『死ぬ前の私と喋る猫のダイアログ』

小田舵木

『死ぬ前の私と喋る猫のダイアログ』

 手に握り締めたロープ。それなりの太さのモノを選んだ。これなら私の体重を支えきれるだろう。

 見上げれば大きな。神経細胞のスパイン樹状突起を思わせる枝ぶり。

 その内の手頃な一本を選び。私はロープをわえた。

 脚元にはのぼり台。コイツの上に立って。

 輪にしたロープの先。そこに首を突っ込んで、脚元を蹴飛ばせば。私の願いは成就する―


「くだらねえ事してんなあ」と声がし。


「…誰」と私は問う。

「通りすがりの猫さ。気にすんな。続けろや」かの黒い毛玉は私の脚元に居るのだった。

「飛んだお邪魔ねこ」と私は久しぶりに出すかすれた声でなじる。

「なぁに。昔から猫はこういう現場に行き当たる」とあくびするかのような口で声らしきものを発してる猫。

「頭―かれたかな」と私は呟きと共に考える。薬を切らして数ヶ月。

「自己判断で投薬止めんのは悪手あくしゅだ。特に脳のお薬はな」妙に物知りだな。

「…病院行くのすら。億劫で」脚が動かなくなってしまったのだ。

「親呼べよ」簡潔かつ完璧な突っ込み。

「…顔見たくなくてさ」

「向こうは心配してるぞお」

「私の命は在るようになってからは私のもの。親は関係ない」

「恩はあるだろ」責める目つきだ。なんとなく分かる。

「儒教的なフレームワークだね。相容あいいれない」

「…お前、今まで1人で生きてきたつもりか?儒教的なごちゃごちゃ出さなくても、恩があるのは明白だよなあ」

「今まで…頑張ってこたえてやった。これ以上は自らの領分」と私は言い訳。

「お前は―俺に『頑張ったねえ』って言って欲しいのか?」呆れたぜ、と言いたげな尻尾ブンブンがうるさい。

「どうだろう?親には随分ずいぶん言ってもらったんだどね…」親は仕事を辞め、ベッドを動かなくなった私にこう言って慰めてくれたけど…私はその声が遠くで響くの感じ。ただ。聞き流していたっけな。

