ペルソナ

浅川

二番目の彼女

 あぁ〜寒み〜。ようやく辿り着いた。ここが七香ななかの住むアパートか。三階建てで大きくはないが最近、建てられたものだろうな。古くさいアパートじゃなくてよかった。出入口もオートロック式で若い女性一人でも安心して暮らせそうだな。

 どうやって入るんだ? そっか部屋番号が分からないとダメなんだな。俺は早速、LINEで今アパートの前だとメッセージを送った。

 返事が早い。教えられた番号を入力し、扉を開けてもらい中へ入る。

 階段を上る。玄関前の廊下は淡い暖色系の明かりなのもポイントが高い。

 と、彼女の住む所を前にこうして見定めしてはいるがいたって俺は冷静だ。初めて訪れるのになぜか? それはもう俺達二人は近いうちに別れることになるだろうと見越しているからだ。

 じゃあ、今日はここへやって来たのはなんで? 理由は単純明快で、終電を逃して帰れなくなったからただこの極寒をしのげる宿が欲しかったから、それだけである。

 そんな冷え切った関係性の人の家に泊まるのもどうかと思ったが、逆に良い機会でもある。別れ話という極めてデリケートな話は二人っきりで、誰にも邪魔されない場所で行うのが適切だろう。世話になるのに、入って直ぐにこんな話をするのは申し訳ないので明日の朝か? そこらへんはその時の空気を感じて判断しよう。

 七香の顔が浮かんでくる——可愛いのは紛れもない事実なんだけどね。付き合おうって言ったのも俺の方。その見た目の良さに反して全然気取ってなく、自然体なのが好感持てた。天然でちょっと抜けている所もグッド。

 まるで猫を擬人化したような振る舞いで俺はもう出会った時からメロメロだったのだ。

 だから告白を受け入れてくれた時は舞い上がったな〜。俺なんかで良いの? って執拗に確認すると、カズくんは私と接する時に変に着飾らないでありのままの自分でいてくれたからって返ってきた。

 そういう可愛い子の前では不自然に気を張る男の姿を見てきて、俺はカッコ悪いって思っていたから、そうならないようにしようと心がけたのが功を奏したってわけだ。

 多少見栄を張るのも大事だけど、付き合うってなったらいずれ悪い部分も見えてくるもんなんだから、なら最初から素直な自分を出してそれを受け入れてくれた上で付き合うのが絶対に長続きするってもんよ。

 しなかったわけだけど。恋愛ってやっぱり難しいもんだ。

 ちなみになぜ俺がもう別れた方がいいと考えるようになったかはこれまた単純で、彼女が性に対してかなり慎重な人だからに他ならない!

 こっちも身体からだ目的で付き合ったわけじゃないからいきなり誘い込むなんてことはしなかったさ。三、四ヶ月は先ずはゆっくり互いのことをもっと知ろうという心構えだった。が、半年も過ぎそろそろいいんじゃないのかな〜と思っても彼女はキスすらまともにさせてくれないのだ!

 そんな雰囲気になって顔を近づけると彼女は怖がるように俯いてしまう。さすがにこれはストレスだった。

 それに対して俺が反論できないのは彼女の普段の格好、たたずまいにある。

 それは私服にゴスロリファッションを愛用しているのだ。

 偏見があるわけではない。化粧も派手じゃないし髪は染めていない、控え目でそんな浮いてはいないから一緒に居て恥ずかしいなんて思ったことない。むしろ似合っていて羨ましいって同性からも熱い視線を浴びている。

 一例として、長袖の白いブラウスに首元には黒いリボンを垂らし、下もこれまた黒いふわりとしたフレアスカート。頭上に赤のベレー帽が乗る。

 要は見るからにいい所のお嬢様なのだ。そのある種の非凡なオーラに俺も性的興奮が鎮まってしまうのはあるかもしれない。

 そんな悩みがある中でバイト先で出会ってしまったのが奈緒美なおみちゃんだ。ここでなんと別の女性の名前が登場する。奈緒美ちゃんと接していると七香では味わえない開放感がある。

 加えて彼女、性に対してかなりオープンなのだ! そう、俺に今いちばん足りない成分。


『私、お風呂上がりはしばらく下着姿でいることも多いんだけど、こんな女性どう思う? 和也かずやがもしも彼氏だったら怒る、気にしない?』


 なんて男の俺に、周りもドキっとすることを満面の笑みで聞いてくるのである。女性がわざわざ性的に興奮するような言動を男性にするのは俺に気がある証なのではないだろうか。しかも俺がもしも彼氏だったらなんて……。

