。それが、最大の望みです」
【私に求める望みは無いということか】
「ええ、あなたのような存在が介入するほどに世界は歪んでいきます。二度とあのような悲劇を引き起こしたくないと願うのなら、一切の関わりを断つことです。それ以外、あなたにできることなんてありません」
男は、わずかに目を伏せるような仕草を見せた。
それは、彼が見せた唯一の感情らしきものだ。
たぶん落ち込んでいるんだろう。
メアリーからしてみれば、それでも足りないぐらい、もっと苦しんでほしいと願うが。
【私は最初から間違っていたのか?】
「それがわかっていただけたのなら幸いです」
彼女はあえての笑顔で、冷たくそう突き放した。
男は冴えない顔をしたまま薄れ、消えていく。
完全に消滅すると、メアリーは大きく息を吐き出し、ぼふっとソファに体を沈めた。
「ああいう人は、どうしてこう……失敗を認めずに、余計なことばかりしたがるんでしょうね」
戦いとも縁のない日々を長いこと過ごせていたというのに。
一気に引き戻されたような気分だった。
疲れ果てたメアリーがソファで脱力していると、誰かがドアをノックする。
入ってきたのはアミだった。
彼女はお菓子とお茶の載ったトレーを持っている。
しかし、それよりもメアリーが気になったのは――
「アミのメイド服姿……」
彼女は普段とは違う格好をしていることであった。
スラヴァー領の学校を卒業後、王都に引っ越してこちらの学校の中等部に通っているアミ。
別に使用人として雇っているわけではないので、いつもは普段着なのだが――
「どうかな、お姉ちゃん。似合ってる……?」
少し照れながら、フリルスカートを揺らすその姿に、メアリーの不機嫌は吹き飛んでいく。
「もちろんですっ、とってもかわいいですよ!」
彼女は少し興奮気味にそう言った。
愛しの王女様のそのリアクションに、アミはご満悦であった。
「んふふー、そっかぁ。なら今日からずっとこの服でお手伝いしちゃおうかな……ってあれ? お客さんは?」
「帰られました」
「……どこから?」
アミの疑問に、メアリーは無言で窓を指差した。
何度かぱちくりとまばたきをするアミ。
驚くのは当然である。
「ですので、そのお茶とお菓子はアミと一緒にいただこうかと思います」
「私が? いいのっ!?」
だがすぐに、驚きも疑問も喜びにかき消された。
アミはテーブルの中央あたりにケーキスタンドを置き、そしてメアリーの隣に座って「えへへ」とはにかんだ。
思わずメアリーの頬がほころぶ。
「お姉ちゃんを独り占めだねっ」
「そういう時間が作れたという意味では、あの男に感謝してもいいのかもしれません」
「お菓子も食べられちゃうし! あ、でもその前に――」
アミはメアリーのほうを見ると、目をつぶって唇を突き出した。
「んーっ」
「確かに、ケーキのあとだと甘くなりすぎてしまいますね」
キスはただでさえ甘いから、という理屈らしい。
メアリーは優しく唇を重ねた。
そのまま数秒間、互いの感触を確かめ合う。
アミはメアリーのドレスの袖をきゅっと握って、小さく「ん、ん」と声を出した。
「ぷはぁっ。むふふ、今日もおねーちゃんとキスしちゃった」
「毎日してますよ? それこそ何百回も」
「うん、それぜーんぶ私にとっては特別なの! それじゃ、いっただきまーすっ」
アミの元気に若干置いていかれつつも、メアリーもケーキに手をのばす。
すると、再び部屋の扉が開いた。
「待ちさないアミ、独り占めはずるいわよ!」
「キューシーさん……もメイド服なんですか!?」
「そ、そうよ。まあ、そりゃ、アミに比べれば似合ってないかもしれないけど」
「かわいい……!」
「……そう?」
「はいっ、キューシーさんのかわいい格好って珍しいのでまた違った魅力が出ていますよ」
「悪い気はしないわね……」
照れて視線をそらすキューシー。
メアリーは立ち上がると、そんな彼女を逃すまいと、両手でぎゅっと抱きしめた。
すると、ドアの外――廊下にまた別の女性の姿を見つける。
「お姉様まで!?」
「キューシーがマジョラームの新製品だって持ってくるから。どう……かな」
フランシスも、慣れない格好に照れる――というより不安げである。
だがメアリーが、姉のそんな姿に興奮しないはずもなく、
「お姉様……素敵ですぅぅぅっ!」
軽く暴走ぎみに、姉に抱きついてその胸に顔をうずめた。
すりすりと頬ずりする妹の姿に安心したフランシスは、ふっと微笑み抱き返す。
そして一瞬だけ不敵な笑みをキューシーに向け、軽く牽制した。
「ぐぬぬ……」と拳を握るキューシー。
一方、メアリーの幸せそうな姿を見ながら、おかずにするかのようにケーキをパクパク口に運ぶアミ。
これだけメイドだらけの空間だ、ここに本職が来ないはずもなく――
「カラリアさんもメイド服なんですね!」
カラリアも、その様子を眺めていた。
「いや、私はいつもだが」
「違います。いつものメイド服は機能性を重視していますが、今日のは可愛さ重視です。私が見逃さないと思っているんですか?」
「よく見ているな」
「カラリアさんのことは、いつだって見てますよ」
メアリーはカラリアと手を握り、指を絡ませ、見つめ合う。
フランシスに、アミに、キューシー、そしてカラリア――四人の仲は良好だが、一方で互いをライバル視する者もいる。
しかしメアリーは、彼女たちのことを心から、同じ熱量で愛していた。
だから、たまに嫉妬させてしまうことはあるけれど、その関係は今の世界でも途切れることはない。
アミは王都に引っ越してきて、カラリアは王城で働くようになり、キューシーは王都に近いマジョラームの分社を取り仕切っている。
たとえ戦いが起きずとも。
たとえ旅をしなくとも。
特別なことなんて何も無くたって、みんなで寄り添い歩む人生は続いていく。
「実はメアリーの分も用意してるのよねぇ」
「お姉ちゃんが着てるとこ見たい見たーい!」
「私も着てみたいです」
「じゃあ決まりね。お茶が終わったら私の部屋で着せかえタイムよ」
「いかがわしい真似は私が許さないから」
「そういうフランシスが一番しそうじゃない?」
「なっ、私を何だと思ってるの!」
「愛情が暴走気味な姉」
「たまに変態さんだよね」
「カラリアさんとアミちゃんにまでそんなことを言われるなんて……」
「まあまあ、元気だしてください。お姉様が変態さんでも、私は好きですよ!」
「メアリーまで!?」
介入すら必要ないと言われた以上、もはや観測も意味を成さない。
真の意味で、プランを閉じるときが来たようだ。
個体:TZ-SOはしばし迷った後に、CLOSEのフラグを立てる。
経路が切断される。
視界が閉ざされる。
観測が終了する。
世界は独立する。
神も意志も――二度とこの世界に介入することは無いだろう。
鮮血王女、皆殺す ~家族に裏切られ、処刑された少女は蘇り、『死神』となって復讐する~ kiki @gunslily
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