「お前に聞く心持ちがないからさ」簡潔なこたえをする黒猫氏。

「心持ちがない?」

「お前のんだよ…いやと言うべきか」

「自我ね。まあそうかもね」

。物資が入ってこねえってブーブー言ってる城塞都市じょうさいとしみたいなもんだ」

「閉ざさないと…嫌なモノがなだれ込む。まるで病原菌みたいに」

「…お前はつくづく病んでるぜ」

「否定はしない」

「その癖、。簡単な方法はな?今すぐその手の輪に頭突っ込んで脚元蹴飛ばす事だよ。何で呑気のんきに俺と喋ってる?」

「…寂しかったのかな」

だ。鬱陶うっとうしい」

「そうは言われても」

「お前は?」


                   ◆


「否定はしないよ」私は半端はんぱを煮詰めたような女で。

「そう。お前は半端

「今こうしてるみたいに?」この真夜中の公園の有様。絵に書いたような半端な行動力。

「そうだ」

「何だろ。考えなしなのかな」

「その通り。分かってんじゃん」

やっちゃうのは何だろうね?」私は黒猫に問うている。非常に馬鹿らしくもある。

えてやってみてんじゃねえのか?知らんが」

「と、言うよりは衝動のような」

「もっとも唾棄だきすべき答え出しやがって」と詰る黒猫。

「思考停止するのは気持ちいいんだよ?」と私は問いかけ。

?」

「行動にいちいちアノテーションする注釈つけるの…疲れない?」私には無理で。

「疲れる…が。?動物的欲求なら俺のような考えない生きものでも在るんだぜ?」

「さあね?だから。そこまで問うた事はない」

「そいつはな―鹿

「考える為の自我…なんだかトートロジー同語反復めいてない?」

「そうかね?自己を問うってのは自己言及的だが…ぜ?」

「言い訳として苦しい」

「かもな。否定はせん」

「それにさ。結局いつも自分が価値がないって気付かされるんだよ?」

「しかしだ。問わない者は知ることがない。おのれを」

「いや、知ってるよ」

「…感覚として、だろ?」

「それで良くない?」

「良くないね。感覚なんぞいくらでも誤魔化ごまかせる。お前らの身体感覚は常にラグってる」

「リベット。行動する意思の0.5秒前には活動電位かつどうでんいが始まってる」

「博識だな」

「心理学と神経科学はかじったからね」

「まあそんな御託ごたくはいい。事の方が肝要かんようだな」

相対的でしょう?世界観が交わる事はさしてない」

「そりゃお前さんが相対的なモノの捉え方をしているからだな」

「ふむ。黒猫さんは自己を絶対だと思ってる」

「ああ。俺のような猫は独我どくがの世界に生きているな」

貴方あなた。貴方以外はまがい物」

「そう。俺以外は造りものとして自我に取り込む」


「―貴方にとって

貴様きさまにとっていち


                 ◆


「ところでよお」と黒猫氏は言う。

「どうかした?」

「俺、腹減らしててな?」よく見てみれば。彼は痩せていて。

「…人様をパシろうって訳だ」

「どうせ死ぬんだろ?」と彼は黄色い目を光らせ。

「どうせ死ぬから財布…持ってきてたな」身元を確認しやすくするために財布は持ってきた。スマホは置いて来たけどね。

「近所にコンビニあんだろ?ちっとばかし恵んでくれや。最後の善行だと思ってよ」

「…仕方ない」そう言いながら、私はのぼり台を降り、すぐ近くのコンビニに歩いていく。


                   ◆


 2、3日に一度、食料調達の為に行くコンビニ。

 そこの黄味きみかがった蛍光灯の光が私を照らし。やる気のない東南アジア系の店員はのんびり品出しをしていて。

 私は雑貨コーナーをあたり、猫缶ねこかんを探す…あった。プライベートブランドな一品。味はどうだか分からないけど腹の足しにはなるだろう。

 ついでに。私の食料も買おうかな。

 ツナマヨおにぎりと鶏ササミ棒。この組み合わせで私の腹はいっぱいになる。


                   ◆


「てめえ、俺にまんねえ猫缶買って来て。自分は鶏ササ食おうってか」

「流石にソミュール液にかった肉はあげらんない」と私はいなす。

「かあ〜お前はクズだな」と猫缶をもしゃつきつつ言う黒猫。

「何とでも言えい」とササミ棒をかじりながら言う私。

「…なあ。ぜ?お嬢さん」と一息つきながら言う黒猫。

「そして?大丈夫。私死んだ後の事は気にしないから」

「はた迷惑な女だな。自らを世界の一部と考えて居る割には」

「自暴自棄」とか言いながら味付きご飯に包まれたツナマヨを堪能する私。

「…ツナにマヨって美味い?」と黒猫氏。