 身近に付き合おうと言えばOKと返してくれそうな人が別にいる——

 これがもう別れた方がいいと考えを加速させているゆえんである。


『どうしたの遅くない? まさか迷っているの?』


 こんな小さなアパートで迷うわけないだろう。しかしいつまでも部屋に入らずブツブツ独り言を喋っている姿を他の住人が目撃でもしたら変な目で見られるのは必至だ。これから別れ話をしようとしている心境が俺の足を止めているのか。


 奈緒美ちゃんと過ごせるかもしれない楽しい日々を思い浮かべながら俺はチャイムを押した。


『開いているよ』


 なんだ、出迎えてくれないのか。ちょっと寂しいと思いつつ明日この部屋から出る時にどうなっているかを想像すればこれでいいのかもしれないな。

 入ってすぐがキッチンだった。その先がリビングかな。


『いまお風呂上がりで着替えているから中で待ってて〜』


 俺は玄関を上がってすぐ右側にあるドアを凝視した。ここが洗面所兼脱衣所であるのは間違いがない。当たり前のようにモザイクのかかったガラス部分から七香のシルエットが……動いている。

 ゴクリと唾を飲み込んだ。七香ってお風呂上がりはどうなんだ、って奈緒美ちゃんみたいにそんな下着姿で室内を歩き回るわけないか。

「なにずっと立ち止まっているの? 奥で待ってていいよ」七香が顔をひょっこり出してきた。「あぁ、ごめん!」

 い、一瞬だが見えてしまった。七香の露出した肩、あの線は、ブラジャーの……直ぐに目を逸らさずもう少し見ておけばよかったと後悔した。そうすればもっと下の胸の膨らみも。

 なんだよ、今まで全然性的なことを意識させてくれなかったのになんで今日に限って。ドアノブを力なくひねってリビングへ。右端にベッドがある。隅にはニャンコ先生のでっかいぬいぐるみ。それ以外はわりと本棚、パソコン机と機能性を重視した家具のみで、女性らしさは見られない。

 ドアを開けっぱなしにしていたので、七香がスキップでもしそうな勢いでルンルンと歩み寄って来るのがわかる。

 寒くないのかな……その格好で。藍色の半袖ワイシャツに珍しく膝が隠れないほど短い裾のタータンチェック柄のボックススカートを履いていた。ベージュが基調でこの組み合わせはまるで女子高生に扮したみたいだ。風呂上がりなんだからもっといかにも部屋着って格好ではないのはなぜだろう。

 俺の隣に正座した。ニヤニヤと俺を見つめる。目からビームを放っているかってくらいビシビシ視線が伝わってくる。

「ちょっと手を洗わせて」

 逃げるように立ち上がった。耐えられなかった、目を合わせることもできない。何かを求めている目、それには応えられず。

 洗面所に入った途端、七香の残り香がまとわりつく。その香りを嗅ぐと七香が俺の体内に入り込んで、ランプの魔人のように幻が出てきて俺の腕を掴み甘えてくる。

 ここは七香の家だ。どこへ行っても七香を一旦でも消すことはできない。ただ鼓動を早めただけだった。

 時間帯は深夜一時。互いに夕飯も済ませている。あとは寝るしかすることはない。さっさと目を閉じて意識を遠のかせよう。

 戻ってくると七香がベッドの上にしゃがんでいた。見えてはいけないものが見えていた。

 スカート履いている自覚ある? そんな体勢で座るのは小学生で卒業しろよ。が、注意をするべきなのかさえ悩む。繰り返しここは七香の家、俺達二人しかいない。目を背けることができない俺に注意する資格はない。

「なに、みてんの」ざっと足を伸ばしてスカートの中央に両手を食い込ませた。「ごめん」なんで謝る必要があるのか。見せてきたのはそっちだろう。それでも俺は謝る言葉しか出てこなかった。

 しばらくの。七香は両手をゆっくり浮かせスカートの裾をわずかにたくし上げた。

 首を傾け誘惑の眼を向ける。ダメだ、吸い寄せられる。

 七香を覆う。顔同士が触れない限界まで迫ると突くようにキスをしてきた。柔らかい唇の感触、臆病な俺は目を瞑る。

「電気消す?」

「本当にいいのか」

「いいよ」

 ここまできて何、確認してんの? そんな蔑んだような口調。いつの間にか目つきが鋭くなっていた七香——お前は誰だ?

