捌き刺身の一夜漬け

Planet_Rana

★捌き刺身の一夜漬け


 子どもの頃なんかはよく、秘密基地をつくって遊んだものである。


 身の丈の低い子どもが一人二人昼寝できるような小さなボロ天蓋の下で胡坐をかき、カードゲームやらお人形やらを持ち込んで自由な遊戯を始めるのだ。


 そこに絶対の規則は存在しておらず、物語の線路も敷かれていない。道筋が決まらない遊びの先にあるのは、相手を思いやる気持ちと、少しの同情と、相手に負けたくないという幼いながらの競争心である。


 あの子が欲しい、と繰り返し相手の物をせびり合う人間性の縮図。


 箱庭で育まれた自尊心と自分にできないことをこなす他者へ対する羨望と、或いはそれらに馬鹿にされたり虐げられる環境は本人が自覚していようがしまいがお構いなしに成長後の人生に多少の影響を及ぼす事になる。


 具体的に言うと、僕の人生のように。


 僕には友達と呼べる付き合いをしている他者が存在しない。「友達」が、何を示している言葉なのかが理解できないからだ。


 一度会って自己紹介をしたら友達なのか、同じ習い事で席が隣になって何度か話したから友達なのか、公園で一期一会の邂逅を果たした間柄だから友達なのか、毎日顔を突き合わせて教師への愚痴を語りあえるから友達なのか、分からない。


 同じ理由で親友も分からない。親しい友人とは。友人は親しいから友人なのでは。


 かつて僕を秘密基地に連れ込んであれこれ教えてくれた胡座が似合う年上の彼女は、そこそこに面倒見がいいそこそこの悪童であった。


 真面目で人を疑うことを知らなかった僕は、彼女の口に踊らされるがまま収穫前の田んぼに足を突っ込んで叱られ、畑の畝を踏みつぶして叱られ、排水溝につばを吐き捨てて叱られた。


 寝ている間にヒキガエルを背中に入れられたり、水槽にゲンゴロウを入れると魚が元気になると嘘を吐かれ、蟻を食べて酸っぱい思いをしたりした。


 そんな酷い目に逢いながらも彼女の後をついて回るしかなかった僕には、再婚家庭の甘酸っぱい営みに興味が無かったという理由も、越してきた先が田舎だったので友達はそもそも居なかったという事情もあったのだけど、ひょろひょろで山登りも虫取りも苦手な引っ込み思案で本好きで走り回るのも苦手な、そんな僕にしつこくつきまとったのは後にも先にも彼女が最後だったのだ。


 繰り返しになるが、僕には友達が分からない。


 猛暑にうなされ、深層水とか名前がついた塩混じりの不味い水をにこにこと渡されたとき、思わず突き返したことがある。


 冷たいペットボトルがぼこんぼこんとアスファルトを跳ねて、外れたキャップが何処かへ飛んで行った。

 「打ち水だねぇ」と彼女は言って、その時だけは僕を馬鹿にしなかった。恐らく彼女もあの飲み物が苦手だったのだろう。子どもには、水分補給と塩分摂取の重要性がまだ理解できていなかった。


 じゃわじゃわと訳が分からなくなるくらいに喧しい蝉の声と名前も知らない虫の羽音を聞きながら、プチ家出を企てたりもした。結局企てるだけ企てて実行には移されなかったが、僕らは随分と壮大な計画を練っていて、何処かで見た職質覚悟の二人乗りで急な坂を下り車が走れない参道を抜けて隣町を目指す。そんな無謀で浅慮も甚だしい計画だった。


 実現しえないということは、想像した僕たちが一番よく分かっていた。代わりに、彼女が仲良くしていた神社の神主に頼み込んで夏の間だけ境内の裏にテントを張って過ごす事になった。いつの日か作った秘密基地というのはこれだ。今では跡形も無く片づけて、痕跡の一つもないらしいけど。


 喜びを分かち合える存在を友達というのだとしたら、僕と彼女は正反対だ。僕が求めるものを彼女は共有してくれなかったし、彼女が笑うとき僕は大抵怒っているか泣いているかしていた。


 親しいかと言えば首を振って否定する。かと言って嫌いかと聞かれれば頷く。

 直して欲しいところは山ほどあれど、彼女の行いを手本にしようと思ったことは一度も無い。


 誰が野山を素足で走り、大人たちの追跡を振り切ろうというのだろうか。僕は絶対にそんなことはしない。

 花瓶を割ったら謝るし、案山子を折ったら謝るし、果樹園の実を沢山あるからと言い訳してむしり取ったりしない。

 バス停の看板が良い影になるからと影の向きに合わせて移動させたりもしない。

 理不尽なことで怒られた時だって、僕は黙って時が解決するのを待つことができる良い子だった。彼女が僕と違って、そこそこの悪童だっただけなのだ。


 けれど成長して、秘密基地の話題が出るときはどうしてか僕の記憶に彼女の姿がある。こびりついて取れない汚れのような強烈な夏の記憶が芋づる式に再生される。


 人に話せばそれは友達だ、親友だと言われるが、だからこそ僕には友達が分からない。


 僕が彼女と共感したことと言えばあの蒸し暑さと深層水の不味さと、組み立てた簡易テントの中でボロ負けしたトレーディングカードの表面に、不慮の事故で傷痕が刻まれた際に酷く肩を落とした、その反応ぐらいだった。


 僕は彼女のことを何も分からなかったし、彼女も僕を分かろうとはしてくれなかった。類は友を呼ぶというのなら、僕らは分かり合いたくない同士、一線を引き合った同士という意味で似た者ではあったのかもしれない。


 夏が過ぎて秋が来て冬になって、春が来て夏が来て秋になって。目まぐるしく過ぎるようになってしまった季節はまた巡り、今日は夏がやって来る。


 喧しい蝉時雨と打ち水の音、砂利の庭を駆け回る草履の音、積み上げた砂の山を蹴り崩されて泣き喚く声。

 僕はやれやれと腰を上げ、子どもたちの相手をする為にスリッパを履いた。


 彼らが大人になるまで、どれだけの理不尽と後悔と反省をするだろうか。人にしてはいけないことと、自分がされたらいやなことは、はっきりと自覚して行動してほしい。教えることは大人の役目、そして彼らからまた、僕は学ぼう。


 海釣りから帰って来た車の轍、ハンドルを切って停車した窓から細い女性の腕が振られる。

 僕は子どもたちと手を繋いで彼女が下ろしたバケツを覗きこみ、今夜のおかずとなる成果物を確認した。


 目をきらきらと輝かせた子どもたちの一方で、誇らしげに胸を張る彼女の手には危ないからと切り落とされた左右非対称な三日月型の尾びれがある。灰色のやすりに覆われたそれを見て、何故普通の魚じゃないんだと問えば「地元の人が美味しいって言うから」とあっけらかんとして答えた。


 振り回されて振り回され続けて、この関係に友達と名付けるなど生ぬるい。

 僕の眉間から皺がとれる日はどうやらまだ先の話らしかった。




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