「ツナの脂身の旨味にマヨの酸味が加わって美味いよ」と言う。1人で食べるご飯は栄養補給の為の味気ない物だったはずなのに。

「うむ…猫には旨味がよく分からんがな。それに酸味は腐敗の味だ」

「そうなの?もったいない」

「肉と魚の味が分かれば良い」

「つまんない猫生ねこせいだなあ」

「動物とはそんなもんさ」

「…人も動物だけどなあ。こうかな」

「んな事ねこに問うもんじゃないぜ」

「…話相手が君しかいない。メシ奢ってやったんだから付き合え」と私は鶏ササミ棒を食べ尽くしながら言う。

「…他我たがを発明したからかねえ」と猫は言う。

「他我は…自我の前にあんじゃん」おにぎりと鶏ささみ棒のゴミを纒めて袋に入れながら問う。

「そらお前と俺の世界観のすれ違いだな」

「独我論者は―のか」と私が問えば。

「そうだ。語りかける他を発明する」と黒猫はこたえ。

「語りかける『べき』、ね」と私は嘆息たんそくする。

「あんだあ?他人が嫌になったクチか?」

「そうだよ。勝手にこっちに期待する阿呆あほうが鬱陶しくなってさ」

「お前それは自意識過剰ってやつじゃねえか?」と猫缶の最後の一かけを食べながら詰る猫。

「そういうのじゃなくってさ。向こうが―自尊心の足しにするためにさ、私にんだよ」ある種のマウンティング。これは雌雄しゆう問わず起こる。特に中年に差し掛かったおばさんとかおじさんとかね。

「無視しろ…っても無駄か?お前は偏在へんざいする自我たち論者だもんな」

「そ。跳ね返すのは難しい」

「気にするだけ無駄だと思え」

「いやさ。そう思うんだけど―気がつくんだよ。自分にはかかげ上げるべき自己が無いことに」

「んなもん、気にしねえでもあるわ。無駄な感情だ」

「そう思えなくて―私は病んだ」

「そいつはと言うものだな」

「女の子はみんなヒロインだよ」と私はふくれっ面で返す。

「くっだらね。俺みたいな中年ちゅうねん真っ盛りの猫には信じらんねえ。お前には端役がお似合いだ」

「独我論者の物言いではないと思うな」

「俺はな。1人芝居の達人な訳だ…。よってお前の言い分は意味がない。『俺にとっては』な」


                  ◆


「君の論は―独我論にってる割に。私を止めようとしている。何で?」と私は問う。手には自販機で買ったカフェオレ。妙に喉が乾いてしまったのだ。

「―窓から見える風景が不快なモノだった…そうとしか言い様がないな」と顔を洗いながら言う黒猫氏。

「…偶々たまたま、ってアレか」

「そ。蓋然性がいぜんせいの為すままに。

「…確率を持ち出すなら。この世に喋る猫は何匹居るんだろうね?」ちょっとした疑問だ。

「俺様だけだぜ?。幸運だったな?」

「その確率…宝くじの当選に使いたかった」と私は嘆息。

「死にたがりの割には」ふん、と息を吐きながら言う黒猫氏。

「そりゃあ。金銭欲は―動物的欲求じゃん?」と私は言い。

「―持ってても幸せとは限らんがな。余計な労苦ろうくが増える」と批評する黒猫氏。

「持ったこと無いから分かんない」と私はこたえておく。

「…俺の知った事ではないのだが。簡単に類推るいすいは可能だ。頭を使え。小娘や」

「その頭がふやける病気だよ、あたしは」

「…ニューロンの動作不良どうさふりょう。どうしたもんかね?」

」と私は


                  ◆


 あかね色の眩しい光が私の視界に差し込んで。


「おっと俺は寝る時間だぜ」と黒猫氏は言い。

「私は―」と言いよどむのも白々しい。


「なあ。お前は―ぜ」と言いながら歩き出す黒猫氏。


「君は一体?」と私は問わざるを得ない。

「…人は。心に一匹の猫を飼っている」

「独我論者の猫を、かな?」と私が問えば。

「その通り。―俺は平行世界のお前かも知れん」

「死んでしまった私…」

「自殺なんて下らねえぞ…死ぬのなんて何時でも出来る、人を見限るのだって何時でも出来る」

「…ゴメンね。私」と言えば―白日にさらされた猫の何かがほどけ。私のもとかえってくる。

「ただいま」と私のソウルの片割れは言い。

「おかえり」と私はこたえる。


 さて。片付けてしまおう。

 人がやってくる前に。


                  ◆


 蛇足だそく。付け加えないで良いものを指す。

 それは私の人生のようで。

 それでも日々は続いていき。

 はかく言う。

「今日も死ねないな」と。


                  ◆

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