chapter3

「そういえば、女よ。君は魔女を信じるのだな」

 喫茶店を出た吾輩と女は、黒猫を探した。吾輩が寝床とする路地裏や、その周辺を重点的に探してみたが、その影は一向に掴めないままだった。そうしてる内に、日も暮れ初め、今は川沿いに置かれたベンチに腰をかけて休憩をとっている。季節は冬、木々は枯れ、眼前にはなんとも言い表せぬ殺風景が飄々と広がっていた。

「女って呼ぶのは少しだけ失礼だよ、エスプレッソちゃん。私の名前はハル」

 ハル、か。春は好きだ。心地の良い暖かさも去ることながら、あの花、あの薄桃色の花が、吾輩は好きだ。だから、それを咲かせる春は好きだ。

「良き名だな、ハルよ」

「ありがと」

「それで、聞きたいのだが、何故、ハルは魔女を信じたのだ?吾輩が猫であることを疑っているというのに」

 そう言うと、ハルは少しだけ膨れた。

「ねえ、猫さん。君、少し怒ってない?」

「そう聞こえたのなら謝る。吾輩は単純に、疑問に思っただけなのだ」

「そう。まあ、でもそうね。私は魔女を信じてはいないよ」

 この返答には正直驚いた。魔女を信じているからこそ、事の真実を天秤にかけようとしているものかと思っていた。

「吾輩は魔女の存在を疑えない」

「そうだね、私も信じたい」

 そう言って遠くを見つめている彼女の顔は、どこか寂しげであった。

「ハルは、スミのことが好きなのか?」

 口をついて出た言葉だったが、それでも、やはり気になっていたことでもあった。初めて吾輩がハルと会った時、彼女はスミのことを魅力的だと言っていた。吾輩は恋という感情の存在を知ってはいても、理解ができない。その感情に出くわしたことがないのだ。吾輩はスミのことを魅力的に思っている。しかしきっと、これは恋ではない。断言はできないが、そう思う。では、彼女の言うところの魅力的とは、如何に。

「うん、好きだよ」

「それは、恋愛感情?」

 どう聞けばいいかわからなくなって、不躾な質問になってしまった。それでもハルは笑いながら答えてくれた。

「君がスミ君なら、これが告白になっちゃったね」

 そうか。そうなのか、君は恋をしているんだな。それを聞けば、名付け親のこれからを想像して、少しばかり嬉しくなった。

「吾輩はその感情を未だ持ったことはない。けれども、それが大切な思いだということは知っている」

「君は、恋がしてみたいの?」

 問われて初めて気がつくこともある。

「そうなのかもしれない……、しかし吾輩は猫である」

 猫に、恋心など有るものなのか。思えば、この身体に住み始めてから、そんな願望を持ち始めたのかもしれない。そう思うと、自然、ゾッとした。無い毛は逆立たない。

「猫であっても、恋心は宿るものなのか」

「誰にだって宿るものだよ。勿論、猫にだってね」

 ハルは聡明だ。きっと、吾輩の言いたいことが理解できたのだろう。この見透かされる感じは以前にも体験した。猫である時にも。聡明だからこそ、根拠のないことも言う。

「ハルよ、ありがとう」

「そんなに真っ直ぐな感謝をされたら、いやに照れくさいよ」

 そう言い笑う彼女は、猫である吾輩にも魅力的に見えた。しかしこれは、告白ではない。

「行こう、吾輩は黒猫だ。陽が沈み切ったら、それを探すのは難儀だ」

 そう言って立ち上がったところで、吾輩の腰に付いているポケットが震え出した。何が起きたか理解できなかったが、ハルが「電話だね」と言ったから電話なのだろう。吾輩はそれをポケットから取り出して、ハルに渡した。使い方は知らなかったのだ。

 彼女はそれを瞬時に理解して、受け取った四角いモノを操作して電話を繋いだ。

「もしもし……ええ、ハルです……はい……本当ですか?!……はい……わかりました、すぐにそちらに向かいます……はい、失礼します」

 一通り会話を終えた彼女は、こちらを向いて笑顔で言った。

「スミ君、師走じいさんの喫茶店に来たって!」

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猫と珈琲 花摘 香 @Hanatani-Kaori

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