「誰だお前、ほんとに七香なのか!?」

 違う、あんな魔性の女のような目つき、七香ができるわけがない。罠にはまる直前に踏み止まったかのように俺は七香と距離を置いた。

 ギロっと睨めつけられた。同時に舌打ちでも聞こえてきそうだ、不満を露わにする。やっぱり七香じゃない。七香は怒るときもほっぺたを膨らませるようでまるで怖いと思ったことはない。

「随分、慎重なんだね。細かいこと気にせずこのままの流れで楽しめばよかったのに。そういう男は嫌われるよ」

「細かいも何も、これまで一年間、ぜんぜっんそんな風に女の色気出して、男の都合の良い女を演じて誘ったことなんてないのに、違和感持たない方がおかしいだろう」

「それも言えてる。でも、教えてほしかったらさっきの続きをしながらなら話してあげる。せっかくんだからこのまま何もしないで終わるの勿体無いでしょ。それに私とイチャイチャすること望んでたんでしょ?」

 初めて出会えた? どういうことだ。

「ほら、どうするの」お尻を強調させながら肘を支えに横になった。スカートの端をつまみ上げてほら、ほらと手招きする。

 七香にそんなことさせるな——俺は止めるつもりで馬乗りになり両腕を掴んだ。

「よし、じゃあ続きだ。教えてもらおうか」

「いやだ、優しくしてよ。暴力はよくないよ。あっ」

 首筋に吐息をかけた。そこから口を耳たぶへ移して問う。

「初めて出会えたってどういうことだ」

「ふふ。これはこれで新しいかもね」この状況を楽しみ始めていた。

「七香はね、ってか私なんだけど、二重人格なの」

「二重人格?」

「なに止めてんの? もっと激しくならないと先は教えないよ」

 七香は大きな秘密を抱えていた。俺はそれが知りたいが一心でシャツのボタンを外して、胸をさらした。胸の谷間、赤ん坊のように吸いたくなる衝動。

「いつ私が誕生したのかは定かじゃないけど小学生の時なのかな。私はね、こうして性の快感を感じるためだけに作り出されたの」

 腰の留め具を外してチャックを下ろした。スカートを引きずりおろす。

「ある日の夜、習い事の帰り近所の公園で七香は目撃してしまった。大人の営みを。って言っても一人だったんだけどね。ウケるよね。当時は意味が分からなかっただろうね。でもお姉さんが凄く気持ち良さそうだったから、興味本位で家で真似したくなったみたい。遊具の代わりを探して擦りつけたりした。それで中学生の時に完全に理解してしまった。今まで遊びでやっていたことが何を意味するのか。最後はどうなるのかも。それ以来、七香にとってあの場面こそ性の象徴になった。性的に興奮するならあのお姉さんを思い浮かべて喘ぐ。それが癖になった。それでその瞬間だけ中身が入れ替わるようになったんだろうね。私の出番ってわけ」

 俺も含めて全ての衣を脱がし挿入する寸前で大方は把握できた。

「中身はあのお姉さんだけど私も、実際にやるのは今日が初めて……だから実はすっごく内心、緊張しているんだ」

「七香!」

 目つきが和らいだ。いつもの七香だ。

「カズくん、初めてのドキドキで戻っちゃった。やっぱり一人でやるのとは全然違うね」

「やめた方がいい?」

 涙ぐむ七香。


「もう気がついたらあっちの私にならないと興奮しなくなったの。何度か挑戦してみたけど。ごっこ遊びみたいな感覚で始めたけどまさかこんなことになるなんてね」

 器は同じで心を入れ替えることによって七香は性を学んだ。これで逆にいつもの七香はますます性とは縁がなくなる。

 いつもの七香に戻りホッとすると共に俺は謎が解けるとも渇望していた。

 最高じゃねか。性行為をすると人格が変わる女性。こんな無邪気な子にあんな魅惑の女が潜んでいるとは。

「こんな私でも大丈夫、怖くない?」

 もちろんだ。もう一人の七香も大事にするよ。俺は七香と別れる理由を失った。むしろもう抜け出せないくらいハマってしまったかもな。



 

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ペルソナ 浅川 @asakawa_69

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